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第23話 豚カツ弁当

 朝目が覚めると、彼は出かけた後だった。起きられないかもしれないとは言ったけれど、それでも一応、起きるつもりでいたのに。


 本当に疲れていたのだなあと実感する。ふと昨夜のバスルームでのことを思い出し、顔が熱くなる。


 あんな大胆な彼も初めてだったけれど、それに対する自分の反応も初めてだった。まさか、あんな恥ずかしいことを……。




 しばらくの間、ベッドの中でぐずぐずした後、ようやく起き上がると、もうそろそろ9時だ。彼が出かけた後も、1時間以上眠りこけていたのか……。


 テーブルに置手紙がある。


―― トースターにパンがセットしてあるし、冷蔵庫にスープとサラダがあるから、スープはチンして食べて。


 お昼は冷凍庫に炊き込みご飯とグラタンとカレーがあるから、どれでも好きなものをサラダと一緒に食べて。


 冷蔵庫に入っているものも、なんでも食べても飲んでもいいからね。 仁



 僕は思わずにやける。置手紙も、その内容もうれしいけれど、初めて見た彼の字が意外とかわいかったのだ。


 この手紙、取っておこう。また一つ、新たな宝物ができた。




 その日は一日、彼が用意してくれたものを食べて、部屋でゴロゴロした。まるで自分の部屋みたいに、ベッドに寝転んでスマホを見たり、うとうとしたり。


 それはそれで、なんだか幸せだ。こういうことも、恋人がいなければできないわけだし。



 夜になった。叔父さんのマンションの僕の部屋にはテレビがないので、実に久しぶりにテレビのニュースを見ていると、スマホが震えた。


―― 遅くなってごめん。今から、前に一緒に行った豚カツ屋のお弁当買って帰るよ。


 すぐに返信する。


―― いいけど、今からお弁当買えるの?


 豚カツ屋はやっているだろうけれど、この時間にお弁当なんてあるんだろうか。すると、返信が来た。


―― 昼間のうちに予約しておいたんだよ。


 なるほど、さすがは優秀なビジネスマン。


―― そうなんだ。楽しみ!


―― じゃあ後で。


 へえ、うれしいな。彼と食べるなら、コンビニのお弁当だってカップラーメンだって十分にうれしいのに、わざわざ特別なお弁当を予約して買って来てきてくれるなんて。


 あー、やっぱり幸せだ。毎日毎日、幸せが目白押しだ……。




 数十分後、玄関のチャイムが鳴った。


「おかえりなさい」


 駆け寄ってドアを開けた僕を見て、彼が微笑む。


「ただいま、かわいいくまさん」


 今日は彼が買ってくれたテディベアの部屋着を着ているのだ。僕は、通勤カバンとお弁当の入った手提げを受け取りながら言う。


「おかえりなさい、優秀なビジネスマンさん」


 彼がきょとんとする。


「何それ」


「豚カツ屋さんのお弁当を予約して買って来るなんて、優秀なビジネスマンの仕事だなあと思って」


 僕の言葉に、彼があははと笑った。



「このお弁当、まだあったかいね」


 ほのかにいい匂いのする弁当を手提げから取り出してテーブルに置く。すると、彼が言った。


「受け取りに行く時間を指定すると、それに合わせて揚げてくれるんだよ」


「へえ、良心的。じゃあ僕、お茶を淹れるから、仁さんは着替えて」


 せっかくだから、冷めないうちに食べなくては。




 お弁当は、とてもおいしかった。食べながら、彼の会社の先輩の失敗談を聞いたり、久しぶりに見たテレビのニュースや天気予報の話をした。


 今日は別々にお風呂に入り、パジャマを着てベッドに落ち着いた。



 彼が、体ごとこちらに向き、僕の髪をもてあそびながら言う。


「今日は何してたの?」


「ずっとゴロゴロしてた。なんだか、自分の部屋みたいにくつろいじゃった。ご飯もおいしかったよ」


 彼がふふっと笑う。


「それならよかった。今朝、ホントにぐっすり眠ってて、ちっとも目を覚まさないから……」


 ちらりと見ると、先を続ける。


「よっぽど疲れたんだなあと思って、昨夜のこと、反省したよ。自分の欲望ばかり優先させて、気遣いが足りなかった」


「そんなことないよ」


 彼が悲しげに目を伏せる。


「でも、君のこと、心も体も、もっと大切にしないと。君は一緒に入るのを嫌がっていたのに……」


「別に嫌がっていたわけじゃないよ。ただ恥ずかしかっただけ。それに僕、体力がないから」


「だからこそ、そういうことにもっと配慮するべきだったんだ。君のこと、大切にしたいと思っているのに……」


 彼があまりにも悲しそうなので、僕は慌てていいつのる。


「仁さんは、いつも僕のこと、すごく大切にしてくれているよ。僕はそう思ってる。


 昨夜だって、すごくうれしかったし、あの、すごく……よかったよ。僕も興奮し過ぎて疲れちゃっただけ」


 ああ、顔が熱い。



 彼が僕を見る。


「ホント?」


「ホント。ええと、仁さんの気持ち、すごく伝わったし、体でも感じた」


 こんなことを言うのは初めてで、すごく恥ずかしい。だけど、彼が僕を愛してくれて、この僕の体でこんなに興奮しているのかと思うと、たまらなくうれしくて、僕も興奮したのだ。


「そうか……」


 ほっとしたように、彼が微笑んでくれた。よかった……。


 僕は、勇気を出して言ってみる。


「今日は、しないの?」


「……してもいいの?」


「もちろん」


「でも、昨夜、すごく激しくしたから、君の体が心配だよ」


「大丈夫だよ」


 今度も勇気を出して、僕からキスをする。唇が離れた後、彼が、濡れた瞳で僕を見つめながら言った。


「うんと優しくするから」




 翌朝は、いつものように出勤する彼と一緒に部屋を出て、いったんマンションに戻った。部屋の空気を入れ替え、掃除をして、夕方にはまた彼の部屋に向かう。


 30日まで、僕たちはそんなふうにして過ごした。毎日、とても楽しくて幸せだった。




 そして、大晦日の朝が来た。


 彼は準備をして、叔母さんの家へ、僕はいったんマンションに戻ってから、実家に向かう。しばしのお別れだ。


「仁さん」


 部屋を出る準備を整えた僕は、彼の胸にしがみついた。彼が、包み込むように背中に両腕を回してくれる。


「寂しいよ……」


 毎日一緒に過ごすのが当たり前のようになってしまい、ほんの数日でも離れるのが辛い。彼が言った。


「僕も寂しいけど、初詣、楽しみにしているよ」


 彼が東京に帰って来たら、一緒に初詣に行く約束をしているのだ。行先は、二人が初めて会った日にお参りした此木神社。


 それは、どちらからともなく言い出して決まった。思い出の場所だし、僕は、此木神社はとてもご利益があると思っている。


 あの日僕は、彼と「末永く仲良くできますように」とお願いしたのだ。付き合い始めて、まだ3ヶ月ほどだけれど、あのときは、まさかこんな未来が待っているとは夢にも思っていなかった。


 きっと毘沙門天さんが力を貸してくれたに違いない。



 顔を上げると、彼が優しくキスしてくれた。


「それに、毎日連絡するから」


「うん。僕も」


 ひとしきりキスとハグを繰り返した後、僕は後ろ髪を引かれる思いで部屋を後にした。

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