ぱらぱらとメニューを見ると、トースト類が多く見られる。喫茶店なのでそうなのだろう。ただ、他の軽食はあまりない感じだ。その分ドリンクに力を入れているといった感じだろうか。
本当に適当にコーヒーしか頼んでいなかったため、メニューはあまり見ていなかった。杉原の家は和食のことが多いので、洋食は少し物珍しかったりする。もちろん、パンを食べたことがないとか、そんな馬鹿な話はないが。
母の光子が料理上手なので、外食する理由がないのである。父の総一もあれで料理はできる方なので、光子が体調不良のときは総一が作る。
と、ぼんやり両親のことを思っていたら、ふと気になった。
「姫川さんのお父さんお母さんってどんな人?」
「……どうして急に?」
「雑談だよ。うちの両親はもう隠しようがない親バカでさ……」
杉原については察する。入学式での騒動は簡単に忘れられるものではない。
姫川の分析としては、まあ紅葉寺のことをあまり考えたくないのだろうな、というものになった。杉原は何かと紅葉寺に絡まれているので、多少の精神的疲弊があるのだろう。アマリリスの魔女の件も魔女と話せたら話せたで色々根掘り葉掘りされそうだ。
話題を逸らしたいならそれでいいか、と思ったのだが、姫川の両親は特にこれといった特徴もないため、返答に困ってしまう。
「普通の親よ。お互いあまり干渉しないようにしているかしら」
「どうして?」
「それは、っ!?」
姫川とほぼ同時に杉原も息を飲む。ロストが出たらしく、姫川には耳鳴りが、杉原には頭痛が襲いかかった。そんなことは関係なく、ロストの討伐には向かわなくてはならない。
勘定をし、出ていきたいのだが、今回はひどい。姫川の脳内にはいつも、使命があるとき、声がする。それは急かしたりするし、男だったり、女だったり、子どもだったり、老人だったりするが、いつも一人の声なのだ。
それが今日は幾重もの声が重なって、吐き気と頭痛を伴うレベルになっている。姫川は激しく咳き込んだ。
杉原も、ロスト出現時の頭痛には慣れたつもりであったが、頭の中がぐるぐるとかき混ぜられ、平衡感覚を乱されるような、いつもよりひどい症状に呻きながらテーブルに突っ伏した。
行かなきゃいけないのに。
「ひめ、かわさ、大丈夫……?」
「いけ、ます……」
「勘定、適当に払うね」
「後で半額払う、ので」
すごく具合悪そうにしながら、勘定をする杉原と姫川を店主は心配そうに見ていたが、「お釣はいりません」と言って、あっという間に出ていった客を容易には忘れられないだろう。
外に出ると、風が騒いでいるのが杉原にはわかった。姫川が頭の中の声が響いてくる方角を見て、目を見開く。
「杉原くん、あれ」
「え……?」
示された方を見ると、どうやら今回は鎌鼬が相手のよう……というか、おそらく、杉原が先日禁句を使って討伐した鎌鼬がより強力になって出現したのだと思われる。その中でひらりひらりと舞って戦う人物の姿があった。
栗色の長い髪をふわりと揺らし、紫とピンクであしらわれた衣装を着ている。耳元には桜の花の形を模したピアス。よく知る人物の見慣れない姿に杉原は動揺した。
「舞桜さん?」
「え」
明らかにスカートをはためかせているが、あれは夜長舞桜である。ピアスはいつもしているものだし、髪型も同じだ。浄化の能力を使っていると見られる。
姫川は戸惑う。風が強くて声は聞こえないが、浄化の能力を使えるのは彼女の知る限り桜の魔法少女である美桜と桜草の魔法少年である舞桜のみだ。美桜なら顔の半分を侵食する勢いの魔法花ですぐわかる。それに、舞桜とは背丈が違うのだ。
