切ない気持ちで電車に揺られていると、スマホが震えた。彼からかと思ったら、叔父さんからのメッセージだった。
―― 晴臣くん、久しぶりだね。マンションの管理、いつもありがとう。
残念ながら、今年は日本に帰れないけれど、今月はボーナスとして、いつもよりちょっと多めに振り込ませてもらったよ。何かおいしいものでも食べてください。
兄さんとお義姉さんによろしく。それではよいお年を。
なんと、ボーナスとは。ただでさえ、十分過ぎる金額をもらっているし、たいしたことはしていないのに申し訳ない。
僕は、マンションに帰ってから、叔父さんに返信した。
―― アルバイトをさせてもらっているだけでもありがたいのに、気を遣っていただいてすいません。
どうもありがとうございます。いただいたお金は大切に使います。
それから、リビングルームや、キッチンやバスルームなどの写真と、ベランダに立って、空を背景にした自撮りも一緒に送信した。感謝の気持ちと、僕なりに一生懸命きれいにしていることを伝えたかったのだ。
実家に帰ると、母が笑顔で迎えてくれた。
「寒かったでしょう? コタツに入りなさい」
「うん」
居間に入って行くと、父がコタツでテレビを見ながらお茶を飲んでいるところだった。
「ただいま」
「おう。久しぶりだな」
ダッフルコートを脱いでコタツに入ると、桃太郎が寄って来た。
「モモ、おいで」
膝に乗せて両手で顔を撫でると、目を細めて、ゴロゴロと喉を鳴らす。相変わらずかわいいやつだ。
母が、湯呑を持って来てお茶を淹れてくれる。
「そのお饅頭、山本さんにいただいたのよ。召し上がれ」
「うん」
コタツの向かい側に座った母が言う。
「最近あんまり帰って来ないけど、ちゃんと食べてるの?」
「うん。一応バランスとか考えて食べてるよ」
「そう。勝義さんのマンションだから、あんまり私が行くのもアレだしね」
勝義さんとは、叔父さんのことだ。父が、ずずっとお茶をすすってから言った。
「マンションの管理だとか言って、お前、ちゃんとやってるのか? まさかゴミ屋敷になってるんじゃないだろうな」
僕は、畳の上に置いたダッフルコートのポケットからスマホを出して、さっき叔父さんに送った画像を開いて渡す。
「今日、叔父さんがメッセージをくれたから、撮って送ったんだよ」
「どれ」
老眼の目を遠ざけるように見る父の手から、母がさっとスマホを取り上げる。
「あら、きれいにしているじゃない。鏡に水垢もついてないし。晴臣は、私に似て几帳面なところがあるから」
「叔父さん、今月はボーナスで、いつもより多めに振り込んでくれたって。たいしたことしてないのに」
「あらそう。勝義さんにお礼言わなくちゃね、お父さん」
にこにこしている母に対し、ふんと鼻を鳴らして、テレビの画面に視線を移す父。いつものことだ。
夜は、紅白歌合戦を見ながらすき焼きを食べた。うちの大晦日の定番だ。
紅白が終わり、「ゆく年くる年」が始まったのを機に、僕は自分の部屋に引き上げた。パジャマに着替えながら感慨に浸る。
今年は本当に変化の年だった。生まれて初めての一人暮らしに、運命の出会いに、生まれて初めての素敵な素敵な恋人。
こんなに幸せな気持ちで新年を迎えられるなんて……。
やがて、地元の神社から除夜の鐘が聞こえて来た。もうすぐ年が明ける。
日付が変わってすぐに、スマートフォンが震えた。彼からだ。
―― 明けましておめでとう。出会って初めてのお正月だね。
今年も晴臣くんと一緒に過ごすことを楽しみにしています。これからもどうぞよろしく。
すぐに返信する。
―― 明けましておめでとう。僕も仁さんと一緒にいろんなことをするの、楽しみでしかたありません。初詣も。
こんなに幸せなお正月は初めて。こちらこそ、これからもよろしくお願いします。
そして、桃太郎の写真とともに送信。すると、すぐに返信が来た。
―― 桃太郎くん、かわいいね。でも、新年最初のかわいい晴臣くんも見たいな。
そう来たか。僕は、なるべくかわいく見えるように、でも加工は極力控えめにしたアプリで自撮りをして送信する。
―― 素敵な仁さんの顔も見せて。
少し待っていると、優しい笑顔で、パジャマ姿の彼の自撮りが送られて来た。
―― 晴臣くん、すごくかわいい。パジャマ、お揃いだね。
―― 仁さんこそ、すごくハンサムでカッコいい。僕はそろそろ寝ようと思っているところ。仁さんは?
その後もしばらくの間、他愛ないやり取りを続け、それぞれ、僕はベッドに、彼は叔母さんの家の客間の布団に入り、お休みを言い合ってスマホを閉じた。
次に会えるのは明後日、初詣に行くときだ。待ち遠しい。早く会いたい……。
彼は、前の日の夕方頃に東京に帰って来るということだった。その時間に合わせて彼の部屋に行こうかとも思ったのだけれど、きっと疲れているに違いないから、一人でゆっくりしてもらおうと思いとどまった。
翌日は小此木山に登るのだし、翌々日には出勤するのだから、前の晩にベッドで余計な体力を使うことになってはいけない、なんて思ったりしたのだ。
僕は実家から、直接待ち合わせの駅に向かう。母は名残惜しそうに、もっとゆっくりして行けばいいのにと言ったけれど、「マンションの空気を入れ替えないと」、とかなんとか言って家を出た。
母には申し訳ないけれど、彼とは前から約束しているし、僕自身、一秒でも早く会いたくてしかたがない。それに、将来的にはわからないけれど、今はまだ、彼のことは話したくないのだ。
電車から降りると、彼はホームで待っていてくれた。通勤のときのコートとは違う、黒いピーコートがとてもおしゃれだ。
「仁さん!」
僕は思わず駆け寄る。誰もいなければ、抱き着きたいところだけれど。
「晴臣くん、会いたかったよ」
ああ、なんて素敵な笑顔。なんてパーフェクト・オブ・パーフェクトな僕の王子様。
「僕も……」
胸がいっぱいの僕に、彼が言った。
「さあ、行こうか」
小此木山に向かう電車は、別のホームだ。
つのる思いは、混んだ電車の中ではとても話せない。とは言っても、会わなかったのは三日ほどで、その間もメッセージでやり取りしていたのだけれど。
小此木山登山口駅に着き、人波に混じって出口に向かいながら、彼が言った。
「実家で過ごす年末年始はどうだった?」
「いつも通り。でも、お父さんがいつもみたいに嫌味を言うから、叔父さんに送った部屋の写真を見せたら黙っちゃった」
彼が微笑む。
「へえ、お母さんは?」
「にこにこして、『晴臣は、私に似て几帳面なところがあるから』って」
「ははっ、よかったね」
改札を抜けて、ケーブルカー乗り場に向かう。
「仁さんは? どうだった?」
「楽しかったよ。真子が髪を派手な色に染めて、叔母さんがぶつくさ言ってた」
「どんな色?」
「金髪に近い茶色だけどね」
「へえ。でも、真子さんならそういう色も似合いそう」
「えっ、真子の顔、知ってるの?」
彼が、驚いたようにこちらを向いた。
しまった。最初に「ササジン」に一目ぼれしたとき、真子さんのSNSをチェックしたことは言っていなかったのだ。