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第4話 小此木山

 ササジンは、僕がどんな人か興味がわいて、それに対して、「僕はこんな人です」って返信したから、もうこれで終わりだろうか。


 僕のことを、しょーもないアルバイトをしているつまらないガキだと思っただろうか。


 DMをもらったことがうれしくて、舞い上がって夢中で返信したけれど、あれを読んで、ササジンはどう感じるんだろう。



 やっぱり僕は、ああでもないこうでもないと考え続けて疲れ切って、しばらくの間、ベッドで死んでいた。




 いろいろ気になることはあるけれど、僕に出来るのは空の写真を撮ることだけで、それをササジンに見てもらいたい。でも、似たような写真ばかりでは、そのうち飽きて、見てくれなくなってしまうかもしれない。


 基本的に、写真はマンションのベランダから撮るか、コンビニやスーパーに出かけたときに、近所で撮るだけだ。だが、たまには別の場所で、たとえば自然豊かな場所に行って撮るというのはどうだろう。


 そうすれば、空の下の風景に変化があって、雰囲気の違った写真が撮れるのではないか。時間だけはたくさんあるのだし、どこかに出かけてみようか……。



 そう思ったのだが、どこに出かければいいのか、具体的な場所が思いつかない。ぼっちの僕は、久しく観光地にも行っていないし。


 結局僕は、翌日もベランダから空の写真を撮り、一日中、マンションから一歩も出ずに過ごした。




 夜になってから、ササジンからDMが来た。一回きりではなかった。


―― 空っぽさんは19歳なんですね。僕は26歳のサラリーマンです。


 猫と写っている写真は、連休に従妹が東京に遊びに来たときに、一緒に猫カフェに行って、彼女が撮ってくれたものです。


 撮った写真をくれて、僕にもSNSに投稿しろと言うので、そうしました。SNSは、学生時代に友達に誘われて始めましたが、あまり使っていませんでした。


 でも、今は空っぽさんの写真を見るのが楽しみです。何度もDMしてすいません。



 なんだか、胸がきゅんきゅんする。猫カフェ云々は、僕が勝手に調べて、もう知っていたが、26歳という年齢や、従妹に慕われている様子や、友達に誘われて興味のないSNSを始めたことに、彼の人柄を感じる。


 それに、僕の写真を見るのが楽しみだと書いてくれたことが、たまらなくうれしい。


 だが、「何度もDMしてすいません」ということは、DMしたことを申し訳なく思っているというニュアンスだ。


 つまり、僕が返信しなければ、これで終わってしまう。そんなの嫌だし、なんなら僕は、一生でもDMを続けたいくらいだ。


 もちろんそれは社交辞令で、本心では、これで終わりでいいと思っているのかもしれないが、あえてそこには気づかないふりをしようと決めた。


 もう僕は、迷うことなく返信の文章を書き込む。


―― ササジンさんは、とても優しい方なんですね。猫がお好きなんですか?


 僕も猫が大好きで、実家でも飼っているので、それで猫写真を検索して見ていて、ササジンさんの写真に出会いました。


 僕は、ササジンさんのSNSのゆるい感じが、かえって素敵だと思いました。もしも迷惑じゃなかったら、またDMいただけるとうれしいです。



 送信。ああもう、ササジンのことが大好きだあ! 



 昨日と今日は休日だったから、ササジンはDMをくれたけれど、明日からはどうだろう。仕事が忙しくて、それどころではないかもしれないし、そうでなくても、もう僕にDMする気なんてないかもしれない。


 でもでも。神様、どうかササジンがDMをくれますように……。




 翌日の月曜日は、部屋の掃除をしつつ、写真を撮りに出かける場所について考えた。


 ちょっとした山に登って、そこから山並みを入れつつの空写真はどうだろう。小学校の秋の遠足で行った小此木山くらいだったらば、それほど苦労せずに頂上まで行けるだろう。


 そんなことを考えつつ、ふと窓の外に目をやると、むくむくの雲が、ササジンが抱いていた猫みたいだ。いやまあ、猫みたいだと言うのは大げさにしても、雲を見て、あの猫を思い出したのは間違いない。


