「このままじゃ、俺ら【犬死に】だろ!」
大学の友人の犬上、猫田、そして俺の三人で軽い気持ちで山に登り、道に迷ってしまった。そしてもう一週間が経過しようとしている。体力も気力も限界に近づいていたのは間違いない。
「いつになったら助けが来るんだよ! もう食べ物も無くなったぞ!」
「そもそも猫田が山に行こうなんて言うからこんな事になったんだ!」
「うるせぇ! お前が近道しようなんていうから迷ったんだろ!」
普段ケンカなどしたことのない俺達が、ここまで言い争う事になるなんて。
自分を鼓舞するように猫田が叫んだ。
「こんな所で【犬死に】してたまるか!」
すると、その言葉を聞いた犬上が、意味不明の事を言い出した。
「ちょっと待てよ! さっきから、黙っていればいい気になりやがって! 訂正しろ! ポチに謝れ!」
なぜか突然怒り始めたのだ。
「ポチ? ポチがどうしたって?」
猫田と俺は、今どき付ける人もいないだろう犬の名前に首をかしげた。
「ポチはうちで飼っていた犬だよ! この前死んでしまったんだ。それをよりによって【犬死に】だと? それはポチに対する冒涜だぞ!」
犬上のやつ、腹が減り過ぎておかしくなったのだろうか。
「おい、犬上。一般的に【犬死に】って言ったら、意味のない無駄な死に方のことをいうだろうが。お前の犬をばかにしたわけじゃねぇし。何だよポチに謝れって」
俺も猫田と同意見だ。
「大体なぁ、犬の死を意味のない無駄な死に方にたとえる考え方が気に食わないんだよ!
ポチはなぁ、ポチの死にざまはなぁ、俺達一族を一つにしてくれたんだぞ!」
犬上は号泣して語りだした。
「俺たち犬上家の一族は、じいさんの遺産相続問題でバラバラだった。みんな憎しみ合ってそのうち殺人事件まで起きそうなほど険悪な関係だったんだ。でもなぁ、みんなが子供の頃から可愛がっていたポチが死にそうになった時、ポチを死なせない為にみんなが協力した。一族みんながポチを助けたいって頑張ったんだ。結局、ポチは死んでしまったけど、その時、一緒にポチをみとった一族は一つになれたんだ。こんな相続争いなんてバカなことはやめようってな。ポチの死はこんなにも意味のあるものだった。これのどこが意味のない無駄死にだっていうんだよ! 犬上家の殺人事件を防いだんだぞ! ポチはすげぇんだ! すげぇ犬なんだよ!」
犬上家の殺人事件? 話が飛び過ぎてないか?
「言いたいことはわかるけどさ。猫田が言ってるのは一般的な【犬死に】であって……」
俺が冷静になるように促す言葉を犬上がさえぎった。
「【犬死に】なんて言葉が間違ってるって言ってんだよ! それだったら【猫死に】の方がいいじゃねぇか!」
そのわけのわからない言い分に猫田がかみついた。
「ほぉー。それは猫派の俺に対する挑戦状と受け取っていいよなぁ」
猫田の目が暗闇の中きらりと光った。
「猫の死っていうものはな、それはそれは気高いものなんだぜ。自分の死を悟った猫は自ら飼い主の前から姿を消すんだ。飼い主を悲しませないようにひっそりな」
確かにその話は聞いたことがある。
「猫の死が意味のない死なわけないだろう! 迷惑をかけずに、いい思い出だけ残してくれる気高き死だろうが!」
猫田は犬上につかみかかった。二人とも気が立っているんだ。
「まぁまぁ、少し落ち着こう。ここでケンカしてもしょうがないだろ」
俺は二人の口論の間に割って入った。俺にとって犬だろうが猫だろうがどうでもいいことだけど、この雰囲気はまずい。
「無駄な死を例えるべき対象は、犬でも猫でもないさ。世の中にはもっと無駄なものがあるはずだ。【犬死に】を別の名前に改名してやろうぜ。犬上! 何か無駄だなぁ、意味ないなぁ、みたいな事思い浮かぶ?」
「あー。そうだな。歯を磨いてる時に出しっぱなしの水。無駄だったな。のどが乾いたなー。あの時の出しっぱなしの水でいいから飲みてー」
犬上が天を仰いだ。
「わかるー。でも【歯磨き時の出しっぱなしの水死に】じゃゴロが良くない気がするな。確かに無駄だけど。猫田は何かいいアイディアない?」
「そうだなぁー。食べ放題の店で、取り過ぎたピザ。あれ、無駄にしたなー。あの時は食えなかったけど、今すごく食べたい。腹減ったー」
