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第12話 告白

 彼の仕事の話などを聞いた後、僕は思い切って言ってみた。


「あの、少し立ち入ったことを聞いてもいいですか?」


「うん?」


 マグカップを口に運びながら、彼は眉を上げる。


「あの、小此木山に行ったときに、何年も彼女はいないって言っていましたけど」


「ああ、そうなんだよ」


「あのときも言ったと思いますけど、笹垣さん、すごく素敵でモテそうなのに、どうしてかなって。


 あの、ずうずうしくてすいません。イヤだったら答えなくていいんですけど」


 彼は微笑む。


「一言で言うと、出会いがないってことかな。学生時代には、けっこう本気で付き合っていた人がいたんだけどね」


「あ……」


 この先は、とても気になるのと同時に、なんだか聞くのが怖い。



 彼が、カタンとマグカップをテーブルに置いた。


「同じサークルの同級生で、一年から卒業間近まで付き合って、僕としては、この先もずっと、なんて思っていたんだけど」


 そこで言葉を切って、ふっと笑う。


「なんと、二股をかけられていてさ」


「えっ!?」


「もう一人は社長の息子だとかで、卒業したらその人と結婚するって言われて振られたんだよ」


「そんな、ひどい……」


 社長の息子だろうがなんだろうが、絶対彼のほうが素敵に決まっているし、彼と一緒になったほうがずっとずっと幸せになれる決まっているのに、なんてバカな女なんだ。


 そのときの彼の気持ちを思うと、胸が痛い。


「あっさり騙されて、疑いもしなかった僕が間抜けだったんだよ。後から思い返せば、ドタキャンされたり、見慣れないアクセサリーを着けていたりしたことが何度もあったんだよね」


「笹垣さんは、間抜けなんかじゃないですよ!」


 彼はあっけらかんとした表情で話しているけれど、僕は腹が立って、なぜだか涙までこみ上げる。そんな僕を見て、彼は微笑んだ。


「ありがとう。でも、もう過去の話だし、とっくに吹っ切れてるから」


 僕は、こぼれた涙をあわてて拭う。


「そのことで傷ついて、恋愛するのが怖くなったんですか?」


 僕がそう言うと、彼は声を上げて笑った。


「そうじゃないよ。もちろん、事実を知ったときはショックだったけど、ホントに彼女のことはもう吹っ切れているし、仕事が忙しくて出会いがないだけだよ」


 上目遣いに見ていると、彼が真面目な顔になって言った。


「笑ったりしてごめん。僕のために泣いてくれてありがとう」


「あっ、いえ。僕のほうこそ、なんかすいません」


 驚いた。こんな素敵な人が、そんな辛い経験をしていたなんて。


 モテてモテてしょうがない人生を送ってきたのだとばかり思っていたのに。人は見かけだけではわからないというのは本当だ。




 一緒に食事の後片付けをしてから、ベッドを背にして床に座って、テレビでネットのドラマを見た。僕は普段、あまりドラマは見ないのだけれど、それはサスペンスタッチのミステリーで、手に汗握る展開にドキドキした。


 すぐ隣に彼が座っていることにもドキドキしたけれど、一つのベッドで一緒に寝た後なので、ドキドキにも若干の余裕がある、なんていうのも変な話だが、とにかく、昨日からずっと夢の中にいるみたいな不思議な気分だ。