 僕はスマホを持ってベランダに出て、むくむくの雲が風に吹かれて刻々と形を変えていく様を撮った。




 神様に、僕の願いが届いたらしい。夜になって、ササジンからDMが来た。


―― 僕も猫は好きです。今はマンションで一人暮らしなので飼えませんが。


 今日の空っぽさんの写真、雲がむくむくしていて、ちょっと猫みたいですね。一枚ごとに少しずつ形が変わっていくのが、こま落としみたいで素敵です。


 僕のSNS、ゆるゆるですが(笑)、空っぽさんに気に入っていただけてうれしいです。



 あぁ~~~っ! あの雲が猫みたいだって、ササジンも僕と同じことを思ってくれたんだ。


 ゆ、ゆるゆるだなんて……。でも、あのままの雰囲気をキープしてほしい。


 急にせっせと更新し始めたりして、フォロワーが増えたら困る。僕だけのササジンでいてほしい、なんて。



 僕は、さっそく返信する。


―― 僕もあの雲が猫みたいだって思ったんです。同じように感じていただけてうれしいです!


 空の写真を撮るのは、いつもマンションのベランダか近所なので、今度小此木山あたりに写真を撮りに行こうかなと考えているところです。



 出不精の僕は、なかなか遠出をする決心がつかないので、自分を鼓舞する意味で、あえてそう書いたのだったが。



 翌日の夜になるのかと思っていたら、数分後に返信が来た。


―― 小此木山、いいですね。僕も行ってみたいなあ。



 ……え? えっ!? これってどういう……。


 僕は、ローテーブルの前で正座して、スマホの画面を凝視しながら考える。「行ってみたい」とは?


 純粋に小此木山に行ってみたいという意味なのか、はたまた、いや、まさか、僕と一緒に行きたいという意味なのかっ?


 僕が「行こうと考えている」と言って、ササジンが「行ってみたい」と言ったら、ここで普通は、「じゃあ一緒に行きませんか?」と誘うのが自然な流れではないのか?


 ササジンは、そこまで深く考えずにそう書いたのか、あるいは、「じゃあ一緒に」と僕が言うのを前提で書いたのか?


 ということは、つまりはそういうことなのかっ!?  いや、でも、まだ知り合ったばかりで、僕がどんなやつか知らないのに、そんなことってあるだろうか。


 それはまあ、僕は最初に写真を見て一目惚れして、今は一日のうち23時間くらいはササジンのことを考えているわけだが。


 だけど、ササジンは僕の顔も知らないのだ。そこで、はっとしてスマホをローテーブルに置き、僕は洗面台の前に走る。



 洗面台の鏡の前に立ち、僕はまじまじと自分の姿を見た。


 髪は一ヶ月前くらいに切ったのでまあまあだが、顔はどうだ? 体型は? こんなんでササジンに会って大丈夫なのか?


 19歳にしては子供っぽい気がするし、生っ白ろくて、いかにも気弱そうで痩せていて、貧乏くさいというか、しょぼくれているというか。


 僕のこのルックスを見て、ササジンはどう思うだろう。まあ、別に僕にイケメンを期待しているわけではないだろうが。


 そうだ。そもそもササジンは、僕をそういう対象として考えているわけではないだろう。


 そうじゃないからこそ、何も気にせず、軽い気持ちで「行ってみたいなあ」なんて書くのだ。そりゃあそうだ。


 普通に考えて、ササジンの恋愛対象は女性だろう。考えたくはないが、もしかしたら彼女だっているかもしれない。


 だから僕も、そういう気持ちを隠して、無邪気なふりをして……。僕が恋しているなんて知ったら、それこそドン引きしてSNSもブロックされて、二度とネットでの交流さえできなくなってしまうに違いない。

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