「それもわかる。無駄だ。勢いで取った薄っぺらいピザな。食えなくて冷えきって残しちゃうやつ。でも【取り過ぎた冷え切ったピザ死に】も何か違う気がする」
猫田も犬神も空腹で頭に浮かぶのは水と食べ物の事だけだ。なかなか【犬死に】に変わる言葉が思い浮かばないでいた。
すると、猫田が急に真顔で話し始めた。
「そもそもさ、無駄な死を例える事が出来る動物がここにいたよ。ろくに登山もしたことがないくせに軽装で来てさ、地図もスマホでいいだろうなんて持って来ないでさ、電波が入らず遭難するようなバカな動物」
「それ、完全に俺らだな。無駄死にの代名詞だ」
俺もそう言わざるを得なかった。それが悲しいけどしっくり来てしまうから。三人は今の状況を受け入れるしかなった。
「【調子こき死に】じゃないか。俺らみたいなバカのさ。一番の無駄死にだ」
犬上もうなだれてしまった。
「犬とか猫以下ってことだよ、俺達は。猫みたいに死期を悟ったわけでもなく、ただ迷って帰れなくなっただけだし。親にも世間にも迷惑をかけて死ぬんだ。どうせ死ぬなら犬上んちのポチみたいに死にたかったな。みんなを幸せにしながら死んでいくみたいなさ」
猫田がさみしそうに言った。
その時俺はいいネーミングを思いついた。
「ポチみたいなさ、みんなの心をつなぐような、意味のある死に方を【ポチ死に】って名づけようぜ」
「いいね【ポチ死に】。最高だよ。最高の死にざまだ。すげぇだろ、うちのポチって」
「ああ、すげぇよ。その凄さは今ならわかる」
三人で大笑いした。遭難してから初めての笑いだった。
ガサッ! ガサツ!
その時、遠くの暗闇の中で何か大きな音がした。
「な、何だよ今の音は」
「もしかして、熊じゃないか」
犬上も猫田も思い出したんだと思う。登山道に【熊出没注意】の看板があった事を。
「もし熊に会ったらどうするのがいいんだっけ」
俺は気が動転して犬上に聞いた。
「死んだふりじゃなかったか?」
「いや、待て待て。それウソらしいぞ。死んだふりをして助かりましたっていうニュース見たことある?」
猫田があわてて否定した。
そうこうしているうちに音はだんだん大きくなって来る。
ガサッ! ガサッ! ガサツ!
「あーこんな時に勇敢に戦ってくれる犬がいればなー。犬は熊の気を引きながら人間の逃げる時間を稼いでくれるって聞いたことがある」
犬上のこの言葉で、俺は何故かポチの事を考えた。ポチならきっと自分を犠牲にしても俺達の命を救おうとするだろう。自分の【ポチ死に】を覚悟で。
「よし分かった! 俺が一か八か死んだふりをする。熊が俺に気を取られている間にお前たちは逃げろ! 遭難したのも俺が近道しよう何て言ったからなんだ。最後くらい【ポチ死に】させてくれよ」
俺は二人に告げた。
「一人で【ポチ死に】なんてかっこつけんじゃねぇよ」
犬上が俺の肩に手をかけた。
「そうだぞ。それにな、【ポチ死に】の大切な事は、最後の最後まで生きる希望を捨てないことだ。な、犬上!」
猫田が犬上の肩に手をかけた。
「そうだよ。まだ死ぬと決まったわけじゃねぇ。最後まで頑張ろう。大きい声を出して熊を追い払うんだ。きっとポチが助けてくれる。大声を出すぞ! ポチ! 助けてくれ! ってな」
ポチのおかげで、俺達は心を一つにすることが出来た。そして、俺達は天国のポチが助けてくれること信じ、ポチの名を大声で叫び続けた。
「ポチ! 助けてくれ! ポチ! ポチ!」
「ワン! ワン!」
すると、どこからともなく犬の声がしたんだ。
「え! 今、ポチの声が聞こえなかったか?」
犬上が驚きの声を上げた。
「ワン! ワン!」
俺達の声に反応している。
ガサッ、ガサッ、ガサッ!
そしてついに草むらの中から出てきたのは、熊じゃなくて見知らぬ犬だった。
「ワン! ワン!」
「いたぞ! みんな無事か!」
後ろから救助隊らしき人の声が聞こえた。この見知らぬ犬は警察犬だったんだ。
「無事で良かった! ところで君たちどうしてこの警察犬の名前を知ってるんだい? この子の名前はポチっていうんだよ。古風な名前だろ。老犬なんだけど、随分遠くから一目散に君たちのところにかけて来たんだ! まるで飼い主に向かって走って行くようだったよ」
俺と猫田は顔を見合わせて言った。
「犬上家のポチって、ホントにすげぇな!」
了