が、まあ、あの姿を「男性だ」と受け入れるのは難しいかもしれない。それくらい、優美な姿をしている。
「舞桜さんの
「あれはもはや魔法少女ね……」
感心している場合ではない。
舞桜の姿を見て気が逸れたためか、杉原と姫川の頭痛や耳鳴りは緩和されており、二人共現場へ向かう。
「舞桜さん、手伝います!」
「なをきはあやかやあはゆさなやらはわたさやあやあふらたのならさやたさらたさあらはわさななはあららさたらなやさわかさわなはらたはやはまはやまわかやさやさなやはなわまさわはわな。にまさや! さらなはなやた!」
「へ?」
何を言っているか聞き取れなかった。舞桜は聞いたことのない言語を喋っている。杉原が思わずきょとんとしたところに、鎌鼬が襲いかかる。
「鎮まれ」
杉原を切り裂くと思われた風は、杉の葉が寄り合って作られた壁に阻まれる。
「はあたわさながなさわやなわかななやさたかやたやたまかねはわなわかのさやあこ」
「舞桜さんはなんて言ってるの?」
「わからない」
姫川も戸惑っているようで、思わず杉原に問いかけるが、それは杉原も聞きたいところである。風のせいでよく聞き取れないだけ、なのだろうか。
そこで舞桜がんっんー、と咳払いする。
「二人共、大丈夫か?」
普通に喋り始めたので、杉原と姫川は顔を見合わせる。舞桜の様子からするに、自分が普通の言葉を話していないのは自覚していたようだ。
「舞桜さんこそ、大丈夫ですか?」
「ああ。もうすぐ浄化が終わる。緋月に頼んで周辺住民のことは守ってもらってるから。浄化が終わるまで、二人には援護を頼みたい」
「もちろん」
「わかりました」
色々聞きたいことはあったが、今はロストが優先だ。杉原と姫川が散り散りになり、鎌鼬と戦い始める。
杉原は魔法花である杉の葉を惜しげもなく出現させ、風の流れを掴む。流れを掴んだら、魔法花を通し、強まった魔法の力で風の向きを変え、散らしていった。
姫川は簪を構えて風を切ることで風を無力化している。どういう仕組みなのかはわからないが魔法を使っているのだろう。簪の飾りがしゃらん、と耳に心地よい。
舞桜の樹文が響く。
「鎮めや鎮め。汝ら逝く道哀れども、望まぬ憎悪消ゆるが救い」
樹文が終わると、鎌鼬だった風が光を帯びる。きらきらと星のような煌めきが地面に降り注いだ。
杉原がぽつりと呟く。
「……久しぶりに、浄化を見た……」
杉原はかつて銀杏の魔法少年と共に戦っていたが、銀杏魔法の「鎮魂」と桜魔法の「浄化」は別物である。ロストを鎮めるという点では同じだが、手法が異なるのだ。
鎮魂は弔いの意思によるものである。ロストは樹木草花魔法使いの成れの果ての姿だと言われることから、その魔法使いをきちんと弔うことで、鎮まってもらうのだ。
一方浄化は救いである。ロストの嘆きを受け止め、その思いを昇華させるのが役目だ。鎮魂だと風や嵐といった異常現象が消えるだけだが、浄化はロストが命の輝きに変わる。それがこの星のような光だ。
浄化の光は奇跡と呼ばれた。きっと、初めて浄化を見た人々にはそう見えたのだろう。この病気に魔法という名前がついたのも、このような景色を生むからかもしれない。
それにしても、と杉原は首を傾げる。
「舞桜さん強くなった? ブルーム状態とはいえ、前はこんなに光が生まれることなかったよね?」
そう指摘すると、舞桜はブルーム状態を解いて苦笑いした。
「たぶんマリと会ったからだな」
「マリ?」
光に見惚れていた姫川も、突然出てきた固有名詞に疑問符を浮かべる。
舞桜は二人をこそこそと引き寄せ、告げた。
「アマリリスの魔女に会ったんだ、去年」