スマホを握りしめたまま待っていると、やがて返信が来た。
―― 風邪を引いたみたいで熱があるんだ。会社を早退して病院に行って、今から部屋に帰るところ。
そういうことか。突然会えないなんて言うから驚いたけれど。
―― だったら看病に行く。
会社を早退して病院に行くなんて、余程のことだ。熱があるのに、一人になんてしておけない。
―― うつったら困る。
―― そんなの関係ない。
―― 関係あるよ。薬もらったから大丈夫。また連絡するから、いいって言うまで部屋に来ちゃダメだよ。
そんな……。僕は、半泣きになりながらメッセージを打つ。
―― マスク着けるし、ちゃんと気をつけるから。
―― ダメ。晴臣くん体力ないから、うつしたら僕が辛い。
そんな……。彼の風邪なら、うつったってかまわない。だけど、彼に辛いと言われたら、無理に押しかけることはできない。
べそをかいていると、さらにメッセージが来た。
―― そのかわり、毎日自撮り送って。楽しみにしてるから。
僕は涙を拭う。仁さん……。
―― わかった。
納得はいかないけれど、そう言うしかない。すると、すぐに返信が来た。
―― さっそく今送ってほしいな。
もう、今泣いちゃったから目が赤いのに。そう思ったけれど、アプリだと意外と大丈夫だった。
―― お大事にね。
笑いたかったけれど笑えなかったので、真顔で撮って、メッセージを添えて送った。すると。
―― すねた顔もかわいいよ。
―― すねてないよ。もう…
―― ごめん、でもかわいい。愛してるよ。
―― 僕も愛してる。早く元気になってね。
本当は、今すぐにでも会いたい。
彼のことが心配でたまらなかったけれど、寝ているところを起こしてはいけないと思い、連絡が来るのを待っていた。
夜になってから、電話が来た。ローテーブルにスマホを置いて、じっと見つめていた僕は、飛びつくようにして出る。
「もしもし、仁さん」
「晴臣くん」
「仁さん、大丈夫?」
「うん。薬が効いてるみたい」
「それならよかった。寝てるの?」
「うん、今ベッドの中。晴臣くんの声が聞きたくなって」
「うん、お話しよう」
彼のためならなんだって話す。彼が言った。
「もうご飯は食べた?」
「うん、スーパーの『鶏団子汁』っていうの。味噌味で、ゴボウとか、野菜がいろいろ入ってるやつ」
「へえ、おいしそう。豚汁の鶏団子バージョンみたいな?」
「うん、そんな感じ。おいしかったけど、いつか仁さんが作ってくれた鶏つくねの鍋には負けるよ。仁さんは、ご飯食べた?」
「うん。うどんに、玉子落として」
「体があったまりそうだね」
「うん……」
それきり言葉が途切れる。
「仁さん、大丈夫? しんどいの?」
「ううん、ちょっとぼんやりしてただけ。晴臣くんの声聞いてると、ほっとする」
「それならいいけど」
「シャワーは? これから?」
「うん」
彼から連絡が来るのを待っていたので、まだ浴びていない。彼がふふっと笑った。
「何?」
「晴臣くんの裸、見たいな」
「もう……。風邪が治ったら、一緒にお風呂に入る?」
「入る。そのときは、体の隅々まで丁寧に洗ってあげるからね」
「もう……」
想像しただけで、なんだか妖しい気分になってしまう。僕って淫乱だ。
再び、彼がふふっと笑った。
「今、洗ってるところを想像しちゃった」
「仁さんってば……」
彼も淫乱だ。でも、なんだかそれがうれしい。
それから二日、彼は会社を休み、毎日何度も電話で話したり、自撮りを送ったりした。彼の自撮りもほしいと思ったけれど、病気でやつれている姿は見られたくないだろうと思い、我慢した。
一度、差し入れを持って行ってドアにかけて帰って来ると言ってみたのだけれど、それもダメだと言われた。決心が鈍って引き入れてしまったらいけないからと。
僕も本当は、彼の部屋の前まで行ったら、合鍵で入りたくなってしまいそうだし、実際にそうするかもしれない。でも、それで彼を困らせるのは嫌だ。
「その代わり、たくさん自撮りを送って。セクシーな写真も大歓迎だよ」
彼にそう言われたけれど、さすがにセクシーはちょっと……。
「明日から会社に行くよ」
翌々日の夜、電話で彼がそう言った。
「えっ、もうすっかりよくなったの?」
「すっかりってわけじゃないけど、仕事をいつまでも休むわけにはいかないからね」
「無理しないでね」
「ありがとう」
そこで、僕は思いついて言う。
「じゃあ、明日、部屋に行くね」
ずっと我慢していたけれど、ようやく会うことができる。だが、彼の反応ははっきりしない。
「いや、でも、まだ僕は風邪の菌を排出してるんじゃないかな」
「排出って……。だって、会社に行くんでしょ?」
「オフィスは広いし、空調で換気もされているけど、この部屋は狭いから」
「そんな……」
やっと会えると思ったのに、そんなことを言われて涙が出てしまう。鼻をすすっていると、彼が言った。
「あれ? 晴臣くん、泣いてる?」
「だって。……会いたい」
ずっと心配で仕方なくて、本当ならばそばで看病したかったのを会わずに耐えたのに、まだそんなことを言うなんて。
「ごめん、泣かないで。わかったよ」
「……え?」
「明日、部屋においで」
やった! 思わず微笑むと、彼が言った。
「でも、まだイチャイチャはナシだよ。風邪がうつったら困るからね」
自信はないけれど。
「わかった」
次の日、僕はいつもより早めに家を出て、スーパーで彼が食べたいと言った鶏団子汁と、そのほかにもいろいろと食料を買って彼の部屋に行った。
合鍵を使って部屋に入る。部屋の中は片付いていたけれど、洗濯物が少したまっていたので、洗濯機を回して、お風呂の用意などもする。
帰りの電車の中からメッセージが来たので、すぐに食事ができるように用意して、今か今かと待っていると、やがて玄関のチャイムが鳴った。
足早に近づいてドアを開けると、スーツの上にコートを羽織った彼が立っている。
「おかえりなさい」
「ただいま」
中に入ってドアを閉めた彼は、ガバッと僕を抱きしめた。イチャイチャはナシだよと言ったのに……。
でも、うれしい。僕も思いきり彼に抱きつく。
「晴臣くん、会いたかったよ」
彼は、僕の体を抱きしめたまま左右に揺する。
「僕も……」
「本当は会いたくて仕方がなかったけど、ずっと晴臣くんの写真を見て我慢していたんだ。自撮り、どれもすごくかわいかったよ」
僕は、彼の肩に顔をうずめたまま言う。
「そんなことないけど、アプリで撮ったから」
「アプリで撮ったのも実物も、そんなに変わらないよ」
「……そう?」
ちょっと拍子抜けするけれど、アプリだと、泣いた跡が隠せるのは内緒だ。
「うん。どっちもかわいい」
「うれしいけど、恥ずかしい」
彼が笑う。
「そういうところもかわいいよ」
なんと答えていいかわからなくて、僕は話題を変えた。
「仁さん、少し痩せたね」
「えっ、そう?」
僕は顔を上げて、彼の頬に触れる。
「ここが、細くなった」
「そうかな」
自分の頬をこすってから、彼はにっこり笑った。
「でも大丈夫。晴臣くんが買って来てくれた鶏団子汁を食べたら元気が出るから」
僕も微笑む。
「今温めるよ。ご飯にしよう」
「うん」
「カプレーゼもあるし、デザートもあるよ」
「いいね」
いったん、イチャイチャモードは終了。