もしもいると言われたらショックだし、会って数分でこんなことを聞くのはずうずうしいと思うけれど、ずっと気になっていたので、思い切って聞いてみた。
「いないよ」
「えっ?」
思わず顔を見ると、彼はあっけらかんと言った。
「もう何年も彼女はいないんだ」
「あっ……そうなんですか」
僕はうれしさを隠して言う。
「笹垣さん、めっちゃイケメンだし優しいから、モテるんじゃないかと思って」
彼は笑う。
「ははっ、そんなことないよ。全然モテないって」
「えっ、そうなんですか? 気づいてないだけなんじゃないですか?」
「よく言うよ。そういう晴臣くんはどうなの?」
「えっ、彼女ですか?」
「うん」
「いませんよ。僕、ヘタレだし、挙動不審だし、まったくモテないです」
「またまた。君こそ気づいてないだけなんじゃないの?」
「ないですないです」
僕はブンブンと首を横に振る。モテないのは事実だし、僕がほしいのは彼女じゃなくて……。
もちろん、本当の気持ちを彼に伝えるつもりはないけれど。
「わあ……!」
山登りは疲れたけれど、天気のいい今日、頂上からの景色は最高だった。
「あれ、あそこに見えるの、富士山じゃない?」
「ホントだ!」
空に浮かぶ雲も素敵だ。僕は、スマホを構えてバシバシ写真を撮る。
富士山越しの空なんて、最高じゃないか。隣で、彼も写真を撮っている。最高じゃないかっ。
僕は、さりげなく横を向いて、彼越しの空も撮る。もちろん、これは自分で楽しむ用(?)で、SNSには投稿しない。
不意に、彼がこちらを見て言った。
「空をバックに撮ってあげるよ」
すかさず僕は言った。
「じゃあ、笹垣さんも一緒に」
「うん」
彼が、僕の隣にやって来る。わーい、またツーショットだぁ。
最初は緊張のあまりあたふたしてしまったけれど、ほんの少しだけ、彼と一緒にいることに慣れて来たみたいだ。
そろそろ昼が近い。写真はいったん休憩ということにして、僕たちは、お昼ご飯を食べるために、土産物店に向かう。
土産物を並べた店の奥が食堂になっていて、家族連れやシニアのグループが食事をしている。入って行くと、エプロンを着けた中年女性が笑顔で近づいて来た。
「いらっしゃいませ。お食事ですか?」
「はい」
「それじゃ、席にご案内しますね」
窓際の席に案内された僕たちは、メニュー表に目を落とす。窓の外には、近隣の山並みが連なっている。
「山菜蕎麦か、天ぷら蕎麦にしようかなあ」
「蕎麦、いいですね。僕も蕎麦にしようかな」
特に理由はないけれど、山の食堂で食べるのは、蕎麦が合っているような気がする。二人とも、天ぷら蕎麦を注文した。
蕎麦が出て来るのを待っている間、僕は窓から見える空を撮る。やっぱり山並みと空は相性がいい。
しばらく無心に撮っていると、彼が言った。
「晴臣くんは、ホントに空を撮るのが好きなんだね」
思わず顔を向けると、彼は優しい微笑みを浮かべて僕を見ている。急に恥ずかしくなって、僕はうつむく。
「これしか、出来ることがないから」
「でも、君の写真、僕は好きだな。同じ空でも、どこかほかの人の写真とは違う気がするんだ」
「そんなこと、ないと思いますけど」
「そんなことあるよ。君の写真を見ると、とても心がほっとして、穏やかな気持ちになれるんだ」
僕は、顔を上げて彼を見た。
「穏やかでいられなくなるようなこと、あるんですか?」
彼が、ちょっと笑う。
「まあ、仕事は楽しいことばかりじゃないよ。会社の飲み会で、無理に飲まされたり」
「そういうの、なんとかハラスメントって言うんじゃないですか?」
