やがて、シャワーを浴びてパジャマに着替えた彼がやって来た。上気した肌が妙になまめかしくて、僕は再びドキドキし始める。
彼が、ベッドに入って来る。いったい、僕はどうしたらいいのだ。
彼が、枕に頭を載せながら言った。
「今日はいろいろなことがあったね」
「うん」
「まさか、こんなことになるとは思わなかったけど」
「僕も」
彼が、顔をこちらに向けた。
「本当に、僕でいいの?」
「え?」
それはこっちのセリフだよ。
「考えてみたら、なんだか僕一人で暴走して、一方的に話を進めちゃった気がするんだけど」
「そんなことは……」
「晴臣くん、優しいから、もしかしたら断りきれなかったのかな、なんて」
「そんなこと!」
思わず横を見ると、あまりにも顔が近過ぎて、あわてて上に向き直りながら、僕は言った。
「そんなことないです。じゃなくて、ないよ」
敬語はやめたんだった。
「僕、実を言うと、仁さんのSNSの写真を見て、一目惚れしたんだ」
「そうなの?」
「うん。あの、猫を抱いた写真。とっても素敵な人だなあと思って。それで「いいね」とフォローをした。
だから、仁さんがフォロバしてくれたことも、コメントしてくれたこともすごくうれしかったし、DMも、小此木山に行ったことも、その後のことも、全部全部、すごくうれしかった。
それに、今日、恋人同士になったことも」
「そうか……」
僕は、虚空を見つめる彼をちらりと見てから続ける。
「仁さんこそ、僕でいいの? 僕、男だけど、本当にいいの?」
彼の手が伸びて来て、僕の頬に触れた。
「もちろんだよ。もしかすると、小此木山で初めて見たときから好きだったのかもしれない」
「え……」
過去を思い出す目になって、彼が話す。
「駅の改札を出たとき、僕のことをじっと見つめていたから、『あれが空っぽさんだ』って、すぐにわかったよ。なんとなくイメージしていたより、ずっと華奢であどけない感じで、僕を見つめる表情も、すごくかわいいなあっていうのが第一印象」
彼は、僕の頬に触れたまま、親指で、すっと目の下あたりをなぞる。
「その後も、話したり、一緒に写真を撮る間も、ずっとかわいいなあと思っていた」
「恥ずかしい……」
「僕がかわいいと思ったこと?」
「それもだし、今も」
ふっと笑って、彼が手を離す。
「そういうところもかわいいけど」
「そんな……。そんなこと、言われたことないし、自分でも、かわいいなんて思ったことない」
「でも、僕はかわいいと思っているし、君のことが大好きだよ。だから恋人になってほしいって言ったんだ」
「だけど……」
めんどくさいやつだと思われるかもしれないし、もしかしたら嫌われてしまうかもしれないけれど、ダメージが大きくなる前に、どうしても聞いておかなければならないことがある。
「何?」
「あの、すごく言いにくいけど、つまり、仁さんは、男同士で、気持ち悪くないの?」
「もしかして、セックスのこと?」
セ……! な、なんてストレートな。
「あっ、まあ、そうっていうか……」
言ったそばから激しく後悔して、泣きたくなった。だが、彼はあっけらかんと言う。
「それはまあ、今まで男同士ですることは想定していなかったし、もちろんしたこともないけど、君は特別だよ。気持ち悪いなんて思わない。
でも、たしかに、具体的にどうするかっていうことになると……」
少しの間、考え込むような顔をしてから、彼は、僕に向かって言い放った。
「晴臣くんは、僕にどうしてほしい? 君が好きなようにするから」
「わ……!」
途端に顔が熱くなる。
「そんなの、わからないよ。だって、僕、したことないから」
「あっ……そうか」
「だって僕にとっては、仁さんが初めての恋人なんだもん」
あーもう、何を言わせるんだ。恥ずかし過ぎて耐えられない。
思わず掛け布団を被ると、彼が言った。
「ごめん。デリカシーがなかったね。君を傷つけるつもりはなかったんだ」
別に、傷ついたわけではないけれど。さらに彼は言う。
「そのことについては、これから二人で勉強して行こう。とにかく、君のことを気持ち悪いなんて思わないし、君のことを欲しいと思っているのは事実だよ。
だけど、それだけが目的ってわけじゃないし、君が嫌なことはしたくない。本当に、君を大切にしたいし、ずっと一緒にいたいんだ」
あ……。
僕は、布団から顔を出した。
「めんどくさいことを言ってごめんなさい。僕、仁さんに嫌われるのが怖くて……」
彼は優しく微笑む。
「君のことを嫌いになんかならないよ。正直な気持ちを話してくれて、とてもうれしい。
僕のほうこそ、君に嫌われたくないよ。ねえ、今夜は手をつないで寝ようか」
「……うん」
「じゃあ、電気を消すよ」
「うん」
部屋が暗くなった。
彼の温かい手が、僕の手を包み込む。僕は、その手の指に、自分の指を絡ませた。
こんなの、初めて。ああ、切ないくらいに幸せだ……。
僕は、朝の満員電車に揺られながら、今朝からのことを思い出す。
ふと目を覚ますと、すでに彼は起きていて、朝食の支度をしているところだった。
あわてて起き上がった僕を見て言う。
「おはよう。もうすぐに出来るから、顔を洗っておいで」
僕はベッドを出ながら言った。
「おはよう。寝坊しちゃった」
彼は微笑む。
「いいんだよ。支度が出来たら起こすつもりだったんだから」
部屋にはオムレツのいい匂いが漂っている。
彼は出勤の支度があるので、後片付けは僕が引き受けた。彼はパジャマ姿もセクシーだったけれど、スーツを着た姿は、やっぱり最高にカッコいい。
玄関に向かう彼をうっとりと眺めていると、靴を履いた彼が、こちらを見て言った。
「忘れ物はない?」
「うん」
「じゃあ、ちょっと来て」
言われるままそばに行くと、僕の両肩に手を置いて、ちゅっとキスしてくれた。こういうのに慣れていない僕は、やっぱり恥ずかしくてうつむいてしまう。
優しくハグしてくれてから、彼が言った。
「さあ行こう」
昨日の夕方、二人で歩いた駅までの道を、もう一度歩く。
なんだか、とても不思議な気持ちだ。昨日この道を歩いたときは、二人はまだ、SNSで知り合って、何度か会っただけの間柄だった。
僕は、密かに彼に片思いしていただけだったし、彼のことを「笹垣さん」と呼んで、敬語で話しかけていたのだ。それが、今は恋人同士になって、昨夜は手をつないで寝たし、キスも二回した。
それ以上のことは、今はまだしていないけれど、それでも、彼も僕と同じ気持ちでいてくれたことがたまらなくうれしい。正直なところ、今もまだ実感がわかないけれど。
駅に着き、反対方面の電車に乗る僕たちは、改札を入ったところで別れることになる。彼が言った。
「思いのほか長く一緒に過ごせて、とても楽しかったよ」
「僕も」
「それじゃ、また連絡するから」
「うん」
やっぱり名残り惜しいけれど、恋人同士になった今は、これまでとは気持ちが全然違う。これから何度だって一緒に過ごせることがわかっているのだから。でも。
「ちょっと待って」
手を振って立ち去ろうとした彼を、僕は思わず呼び止めた。
「うん?」
「仁さんが乗る電車が来るまで、ホームで一緒に待つ。僕は急ぐ用事もないし」
彼が微笑んだ。
「そうか。じゃあ、そうしてもらえるとうれしいな」