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第26話 チョコレート味のキス

 寒さが本格的になり、僕たちは、部屋で過ごすことが多くなった。


 平日でも、合鍵で入って、彼の帰りを待つ。まさに半同棲だ。


 時間だけはたくさんある僕は、叔父さんのマンションと同じように、彼の部屋の掃除をして、ときには洗濯もする。仕事が忙しい彼には、部屋ではなるべくのんびり過ごしてほしいのだ。


 そのことを、彼は申し訳ないと言いつつ、とても喜んでくれたし、休日には、いつもおいしい料理を作ってくれる。僕は、見た目も素敵な料理の写真を撮るようになった。


 SNSに投稿するわけではなく、個人的な楽しみだ。僕だけの料理写真のファイルが増えて行くことがうれしい。


 いつの間にか、SNSに空の写真を投稿することもなくなった。あれは、有り余る時間と孤独をを埋める行為でしかなかったのだ。


 もう僕は、「空っぽ」じゃない。今の僕の心の中は、彼でいっぱいだ。


 彼のSNSも、長く更新が止まったままになっている。




 1月も終わりに近づいたある日、彼の部屋で一緒にテレビを見ていると、 情報バラエティー番組の中で、バレンタインデー特集が始まった。


 思わず彼のほうを見ると、目が合った。僕は尋ねる。


「バレンタインデーって、男同士ではどうするのかな」


「えっ……」


 彼は首をかしげる。


「それは、人それぞれなんじゃないの?」


「僕たちは、どうする?」


「そうだね。せっかくだから、何か楽しいことをしようか」


「うん」


「晴臣くん、チョコ好きでしょう?」


「うん、大好き」


「じゃあ、普段なかなか食べないような高級チョコを買って食べるか、チョコを使ったお菓子を作って食べるっていうのもあるね」


「うわー、どっちも捨てがたい」


 彼が笑った。


「じゃあ、どっちもしようか」


「ホント?」


「うん。デパ地下かどこかに高級なチョコを買いに行って、それから、僕はスイーツってあんまり作らないから、将来カフェをやるときのために、勉強がてら何か作ってみるよ」


「すごい。どっちも楽しみ!」



 今まで、バレンタインデーといえば、母にチョコをもらうか、学校で大量に義理チョコを配っている子にもらうくらいだった。


 女の子から本命チョコがもらいたいわけじゃないし、誰かにあげようなんて思ったこともないし、正直どうでもいいイベントだったのだけれど。


 今年、生まれて初めて楽しいバレンタインデーがやって来る。うれしい!




 数日後、彼が言った。


「いろいろスイーツのレシピを検索したんだ。そしたら、とんでもなくたくさんあってさ」


「うん」


 彼は、かしこまって言う。


「これは勉強も兼ねているわけだから、本来ならば、正統派のレシピで、正統派のスイーツを作るべきだと思うんだ。でも……」


 何事だろうと、じっと顔を見つめていると、さらに彼が言った。


「なんと、炊飯器で作れるケーキというのがあってさ」


「えっ?」


「つまり、材料を混ぜて炊飯器に入れて、炊飯ボタンを押したらケーキが作れちゃうんだよ」


「そんなことが出来るの?」


「そうなんだよ。それを知ったら、もうどうしても作ってみたくなっちゃって」


「いいんじゃない? 面白そう」


「だよね」


「うん。どんなのが出来上がるか見たいし、食べてみたい」



 こらえきれずに、僕は声を上げて笑った。彼が、不思議そうに僕を見る。


「仁さんと出会ってから、毎日楽しいことばっかり。炊飯器で作るケーキなんて最高!」


 彼も笑う。


「ホントだね。晴臣くんと出会わなかったら、絶対に炊飯器でケーキを作ろうなんて思わなかったよ」


 ああもう、幸せ過ぎるっ。炊飯器でケーキなんて、面白過ぎるぅ!




 バレンタインデー前の週末、僕たちは、デパートで、箱いっぱいに宝石のように並んだチョコレートを買い、帰りにスーパーに寄って、炊飯器で作るチョコバナナケーキの材料を買った。


 今日部屋に帰ったら、まずはチョコバナナケーキを作って食べ、デパートで買ったチョコレートは、バレンタインデー当日に食べることにした。




 チョコバナナケーキは、材料を混ぜて、内側にサラダオイルを塗った内釜に入れてスイッチを押すだけでいいのだ。ワクワクしながら待っていると、やがて部屋中に甘い香りが漂い始め、スイッチが切れた。


 彼が、椅子から立ち上がりながら言う。


「これで、竹串を刺して、何もついて来なかったら出来上がりだって」


「へえ」


 彼が炊飯器の蓋を開けると、いい香りの湯気がふわりと立ち上がる。竹串を刺してみると、どうやら中まで火が通っているようだ。


「よし。後はケーキクーラーの上に取り出して冷ますんだよ」


 そして、彼が鍋掴みで内釜を持って、ケーキクーラーの上で逆さにすると、ポコリとケーキが落ちて来た。表面にはいい色の焦げ目もついている。


「うわー、おいしそう」


「楽しみだね」



 結局のところ、ケーキは優しい味がして、とてもおいしかった。四分の一ずつおやつに食べて、残りは翌日の朝食にすることにした。


 食べながら、彼が言った。


「これはちょっとやみつきになっちゃうな。チョコ以外のいろんなバージョンも作ってみたくなったよ」


「いいね」


「甘さ控えめにすれば、朝食やブランチにもちょうどいい」


「ホントだね。ねえこれ、将来カフェでも出したら?」


「えっ、いいかな?」


「いいよ、すごくおいしいもん」


「でも、炊飯器で作ったっていうのは、カフェのイメージ的にどうだろう」


「ああ、『炊飯器ケーキの店』なんて」


「それはちょっと……」


「駄目かな。じゃあ、炊飯器っていうのは秘密にしておく?」


「門外不出のレシピ、とか」


「あははっ、そうだね」


 あー、楽しいなあ。




 バレンタインデーは平日だったので、夕ご飯を軽めにして、デザートにチョコレートを食べることにした。食器を片付けた後、彼がコーヒーを淹れてくれた。


「晴臣くん、開けて」


「うん」


 僕は、平たくて大きな箱の蓋を慎重に開ける。


「わー……」


 買うときに見てはいたものの、きれいに並んだ色とりどりのチョコレートにうっとりしてしまう。彼が言った。


「好きなのを取って」


「でも……」


 たくさんあって迷ってしまう。


「じゃあ、せーのでそれぞれ取ろうか」


「うん」


「せーの」


 僕が取ったのはハート形の、彼が取ったのは四角いチョコだ。それぞれ口に入れる。


「おいしい! 中はオレンジ味のクリームだよ」


「僕のは、ラムレーズンだ」



 何度目かの「せーの」の後、ぱくりとチョコを口に入れた僕を、彼がじっと見つめている。


「うん?」


 問いかける僕に、彼が言った。


「晴臣くん、甘そう」


「え?」


「キスしたい」


 そう言うなり、立ち上がって顔を近づけて来る。


「あ……」


 僕も立ち上がる。テーブル越しに唇を重ねる。


 チョコレート味のキスは、甘くとろけた。僕も、とろけた。




 二人の仲は順調で、僕は彼のことが大好きで、甘く幸せな気持ちで過ごしていたある日のこと。夕方、彼からメッセージが来た。


―― しばらく会えない。


 ……え? 意味がわからず、ざわつく胸を押さえながら、僕はメッセージを凝視する。


 いくら見つめていても何もわかるはずもないので、震える指で返信した。


―― どういうこと?

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