エレベーターに乗ったり、廊下に出たりするたびに、いちいち彼は驚いた。そして、部屋の前に着いて玄関を開けると。
「うわ、広い玄関。床は大理石だね」
「うん」
うなずく僕を見て、彼が言った。
「あれ、なんかニヤついてない?」
「えっ、そんなことないよ」
「いや、ニヤニヤしてる。庶民丸出しの僕をバカにしてるんでしょう」
「そんなことないよ」
そう言いながら、実は僕も自分がニヤニヤしていることを自覚している。
「でも、無邪気に驚く仁さんがかわいいとは思ってる」
「もう」
頬を膨らませる彼がまた、子供みたいでかわいい。
「さあ、上がって」
僕は、彼の前にスリッパを置く。
「おじゃまします」
「うわー……」
声を上げながら、そのまま彼は、広いリビングルームの突き当りのサッシまで歩いて行く。その先がベランダだ。
後からついて行った僕がサッシを大きく開けると、彼はベランダに出た。そして、ベランダの手すりにもたれながら辺りを見回す。
「すごいね」
僕も、彼の隣に並んで、眼下の街並みや空を見る。今日もいい形の雲が浮かんでいる。
彼が言った。
「あー、あのビル、晴臣くんの写真で見たのを覚えてるよ。あそこの木も」
「そう」
「へー、いつもここから空の写真を撮ってるのか」
「うん」
彼の反応がうれしい。彼にSNSをフォローされて以来、ずっと彼に見てもらうことだけを考えて写真を撮って来たのだ。
「あっ」
つぶやいて、彼がスマホを取り出した。
「僕も撮ろうっと」
そして、何枚か撮ってから、こちらを見て言った。
「この景色をバックに晴臣くんを撮りたいな」
「えっ?」
「ほら、ここにこっちを向いて立って」
「あっ、うん」
言われるまま、僕は手すりを背にして立つ。何枚か撮られてから、僕も言う。
「今度は仁さんが立って」
「ああ、わかった」
彼の手からスマホを受け取る。レンズ越しの彼はいつも通りに素敵だけれど、ここに彼が立っていることが、なんだか不思議だ。
この部屋にいるとき、僕はいつも一人ぼっちなのに……。感慨に浸りながら撮っていると、彼が言った。
「じゃあ、次は二人で撮ろうか」
「うん。後で僕のスマホに送ってね」
「オッケー」
あー、やっぱり幸せっ。
ひとしきり写真を撮った後、僕たちは、来る途中で買って来た食べ物と飲み物を持って僕の部屋に行く。今日は一日ここでごろごろする予定だ。
彼が見回しながら言う。
「これが晴臣くんの部屋か」
「なんだか恥ずかしいけど」
六畳の部屋は、ほかの部屋とは違って、「庶民的な」家具で小ぢんまりとまとまっている。
「でも、きれいに片付いているし、居心地がよさそうだね」
「うん。ほとんどの時間をこの部屋で過ごしているから」
「そう」
彼がやさしく微笑む。やっぱり、彼がここにいることが不思議だ。
初めてSNSで彼の写真を見つけたのも、この部屋でローテーブルの前に座っていたときだったっけ。
彼が、スーパーで買って来た総菜類をローテーブルの上に並べている。ここに来る前、いつも僕が行くスーパーに寄って来たのだ。
「晴臣くんがいつも買い物しているスーパーに行きたいな。晴臣くんのことならなんでも知りたいんだ」
彼のマンションを出て駅に向かいながら、そう言われた。スーパーの中を二人でカートを押して歩きながら買い物をするなんて、まるで新婚夫婦みたいだと思い、買い物をしている間中、ニヤニヤが止まらなかった。
「あっ、これこれ」
彼が、総菜の入った透明容器を手に取ってにっこり笑う。
それは、いつか彼に話したプチトマトのカプレーゼで、プチトマトとともにキューブ状のモッツァレラチーズが入った、見た目もかわいい一品だ。
ほかにも、僕がいつも買っている総菜やおにぎりが今日の昼ご飯だ。デザートは、これまた僕がよく買う、「手作りミルクプリン」。
僕の部屋で、いつもの食事を彼と一緒に食べるなんて、ホントに不思議な気分だ。でもでも、やっぱりすっごく幸せ。
食事をしながら、彼が言った。
「まだ少し先だけど、クリスマスはどうしようか」
「あ……」
大好きな人と過ごす初めてのクリスマス……。
「仁さん、その日は仕事でしょう?」
「うん。だから会えるのは夜になるけど」
「僕は、その日仁さんと過ごせるだけで幸せ」
「僕もだよ。でも、大切な日だから、何か特別なことをしたいな」
彼はパクリとおにぎりをかじり、もぐもぐしながら考える顔になる。その様子がかわいいし、彼が、僕と過ごすクリスマスについて考えているというだけで、もう十分幸せだ。
彼が、ペットボトルのお茶をゴクリと飲んでから口を開く。
「どこかレストランで食事する? 今から予約すれば大丈夫なんじゃないかな」
「うん……」
「あれ、あんまり気が進まない?」
「そういうわけじゃないけど」
素敵なレストランで、キャンドルの灯りに照らされながら彼と食事するところを想像してみる。まるで映画のワンシーンみたいだけれど……。
「なんだか、ちょっと緊張しちゃうっていうか」
僕の言葉に、彼がふふっと笑った。
「晴臣くんらしいなあ。僕も、どうしてもレストランで食事したいっていうわけじゃないよ。
いつもみたいに僕の部屋で過ごしたっていいんだ。あっ、じゃあさ、少し前の週末にでも一緒に買い物に行って、部屋にクリスマスの飾りつけをして、当日は二人きりのクリスマスパーティーっていうのはどう?」
「あ……。すごくうれしいけど、仁さんはホントにそれでいいの?」
彼がレストランで食事するのがいいならば、緊張はするけれど、僕もそのほうが。そう思っていると、彼がにっこり笑った。
「もちろんいいよ。君はいい子だね」
「え?」
「いつも僕の気持ちを気遣ってくれて」
「そんな……」
僕は思わずうつむく。
「そんな立派なことじゃないよ。ただ僕は、仁さんに嫌われるのが怖くて……」
彼に嫌われたら、辛すぎて生きて行けないと思うからだ。すると、彼が静かな声で言った。
「僕は、そんなに簡単に君を嫌いになったりしないから、安心して。君の全部をひっくるめて愛しているし、むしろ、もっとわがままを言ってくれてもいいくらいだよ」
「あ……」
優しい言葉に、つい涙ぐんでしまう。
「君はホントにかわいいねえ」
しみじみと言われて、涙がこぼれる。こんなに素敵で大好きな人が、こんなに僕を思ってくれている。
涙を拭っている僕の前で、彼は、再びおにぎりを手に取って楽しそうに言った。
「いやー、今年は久々に楽しいクリスマスになるなあ」
うれしい。僕に取っては、間違いなく生まれてから一番楽しいクリスマスだ。彼が、僕に微笑みかける。
「ほら、晴臣くんも食べよう」
「うん」
「このおにぎり、おいしいね。それにカプレーゼも、この玉子焼きも。
ここのスーパーのお惣菜、けっこうレベル高いんじゃない?」
彼はきれいな顔でにこにこしている。あー、こんなに幸せでいいんだろうか……。