「あ……」
思わず声が漏れた。胸に甘く切ない痛みが走る。
ベタな表現だが、その画像を見た瞬間、僕はハートを撃ち抜かれた。つまり、一目惚れだった。
それは、ある秋の日のことだった。
僕の名前は日下部晴臣、19歳。
僕の仕事というかアルバイトというか、実はアルバイトと言うのもおこがましいくらいなのだが、住み込みで、海外赴任中の叔父さんの3LDKのマンションの管理を任されている。
管理などというと物々しいが、ようするに、当分の間空き家になってしまうマンションに住みながら、掃除をしたり空気を入れ替えたりして、部屋が傷まないように保つ、みたいなことだ。
そもそもアルバイトとは言いつつ、やることも居場所もなく、父と折り合いの悪い僕を見かねた叔父さんが、僕のために無理やりひねり出してくれた役割なのだが。
実は叔父さんはバツイチで、このマンションは新婚生活を過ごした場所なのだ。
売りに出すかどうか迷っていたようなのだが、僕の救済も兼ね、いつでも帰って来たときにすぐに使えるようにということで、こういう形にしてくれた。
外資系の一流企業に勤めている叔父さんは、お給料もたくさんもらっているみたいで、僕のアルバイト代くらいは余裕で払えるらしい。
そういう叔父さんが買ったマンションなので、僕の実家の木造二階建てとは比べものにならないくらい広くておしゃれで、任されたからには、僕は、かなりの気合いを入れて管理に取り組んでいる。
まあ、具体的にやることといえば掃除くらいのものなのだが、壁や床や家具、その他モロモロに傷をつけたりしないよう、丁寧にやっている。
汚さないように、というか、もともと料理はやらないので、キッチンはあまり使わず、せいぜいお湯を沸かすか電子レンジを使うくらいだ。
冷蔵庫と洗濯機も使わせてもらっているけれど、中の掃除も定期的にして、ゴミだって、ちゃんと分別してゴミの日に出している。
僕が使わせてもらっている部屋は、将来子供部屋にするつもりだったという6畳間で、そこに少しの荷物を持ち込んで暮らしている。
食事は、おもにコンビニかスーパーの弁当や総菜類で済ませている。
それが、僕の生活のすべてだ。
趣味も特技もなければ、友達も恋人もいない。不登校気味だった高校は、なんとか出席日数ギリギリで卒業したものの、進学も就職もしそびれた。
父に、無駄飯食いはさっさと出て行けと怒られたが、どうしていいかわからず困っていたところに、心優しい叔父さんが助け舟を出してくれたというわけだ。
あれから半年ほどが過ぎた。母は心配して、「ご飯を食べにおいで」と言ってくれるので、父のいないときを見計らって、ときどき実家に帰っている。
実家では、桃太郎という名前の猫を飼っていて、帰ったときにモフモフするのを楽しみにしている。
そんな僕の唯一の暇つぶしは、空の写真を撮ってSNSに投稿することだ。なぜ空なのかといえば、空くらいしか撮るものがないからだ。
ハンドルネームは「空っぽ」。空の写真だからというのと、僕自身が空っぽな人間だからそれにした。
どうってことのない空の写真のアカウントなんて、たいしてフォローもされなければ「いいね」もつかないけれど、それでかまわない。本当に、ただの暇つぶしだからだ。
空の写真なんて、そんなにたくさん撮ってもしょうがないし、正直、人が撮った空の写真にはそれほど興味がないので、そこのSNSで、ペットや野鳥の画像なんかを検索して眺めたりもする。
それも、ただの暇つぶしでしかなかったのだが。
実家で猫を飼っていることもあり、やっぱり猫の画像は癒される。犬も鳥もいいが、やっぱり猫が一番だ。
それで、その日もコンビニのヤンニョムチキン弁当で昼食にした後、ローテーブルの前に胡坐をかいて、スマホでSNSの猫画像を見て暇をつぶしていた。
すぐ後ろには、ベッドがあり、眠くなったら、そのまま寝てしまおうと思っていたのだ。……が。
ハッとして、スワイプしていた指を止め、急いでちょっと戻る。
「あ……」
その人は、むくむくの白い猫を抱きしめて、顔をほころばせていた。その笑顔にやられた。
なんて……なんて……なんて素敵なんだ。控えめに言って、僕の好みにドンピシャだった。
猫がメインなので、その人は、ちょっと画面左に寄っていて、頭頂部も見切れているが、額にかかる前髪はいい感じだ。
しばし見とれたあと、画像元のページに飛ぶ。ハンドルネームは「ササジン」。
アイコンは、これは、ブロッコリーの小さなひと房だろうか。だが、このアイコンでは、猫と写っているのがササジン本人なのかどうかはわからない。
フォロワーはあまり多くなく、投稿もまばらで少ない。SNS運営にあまり熱心ではないらしい。
何かわからないかと、フォロワーをチェックしてみる。何人目かの猫のイラストのアイコンを開くと、かわいらしい女の子の自撮りに混じって、さっきのと同じ画像があった。
「あぁ……」
またも声が漏れる。
彼女か。そりゃそうだよな。あんなにイケメンなんだし。
あっ、言い遅れたけれど、僕の恋愛対象は同性なのだ。多分、生まれつきだと思う。
まだ誰にもカミングアウトしたことはないし、今のところ、するつもりもない。
がっかりしつつ、画像に添えられたキャプションを読む。
―― 連休に東京に遊びに行って、いとこのお兄ちゃんと猫カフェに行ったよ😊
「なんだ、いとこか……」
SNSでたまたま見かけただけの人に、彼女がいようがどうだろうが関係ないのに、なぜかほっとしてニヤつく僕。
東京に遊びに行ったと言っているのだから、それではササジンは東京在住なのか。えっ、じゃあ、意外と近くに住んでいたりして。
僕はもう一度、ササジンのページに戻る。フォロワーが少ないのも、たまにしか投稿していないのも、なんだか好ましい。
「サラリーマン。趣味は料理」と、いたってシンプルなプロフィール。なんか、いい。
写真を見た時点で好きになってしまっていたので、プロフィールになんと書いてあってもいいと思ったかもしれないが、素っ気ないくらいの短さに、かえって好感を持った。
僕は、猫と写っている画像に「いいね」してから、ササジンをフォローした。それから、じっくり過去の投稿を見て行く。
「出張中」と書かれた記事には、新幹線らしき窓辺に置かれた駅弁。金額がゾロ目のスーパーのレシート。空の写真があるのが、妙にうれしい。
趣味は料理と言いながら、料理の写真が一枚もないのもなんだかいい。とにかく、ゆるい感じがいい。
あまり多くない全投稿を見終わる頃には、僕はすっかりササジンの虜になっていた。この投稿頻度では、次の投稿がいつになるかわからないが、これから毎日、いや、毎日どころか一日に何度もチェックしてしまいそうだ。
ササジン……。
SNSをチェックしたら昼寝をするつもりだったのだが、すっかり眠けは覚めてしまった。それで、スマホを持ったまま部屋を出て、ベランダに向かう。