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第7話 天ぷら蕎麦

 もしもいると言われたらショックだし、会って数分でこんなことを聞くのはずうずうしいと思うけれど、ずっと気になっていたので、思い切って聞いてみた。


「いないよ」


「えっ?」


 思わず顔を見ると、彼はあっけらかんと言った。


「もう何年も彼女はいないんだ」


「あっ……そうなんですか」


 僕はうれしさを隠して言う。


「笹垣さん、めっちゃイケメンだし優しいから、モテるんじゃないかと思って」


 彼は笑う。


「ははっ、そんなことないよ。全然モテないって」


「えっ、そうなんですか? 気づいてないだけなんじゃないですか?」


「よく言うよ。そういう晴臣くんはどうなの?」


「えっ、彼女ですか?」


「うん」


「いませんよ。僕、ヘタレだし、挙動不審だし、まったくモテないです」


「またまた。君こそ気づいてないだけなんじゃないの?」


「ないですないです」


 僕はブンブンと首を横に振る。モテないのは事実だし、僕がほしいのは彼女じゃなくて……。


 もちろん、本当の気持ちを彼に伝えるつもりはないけれど。




「わあ……!」


 山登りは疲れたけれど、天気のいい今日、頂上からの景色は最高だった。


「あれ、あそこに見えるの、富士山じゃない?」


「ホントだ!」


 空に浮かぶ雲も素敵だ。僕は、スマホを構えてバシバシ写真を撮る。


 富士山越しの空なんて、最高じゃないか。隣で、彼も写真を撮っている。最高じゃないかっ。


 僕は、さりげなく横を向いて、彼越しの空も撮る。もちろん、これは自分で楽しむ用(?)で、SNSには投稿しない。



 不意に、彼がこちらを見て言った。


「空をバックに撮ってあげるよ」


 すかさず僕は言った。


「じゃあ、笹垣さんも一緒に」


「うん」


 彼が、僕の隣にやって来る。わーい、またツーショットだぁ。


 最初は緊張のあまりあたふたしてしまったけれど、ほんの少しだけ、彼と一緒にいることに慣れて来たみたいだ。



 そろそろ昼が近い。写真はいったん休憩ということにして、僕たちは、お昼ご飯を食べるために、土産物店に向かう。




 土産物を並べた店の奥が食堂になっていて、家族連れやシニアのグループが食事をしている。入って行くと、エプロンを着けた中年女性が笑顔で近づいて来た。


「いらっしゃいませ。お食事ですか?」


「はい」


「それじゃ、席にご案内しますね」



 窓際の席に案内された僕たちは、メニュー表に目を落とす。窓の外には、近隣の山並みが連なっている。


「山菜蕎麦か、天ぷら蕎麦にしようかなあ」


「蕎麦、いいですね。僕も蕎麦にしようかな」


 特に理由はないけれど、山の食堂で食べるのは、蕎麦が合っているような気がする。二人とも、天ぷら蕎麦を注文した。



 蕎麦が出て来るのを待っている間、僕は窓から見える空を撮る。やっぱり山並みと空は相性がいい。


 しばらく無心に撮っていると、彼が言った。


「晴臣くんは、ホントに空を撮るのが好きなんだね」


 思わず顔を向けると、彼は優しい微笑みを浮かべて僕を見ている。急に恥ずかしくなって、僕はうつむく。


「これしか、出来ることがないから」


「でも、君の写真、僕は好きだな。同じ空でも、どこかほかの人の写真とは違う気がするんだ」


「そんなこと、ないと思いますけど」


「そんなことあるよ。君の写真を見ると、とても心がほっとして、穏やかな気持ちになれるんだ」


 僕は、顔を上げて彼を見た。


「穏やかでいられなくなるようなこと、あるんですか?」


 彼が、ちょっと笑う。


「まあ、仕事は楽しいことばかりじゃないよ。会社の飲み会で、無理に飲まされたり」


「そういうの、なんとかハラスメントって言うんじゃないですか?」


