ご飯と味噌汁がついた豚カツ定食は、山盛りのキャベツの千切りの手前に、食べやすくカットされた大きな豚カツが置かれていて、かなりのボリュームだ。
「おいしそう!」
思わず歓声を上げると、彼が言った。
「衣がサクサクで、中はジューシーで柔らかいんだ」
「いただきます」
ソースをかけると、スパイシーな香りが立ちのぼって、ますます食欲をそそる。まずは味噌汁を一口飲んでから、箸で豚カツを一切れ取って食べる。
「……おいしい!」
箸を手にした彼が、にこにこしながら僕を見ている。幸せだ……。
食べながら、彼が言う。
「普段は、どんなふうに過ごしているの?」
「えぇと……」
朝起きて、天気がよければベランダに出て空の写真を撮ることや、毎日の掃除のこと、部屋を汚したり傷つけたりしないように気をつけていることなどを話す。
「あとは、スーパーとかコンビニに行くくらいで、たまに実家にも帰りますけど」
「そうなんだ」
彼は、ふんふんとうなずいている。
「友達もいないし、地味で面白味のない生活です」
「そんなことないよ。掃除なんかも、ちゃんと考えながらやっていて、僕はえらいなあと思って聞いていたよ。
一人でも規則正しく生活しているのは立派だと思うけど」
「あっ、ありがとうございます」
まさか、ほめてもらえるとは思っていなかったので、うれしいけれど、ちょっと照れくさい。
「笹垣さんは、休みの日とか、どんなふうに過ごしているんですか?」
彼は苦笑する。
「休みの日は寝坊して、たまった洗濯をしたり掃除したりして、ちょっと買い物に行って、あとはグダグダしてるうちに、結局何もしないまま終わっちゃうんだよね」
「お仕事、忙しいですもんね」
ほぼニートで、有り余るほどの時間がある僕とは、わけが違う。
「一応、趣味は料理なんだけどね」
「あっ、SNSのプロフに書いてありますもんね」
すると、彼が思いがけないことを言った。
「そうだ、今度、僕の料理を食べに来ない?」
「えっ……」
そっ、それはつまり、彼の部屋に、お呼ばれするということか?
固まっている僕を見て、彼が言った。
「もちろん、迷惑じゃなかったらの話だけど」
「めっ、迷惑だなんて、そんなはずないじゃないですかっ! 笹垣さんの料理、食べたいです」
「ホントに?」
「ホントですホントです。ホントに決まってるじゃないですかっ。
すごくうれしいけど、僕なんかがお部屋におじゃましちゃっていいのかなって思って」
彼が微笑む。
「もちろん、大歓迎だよ。晴臣くんが食べに来てくれるなら、僕も気合い入れて作るし」
「あ……」
う、うれしい。うれし過ぎる。この僕に手料理をごちそうしてくれるなんて。
食事が終わり、席を立つときに、伝票を手にしながら彼が言った。
「今日は急に呼び出して付き合ってもらっちゃったから、僕にごちそうさせて」
「そんな、ダメですよ。今度手料理をごちそうしてもらうんですから」
彼が笑う。
「晴臣くんって、ホントに真面目で律義だね」
「……変ですか?」
「そんなことないよ。とても素敵だと思うよ」
また、そんなことを。僕をどこまでメロメロにさせれば気が済むんだっ。
心の中で激しく悶えているうちに、彼はさっさとレジに向かって歩いて行ってしまった。
店を出て、僕は言った。
「すいません。あんなこと言いながら、ごちそうになっちゃって」
「いいよ、気にしないで。すごく楽しかったし、僕が一緒に食べたかったんだから」
あっ……! またもハートを撃ち抜かれる。
なんだって、そんなに次々と甘いセリフを発するんだ。勘違いしてしまうではないかっっ。
会うたび、と言っても、今日で二度目だけれど、その姿を見るたび、何か言われるたび、どんどん彼を好きな気持ちが大きくなっていく。