 三時頃、昨日僕が買って来たケーキでお茶にした。一緒に後片付けをした後、僕は切り出した。


「じゃあ、そろそろ」


「あっ、もう帰る?」


「はい」


 名残り惜しいけれど、彼は明日仕事があるし、そろそろおいとましなくては。すると、彼が言った。


「じゃあ、ちょっと待ってて」


「あっ、はい」




 彼は、クリームシチューの残りを保存容器に詰めてくれたのだ。


「残り物で悪いけど、今日明日くらいなら大丈夫だと思うし、帰ってすぐに冷凍して、何もないときにチンして食べてもらってもいいし」


「ありがとうございます……」


 優しい心遣いも、また彼のクリームシチューが食べられることも、すごくうれしい。保存容器を紙の手提げ袋に入れて渡してくれながら、彼が言った。


「駅まで送るよ」


「そんな、いいんですか?」


 彼が微笑む。


「僕が送りたいんだよ」


 ああ、胸がきゅんきゅんするっ。




 肩を並べて、駅までの道をゆっくりと歩く。永遠にこのまま歩いていられたらどんなにいいだろうと思ったけれど、やがて、無情にも(ってことはないのだが)駅が見えて来た。


「あの、ホントにありがとうございました。いろいろ迷惑かけちゃって申し訳なかったですけど、料理、すごくおいしかったし、笹垣さんと一緒に過ごせて、すごく楽しかったです。


 お土産までいただいちゃって」


 シチューの手提げを掲げて見せると、彼が言った。 


「お土産ってほどでもないけど。僕も、すごく楽しかったよ。


 ケーキもおいしかった。こちらこそ、どうもありがとう」



 話しているうちに、とうとう駅に着いてしまった。やっぱりまだ、別れたくない。


「あの」


 顔を上げると、優しい目が見つめている。


「あの、僕……」


 どうしよう。おかしなことを言って嫌われたくない。でも。


「まだ、帰りたくない」


 あー、言ってしまった。



 すると、彼が思いもよらないことを言った。


「じゃあ、部屋に戻る?」


「……え?」


「実は話したいことがあるんだ。ここじゃなんだから、僕の部屋に戻ろう」


 そして、僕の手を掴んでズンズンと来た道を戻り始める。


「あっ、ちょ、ちょっと」


 何? この展開。




 そのまま彼のマンションまで早足で戻り、ドアを開けた彼が、キリリとした表情で言った。


「入って」


 いつも優しい彼が、いつになく男っぽくて力強くて、それはそれできゅんとするのだけれど。



 中に入ると、彼がダイニングテーブルを指して言った。


「座って」


「はい」


 二人とも、息が弾んでいる。僕は、クリームシチューの保存容器が入った手提げ袋をテーブルの端に置いて、椅子に腰かける。


 彼も、テーブルの向かい側の椅子に座った。話したいことって、いったい……。



 息が整ったところで、ようやく彼は口を開いた。


「いつか言わなくちゃいけないって思っていたんだ」


「……はい」


 そこで彼は、ちょっと目を伏せる。


「その前に、ちょっと前置きっていうか、確認しておきたいことがあるんだけど、いいかな」


「はい。なんでもどうぞ」


「今朝の話のことなんだけど」


「はい」


 いろんな話をしたけれど、どのことだろうか。


「僕が失恋した話をしたよね」


「はい」


「それで君は、そのことで傷ついて、恋愛するのが怖くなったのかって聞いたよね」


「はい」


「でも、今朝も言ったように、そのことはもう、過去のこととして気持ちの整理がついているし、引きずっていることもなければ、彼女に未練があるわけでもない」


「はい」


「だから、それで女性不信になったということもない。本当に、出会いの機会がなかっただけで。


 だからこれは、そういうこととは一切関係ないんだ」


「はい」


 それはよくわかったけれど、いったい、何が言いたいんだろう。



 彼が、ふーっと息を吐いて、髪をかき上げる。覗いたおでこもきれいだ。


「それで、僕が言いたいのは」


「はい」


「言っていいものかどうか、ずいぶん迷ったんだけど」


「はい」


 彼が、真剣な目でじっと僕を見つめる。


「気がついたときには、君のことが好きになっていたんだ」


「……え?」


 僕は、ぽかんとして彼の顔を見つめ返す。言葉の意味がなかなか頭に入って来ない。


 めずらしく、彼の頬が赤らんでいる。


「こんなことを言って、君に引かれるのはイヤだと思ったけど、僕の勘違いじゃなければ、もしかしたら晴臣くんも、同じ気持ちなんじゃないかって……」


「あ……」


 僕の頬も熱くなる。やっぱりそうか。


「気づいてましたか?」


「いやまあ、なんとなく、ね」

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