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第14話 温かい手

 やがて、シャワーを浴びてパジャマに着替えた彼がやって来た。上気した肌が妙になまめかしくて、僕は再びドキドキし始める。


 彼が、ベッドに入って来る。いったい、僕はどうしたらいいのだ。


 彼が、枕に頭を載せながら言った。


「今日はいろいろなことがあったね」


「うん」


「まさか、こんなことになるとは思わなかったけど」


「僕も」


 彼が、顔をこちらに向けた。


「本当に、僕でいいの?」


「え?」


 それはこっちのセリフだよ。


「考えてみたら、なんだか僕一人で暴走して、一方的に話を進めちゃった気がするんだけど」


「そんなことは……」


「晴臣くん、優しいから、もしかしたら断りきれなかったのかな、なんて」


「そんなこと!」


 思わず横を見ると、あまりにも顔が近過ぎて、あわてて上に向き直りながら、僕は言った。


「そんなことないです。じゃなくて、ないよ」


 敬語はやめたんだった。


「僕、実を言うと、仁さんのSNSの写真を見て、一目惚れしたんだ」


「そうなの?」


「うん。あの、猫を抱いた写真。とっても素敵な人だなあと思って。それで「いいね」とフォローをした。


 だから、仁さんがフォロバしてくれたことも、コメントしてくれたこともすごくうれしかったし、DMも、小此木山に行ったことも、その後のことも、全部全部、すごくうれしかった。


 それに、今日、恋人同士になったことも」


「そうか……」



 僕は、虚空を見つめる彼をちらりと見てから続ける。


「仁さんこそ、僕でいいの? 僕、男だけど、本当にいいの?」


 彼の手が伸びて来て、僕の頬に触れた。


「もちろんだよ。もしかすると、小此木山で初めて見たときから好きだったのかもしれない」


「え……」


 過去を思い出す目になって、彼が話す。


「駅の改札を出たとき、僕のことをじっと見つめていたから、『あれが空っぽさんだ』って、すぐにわかったよ。なんとなくイメージしていたより、ずっと華奢であどけない感じで、僕を見つめる表情も、すごくかわいいなあっていうのが第一印象」


 彼は、僕の頬に触れたまま、親指で、すっと目の下あたりをなぞる。


「その後も、話したり、一緒に写真を撮る間も、ずっとかわいいなあと思っていた」


「恥ずかしい……」


「僕がかわいいと思ったこと?」


「それもだし、今も」



 ふっと笑って、彼が手を離す。


「そういうところもかわいいけど」


「そんな……。そんなこと、言われたことないし、自分でも、かわいいなんて思ったことない」


「でも、僕はかわいいと思っているし、君のことが大好きだよ。だから恋人になってほしいって言ったんだ」


「だけど……」


 めんどくさいやつだと思われるかもしれないし、もしかしたら嫌われてしまうかもしれないけれど、ダメージが大きくなる前に、どうしても聞いておかなければならないことがある。


