ミラは自分の部屋に戻り、少しの間静かに天井を見上げていた。目の前には真新しい部屋、静かな空間が広がっていたが、どこか温もりが欠けているように感じた。新しい生活、新しい場所――それは彼女が選んだ道であり、復讐のための第一歩だった。だが、その空虚さが胸の奥に広がる。
「今日は一日、どう過ごそうか……」
そう考えたものの、答えはすぐには浮かばなかった。街に出てみようという考えが頭をよぎるが、その前にやるべきことがあるとミラは感じた。部屋の片隅に置かれたトラベルバッグが目に留まり、彼女はゆっくりと立ち上がってそれに手を伸ばす。
ミラがトラベルバッグを開けると、中には持ち物が詰められていた。衣類、日用品……そして、ふと手に触れたのは、ひとつの写真だった。
その写真は、父と二人で庭で撮ったものだった。草の上に立つ二人の姿。ミラの小さな手は父の手にしっかりと握られ、彼女の笑顔が太陽の光を受けて輝いていた。そんな昔の自分を、ミラは今の自分がまるで別人であるかのように感じた。
「……持ってきちゃったんだ……」
ミラは静かに呟いた。最初はこの写真を持ってくるつもりはなかった。復讐に生きると決めた以上、過去の思い出は必要ないと考えていた。だが、気づけばこの写真をバッグにしまっていた。
ミラは写真をそっと手に取り、その顔に浮かんでいた笑顔をじっと見つめた。父と過ごした時間、彼女を見守ってくれたあの優しい瞳。思い出の中の父の姿が、今でもミラの心に温かさを与えていた。
だが、その温かさは同時に彼女に痛みを与えた。父を失った現実。もう二度とその手を取ることはできない現実――それが、ミラの心を重くしていた。
ミラはその写真が入った写真立てを見つめながら、少しの間考え込んだ。父との思い出をどこに置けばいいのか――それは、物理的な場所だけでなく、彼女の心の中でも答えが出ない問いだった。
「ここに……置いておこう」
彼女は決心すると、ベッドの横に備え付けられていた家具の上に写真立てを置いた。今は亡き父との思い出は、これから彼女の新しい生活の一部になるだろう。しかし、それは過去の重荷ではなく、彼女を支える力として。
写真をそっと置いた後、ミラは一瞬だけ静かに立ち尽くした。父との過去を思い出し、切なくも懐かしい感情が胸の奥で広がっていく。
「お父さん……」
その名前を口にした瞬間、彼女は深い息をついて自分を奮い立たせた。復讐のために進むべき道を見失うわけにはいかない。思い出は、ただ心の奥にしまっておく――そう決めた。
ミラは一度深呼吸をしてから、再び行動に移ることにした。トラベルバッグに詰められた他の荷物を整え、衣類や雑貨を丁寧に棚にしまっていく。荷物を整理するたびに、この部屋が少しずつ「自分の場所」になっていくような感覚があったが、それでも完全に馴染むわけではなかった。
すべての片付けが終わると、ミラはシャワーを浴びることにした。水が肌に触れるたびに、彼女の体に少しずつ緊張が解けていくように感じた。鏡に映る自分の姿――白髪に、感情を失ったかのような表情。そして、目の下にはかすかなクマが残っている。復讐に生きることを決めた彼女には、もう笑顔は不要だと、再びそう思った。
シャワーを浴び終えたミラは、きれいな服に着替えると、そのまま外へ出る準備を始めた。今日は街へ出て、今の世界を少しだけでも見ておくつもりだった。外の世界はどうなっているのか、自分がこれから生きる場所を確かめるために。
部屋を出る前に、ミラはベッドサイドに置かれた写真立てに一瞬だけ視線を送った。
「行ってきます……お父さん」
そう心の中で呟くと、ミラは静かに部屋を後にした。父との思い出を胸にしまいながら、彼女は未来へと向かって歩き出した。