彼は、帰ってから仕事の報告書をまとめるということで、そのまま駅に戻った。反対方向の電車に乗るので、改札を入ったところで別れる。
「それじゃ、また連絡するよ」
「はい。今日はごちそうさまでした。豚カツ、すごくおいしかったです」
豚カツがおいしかったのは本当だけれど、彼が誘ってくれて、彼と話しながら食べたことが、すごくすごくうれしかった。
小此木山に行ったときは、別れるのがとても寂しかったけれど、今日は、また会えるとわかっているので、とても幸せな気持ちだ。
それでもやっぱり、早くまた会いたい。彼の部屋に行くなんて、うれしいけれどどうしよう。今からドキドキする……。
別れ際、僕は思い切って言った。
「笹垣さん、スーツ姿もとても素敵ですね」
あー恥ずかしい。顔が熱い。彼は爽やかな笑顔で言った。
「ありがとう」
ふわふわした気持ちのまま、僕は電車に揺られる。
別れ際、跨線橋の階段に向かう僕に、彼は笑顔で手を振ってくれた。なんだか照れくさくて、僕はぺこりとお辞儀をして歩き出した。
階段の手前で振り返ると、彼はまだこちらを見ていて、再び手を振ってくれたので、今度は僕も振り返した。まるでデートの別れ際みたいで、胸がきゅんきゅんした。
部屋にお呼ばれするなら、やっぱりまた服を買わなくちゃ。もしかして、これから何度も会うなら、何枚も買わなくちゃ……。
週末の朝起きると、体調は最悪だった。頭も痛いし喉も痛い。
多分、風邪を引いたのだ。緊張して眠れなくて、夜中にベランダに出て夜空を眺めたのがいけなかった。
今日は、初めて彼の部屋に行って、手料理をごちそうになる記念すべき日だというのに。なんとか約束の午後までに体調を戻さなくては。
僕は、熱いお茶とともにコンビニのおにぎりで朝ご飯にした後、市販の風邪薬を飲んだ。今年の春、このマンションに越して来るときに、母が持たせてくれたものだ。
夕飯をごちそうになる約束なので、待ち合わせは昼過ぎだ。ああ神様、午後までに、どうか治りますように……。
今日は掃除も洗濯も休んで、ベッドに入って安静に過ごすことにする。こんな大切な日に風邪を引くなんて、僕はなんて間抜けなんだろう。
彼の部屋に行くことを考えると、ドキドキが止まらなくて体が火照ってしょうがないので、夜風に当たってクールダウンしようと思ったのだったが、過度に冷やし過ぎてしまったようだ。
あーもう、バカバカっ。
残念なことに、午後になっても体調は回復しなかったけれど、もう一度風邪薬を飲んで、僕は新しく買った服を着て家を出る。あとは気合いでなんとかするしかない。
手土産に、駅前でケーキを買う予定だ。甘いものが好きかどうか確かめそこねてしまったので、あまりクリームたっぷりなものではなく、さっぱりとして大人の口にも合うようなものを……。
駅の改札を出ると、彼が待っていてくれた。ブルーのチェックのシャツの上にオフホワイトのコットンのセーターを重ねていて、とても爽やかで素敵だ。
「晴臣くん」
優しい笑顔にクラクラするが、このクラクラは、もしかすると体調のせいもあるかもしれない。
「こんにちは、今日はお招きありがとうございます」
そう言った僕を見て、彼の表情がくもった。
「あれ、ちょっと顔色がよくないんじゃない?」
す、鋭い。隠すのはよくないと思い、僕は正直に話す。
「たいしたことないんですけど、昨夜、体を冷やして風邪を引いたみたいで……」
「えっ、じゃあ、無理に来てもらって悪かったかな」
「いえ、そんなっ。僕がバカなんです。バカは風邪引かないっていうのに、バカだから引いちゃって……。
あっ、いえ、それに、今日すごく楽しみにしいてたし、ホントにたいしたことないので気にしないでください」
彼が、心配そうな顔で言った。
「そう? じゃあ、とりあえず行こうか。ちょっと歩くよ」