「何?」


「あの、すごく言いにくいけど、つまり、仁さんは、男同士で、気持ち悪くないの?」


「もしかして、セックスのこと?」


 セ……! な、なんてストレートな。


「あっ、まあ、そうっていうか……」


 言ったそばから激しく後悔して、泣きたくなった。だが、彼はあっけらかんと言う。


「それはまあ、今まで男同士ですることは想定していなかったし、もちろんしたこともないけど、君は特別だよ。気持ち悪いなんて思わない。


 でも、たしかに、具体的にどうするかっていうことになると……」


 少しの間、考え込むような顔をしてから、彼は、僕に向かって言い放った。


「晴臣くんは、僕にどうしてほしい? 君が好きなようにするから」


「わ……!」


 途端に顔が熱くなる。


「そんなの、わからないよ。だって、僕、したことないから」


「あっ……そうか」


「だって僕にとっては、仁さんが初めての恋人なんだもん」


 あーもう、何を言わせるんだ。恥ずかし過ぎて耐えられない。


 思わず掛け布団を被ると、彼が言った。


「ごめん。デリカシーがなかったね。君を傷つけるつもりはなかったんだ」


 別に、傷ついたわけではないけれど。さらに彼は言う。


「そのことについては、これから二人で勉強して行こう。とにかく、君のことを気持ち悪いなんて思わないし、君のことを欲しいと思っているのは事実だよ。


 だけど、それだけが目的ってわけじゃないし、君が嫌なことはしたくない。本当に、君を大切にしたいし、ずっと一緒にいたいんだ」


 あ……。



 僕は、布団から顔を出した。


「めんどくさいことを言ってごめんなさい。僕、仁さんに嫌われるのが怖くて……」


 彼は優しく微笑む。


「君のことを嫌いになんかならないよ。正直な気持ちを話してくれて、とてもうれしい。


 僕のほうこそ、君に嫌われたくないよ。ねえ、今夜は手をつないで寝ようか」


「……うん」


「じゃあ、電気を消すよ」


「うん」



 部屋が暗くなった。


 彼の温かい手が、僕の手を包み込む。僕は、その手の指に、自分の指を絡ませた。


 こんなの、初めて。ああ、切ないくらいに幸せだ……。




 僕は、朝の満員電車に揺られながら、今朝からのことを思い出す。



 ふと目を覚ますと、すでに彼は起きていて、朝食の支度をしているところだった。


 あわてて起き上がった僕を見て言う。


「おはよう。もうすぐに出来るから、顔を洗っておいで」


 僕はベッドを出ながら言った。


「おはよう。寝坊しちゃった」


 彼は微笑む。


「いいんだよ。支度が出来たら起こすつもりだったんだから」


 部屋にはオムレツのいい匂いが漂っている。




 彼は出勤の支度があるので、後片付けは僕が引き受けた。彼はパジャマ姿もセクシーだったけれど、スーツを着た姿は、やっぱり最高にカッコいい。


 玄関に向かう彼をうっとりと眺めていると、靴を履いた彼が、こちらを見て言った。


「忘れ物はない?」


「うん」


「じゃあ、ちょっと来て」


 言われるままそばに行くと、僕の両肩に手を置いて、ちゅっとキスしてくれた。こういうのに慣れていない僕は、やっぱり恥ずかしくてうつむいてしまう。


 優しくハグしてくれてから、彼が言った。


「さあ行こう」




 昨日の夕方、二人で歩いた駅までの道を、もう一度歩く。


 なんだか、とても不思議な気持ちだ。昨日この道を歩いたときは、二人はまだ、SNSで知り合って、何度か会っただけの間柄だった。


 僕は、密かに彼に片思いしていただけだったし、彼のことを「笹垣さん」と呼んで、敬語で話しかけていたのだ。それが、今は恋人同士になって、昨夜は手をつないで寝たし、キスも二回した。


 それ以上のことは、今はまだしていないけれど、それでも、彼も僕と同じ気持ちでいてくれたことがたまらなくうれしい。正直なところ、今もまだ実感がわかないけれど。



 駅に着き、反対方面の電車に乗る僕たちは、改札を入ったところで別れることになる。彼が言った。


「思いのほか長く一緒に過ごせて、とても楽しかったよ」


「僕も」


「それじゃ、また連絡するから」


「うん」


 やっぱり名残り惜しいけれど、恋人同士になった今は、これまでとは気持ちが全然違う。これから何度だって一緒に過ごせることがわかっているのだから。でも。


「ちょっと待って」


 手を振って立ち去ろうとした彼を、僕は思わず呼び止めた。


「うん?」


「仁さんが乗る電車が来るまで、ホームで一緒に待つ。僕は急ぐ用事もないし」


 彼が微笑んだ。


「そうか。じゃあ、そうしてもらえるとうれしいな」

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