「そうかな。でも、なかなかはっきりとは断りにくいしね」


 やっぱり大人の世界は大変だ。僕なんか、とても務まりそうにない。


「でも、二日酔いでしんどいときも、君の写真を見ると癒されるんだよ」


「あ……うれしい、です」


 好きな人が、僕の写真で癒されるなんて。


 空の写真は、暇つぶしに撮っていただけだったけれど、そのおかげで、彼と親しくなれて、こんなふうに、一緒に小此木山に来ることが出来たのだ。


 僕がして来たことは、無駄じゃなかった。




 蕎麦を食べた後、店から出て、再び写真を撮る。本当は、夕暮れ時の写真も撮りたかったけれど、暗くなるまでに山を下りたほうがいいということで断念した。


 それでも、ここでしか撮れないような空の写真がたくさん撮れたし、彼の写真やツーショットも撮れて大満足だ。


 僕たちは、最後にもう一度頂上からの景色を眺めてから、下山してケーブルカー乗り場に向かう。




 ケーブルカーを待ちながら、彼が言った。


「まだ早いけど、これからどうする?」


「あ……」


 まだ彼と別れたくない。


「街に戻って、お茶でも飲むか、なんならどこかで夕ご飯も食べる?」


「はい。そうしたいです!」


 うれしい。ものすごくうれしい。まだしばらくの間、一緒にいられる。




 急行電車で、ほんの三十分ほどで街に戻って来た。さっきまで山の頂上にいたなんて嘘みたいだ。


 繁華街を歩きながら、彼が言った。


「僕のマンションは稲葉町だけど、晴臣くんは?」


「僕は大溝です」


「へえ、けっこう近いね。どこかですれ違ってたりして」


「ホントですね」


 本当に、思ったよりずっと近くに住んでいた。それならば、電車で途中まで一緒に帰れるではないか。


 もしかして、これって運命じゃないのか? いや、でも、さっき「何年も彼女はいない」と言っていたから、やっぱり彼の恋愛対象は女性なのだろう。


 そりゃそうだ。それがマジョリティーだ。こうして仲良くなれただけで十分ではないか。




 これといってあてもなく、ぶらぶらと歩いて、通り沿いの店を覗いたり、ファッションビルに入ったりする。なんだかデートみたいだ。


 今までデートをしたことがないので、ただのイメージだけれど、僕にとっては、これが初デートということにしていいだろうか。


「あっ」


 僕は思わず声を上げた。キャラクターグッズの店の一角に、ぬいぐるみが置かれているコーナーがあったのだ。


 その中に、トラ猫のぬいぐるみを見つけて駆け寄る。そっと抱き上げて、僕は彼を振り返った。


「これ、実家で飼っている猫に似てる」


 彼も笑顔でそばに来た。


「へえ、名前はなんていうの?」


「桃太郎です」


「男の子なんだ」


「はい。わー、モフモフだ」




 二人してさんざん迷った結果、夕食は街中華のお店に入った。いろいろ頼んで、シェアして食べられるから、それがいいと彼が言ったのだ。



 席に着き、それぞれメニュー表を見る。


「何がいいかな。晴臣くんは何が好き?」


「うーんと、僕は……」


 これも迷いに迷った結果、酢豚、エビマヨ、小籠包、あんかけ焼きそばなどを注文する。二人でメニューを決めるのも、なんだかとてもうれしい。


「笹垣さんは、ビールとか飲まないんですか?」


「普段はあんまり飲まないんだ」


 それで、二人ともソフトドリンクを頼んだ。



 小皿に取り分けて食べるのも、食べながら話をするのも、とても楽しい。今日の食事は二度目だし、緊張もすっかりほぐれた。


「晴臣くんは、酢豚に入ったパイナップルは肯定派?」


「あっ、はい」


 酸味のきいた酢豚に、甘酸っぱいパイナップルは合っていると思うのだが、苦手な人も多いらしい。すると、彼が言った。


「僕も」


 あぁっ、楽しい!

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