「そうかな。でも、なかなかはっきりとは断りにくいしね」
やっぱり大人の世界は大変だ。僕なんか、とても務まりそうにない。
「でも、二日酔いでしんどいときも、君の写真を見ると癒されるんだよ」
「あ……うれしい、です」
好きな人が、僕の写真で癒されるなんて。
空の写真は、暇つぶしに撮っていただけだったけれど、そのおかげで、彼と親しくなれて、こんなふうに、一緒に小此木山に来ることが出来たのだ。
僕がして来たことは、無駄じゃなかった。
蕎麦を食べた後、店から出て、再び写真を撮る。本当は、夕暮れ時の写真も撮りたかったけれど、暗くなるまでに山を下りたほうがいいということで断念した。
それでも、ここでしか撮れないような空の写真がたくさん撮れたし、彼の写真やツーショットも撮れて大満足だ。
僕たちは、最後にもう一度頂上からの景色を眺めてから、下山してケーブルカー乗り場に向かう。
ケーブルカーを待ちながら、彼が言った。
「まだ早いけど、これからどうする?」
「あ……」
まだ彼と別れたくない。
「街に戻って、お茶でも飲むか、なんならどこかで夕ご飯も食べる?」
「はい。そうしたいです!」
うれしい。ものすごくうれしい。まだしばらくの間、一緒にいられる。
急行電車で、ほんの三十分ほどで街に戻って来た。さっきまで山の頂上にいたなんて嘘みたいだ。
繁華街を歩きながら、彼が言った。
「僕のマンションは稲葉町だけど、晴臣くんは?」
「僕は大溝です」
「へえ、けっこう近いね。どこかですれ違ってたりして」
「ホントですね」
本当に、思ったよりずっと近くに住んでいた。それならば、電車で途中まで一緒に帰れるではないか。
もしかして、これって運命じゃないのか? いや、でも、さっき「何年も彼女はいない」と言っていたから、やっぱり彼の恋愛対象は女性なのだろう。
そりゃそうだ。それがマジョリティーだ。こうして仲良くなれただけで十分ではないか。
これといってあてもなく、ぶらぶらと歩いて、通り沿いの店を覗いたり、ファッションビルに入ったりする。なんだかデートみたいだ。
今までデートをしたことがないので、ただのイメージだけれど、僕にとっては、これが初デートということにしていいだろうか。
「あっ」
僕は思わず声を上げた。キャラクターグッズの店の一角に、ぬいぐるみが置かれているコーナーがあったのだ。
その中に、トラ猫のぬいぐるみを見つけて駆け寄る。そっと抱き上げて、僕は彼を振り返った。
「これ、実家で飼っている猫に似てる」
彼も笑顔でそばに来た。
「へえ、名前はなんていうの?」
「桃太郎です」
「男の子なんだ」
「はい。わー、モフモフだ」
二人してさんざん迷った結果、夕食は街中華のお店に入った。いろいろ頼んで、シェアして食べられるから、それがいいと彼が言ったのだ。
席に着き、それぞれメニュー表を見る。
「何がいいかな。晴臣くんは何が好き?」
「うーんと、僕は……」
これも迷いに迷った結果、酢豚、エビマヨ、小籠包、あんかけ焼きそばなどを注文する。二人でメニューを決めるのも、なんだかとてもうれしい。
「笹垣さんは、ビールとか飲まないんですか?」
「普段はあんまり飲まないんだ」
それで、二人ともソフトドリンクを頼んだ。
小皿に取り分けて食べるのも、食べながら話をするのも、とても楽しい。今日の食事は二度目だし、緊張もすっかりほぐれた。
「晴臣くんは、酢豚に入ったパイナップルは肯定派?」
「あっ、はい」
酸味のきいた酢豚に、甘酸っぱいパイナップルは合っていると思うのだが、苦手な人も多いらしい。すると、彼が言った。
「僕も」
あぁっ、楽しい!