ミラが家を出てしばらく歩いた後、背後から柔らかな足音が聞こえた。振り返ると、そこには黒いコートを纏った男が立っていた。彼は穏やかな声で、ミラの名前を呼んだ。
「ミラ・カストレード、だな?」
ミラは冷静にその男を見つめ返した。彼が専門機関の者であることをすぐに察し、無言で頷いた。男はもう一度彼女の名前を繰り返し、微笑みながら続けた。
「おっと……もうその名前は、いらないかな?」
その言葉に、ミラは静かに頷いた。彼女にとって「ミラ・カストレード」という名前は、すでに過去のもの。すべてを失った今、彼女は新たな道を歩むことを選んでいた。
「もう良いのか?やり残したことはないか?」
男の声は穏やかで、12歳の少女に対して思いやりを持っているようだった。しかし、ミラはすでに心を固めていた。すべては終わった。やり残したことなど何もない。
「……何もないわ」
彼女は冷静に答えた。男はその答えに短く頷き、軽く笑みを浮かべた。
すると、ミラの背後から、風を切るような音が近づいてきた。彼女が振り返ると、そこには鱗が銀色に輝く飛龍が佇んでいた。大きな翼を広げ、彼女をじっと見つめているその姿は、威圧的なものではなく、どこか親しみやすさがあった。
飛龍はミラに近づき、その澄んだ瞳で彼女を見つめながら、軽く頭を下げた。まるで「こんにちは」と挨拶をしているかのように。
「彼はグリムス、私たちの仲間だ。優しくて賢い飛龍で、君を安全に目的地まで運んでくれる」
男はそう言いながら、飛龍の首を撫でた。グリムスは嬉しそうに低く鳴き、ミラに向けて優しい視線を送った。飛龍がまるで友達のように振る舞う姿に、ミラはほんの少しだけ心が和んだように感じた。
「さあ、グリムスの背に乗りなさい。彼が君を運んでくれるよ」
男はそう言い、ミラに飛龍の背中を示した。ミラはしばしグリムスを見つめ、彼の優しい目に安心感を覚えると、静かに飛龍の背に乗り込んだ。グリムスは彼女をしっかりと乗せると、大きな翼を広げ、風に乗って浮かび上がった。
グリムスは地面を軽く蹴り上げ、ふわりと宙に浮かび上がった。大きな翼が風を切り、空高く上昇していく。ミラはその感覚に一瞬驚いたが、グリムスの温かな背中が彼女を包み込むように支え、次第に安心感が広がっていった。
夜空に浮かび、下に広がる街の灯が次第に遠ざかっていく中、ミラはすでに過去を振り返ることはなかった。彼女の心にはただ一つ、復讐の炎が静かに燃えていた。
「これで、すべてが始まるのね……」
ミラは静かに呟いた。復讐の旅は、今まさに始まったのだ。