冷めきったコーヒーを飲みながら、姫川はふと、そういえば、と口にした。
「昨日、今度特別課外授業があるってお知らせがあったわ」
「え?」
特別課外授業。杉原は初耳である。きょとんとすると、姫川の表情に若干の呆れが見てとれた。
「誰かさんがロスト討伐とその後始末をしている間も学校では授業があるのよ。あなたロスト討伐ばかりして、同級生の友達の一人もまだいないんじゃなくて?」
「えっ、姫川さんは友達だと思ってたんだけど」
姫川は片手を額に当て、頭を抱えるポーズを取った。耳が少し赤いことに、杉原は気づいているのだろうか。
こういうことをさらりという辺り、姫川はヤバいと杉原のことを評価している。雑念のない言葉だからこそ、嘘ではないと証明されるのだ。
「そう。まあ、そうね。友達。うん」
「えっ、あの……嫌だったら無理しなくても」
「誰も嫌だとは言ってないわ! それで、特別課外授業なのだけれど」
無理矢理話題を戻す。
まず、魔法科学校における特別課外授業とは、大抵が現役魔法罹患者による実技指導である。魔法はほとんどの場合、二十歳になる前に自然治癒するが、そうでない場合も少なくない。そのいい例が「不老長寿」の松の魔法少女、門松紀子だろう。松の魔法罹患者はその魔法の性質上、魔法の中でも不治の病とされている。
それ以外にも、楠原のように三十路が近くとも現役で魔法を使って活動している者はいる。魔法の完治、不治の条件については未だ不明点が多いものの、二十歳を過ぎて魔法が治らない場合は一生の付き合いになるというのが世間一般の常識だ。ちなみに不治の確率が高い魔法の代表格には杉魔法もある。樹木魔法は草花魔法より治りにくい例が多いそうだ。
魔法は何も門松や楠原のようにビジネスに使用されるわけではない。
「アマリリスの魔女って聞いたことある?」
「え!? アマリリスの魔女!?」
杉原の反応に姫川が驚く。杉原が立ち上がった勢いのあまり、がたん、と大きな音が立ち、店員から生暖かい目で「お静かに」と注意された。
しまった、衝撃的すぎて我を失ってしまった、と恥じ入りながら杉原が座り直すと、姫川が問いかけた。
「アマリリスの魔女、知ってるの?」
「かなり有名な人だよ。……あー、でも姫川さんはあんまり好きな話じゃないかも」
「どうして?」
「アマリリスの魔女は一部では宗教信仰みたいなことになってる存在だから」
杜若の魔法使いがかつて偶像崇拝されたというのは先に述べた通りである。それが嫌で姫川は杜若の魔法少女であることを隠している、という部分もあるだろう。
姫川は少し苦い表情をしたが、切り替えは早かった。魔法発症者が崇拝される例は他にもごまんとあり、杜若はその一例でしかない。そう割り切っていかないと、いつまでも終わらない話である。
「そういえば、普通は『魔法使い』と呼ばれるのに、アマリリスは『魔女』なのね」
「原因は不明だけど、アマリリスの魔法は桜と同じで女性しか発症例がないんだ。桜と違うのはアマリリスの魔法使いは結構長命ってこと」
アマリリスの魔女の概要はこうだ。
アマリリスの魔女は自然と「対話」することができる。これは比喩ではなく、アマリリスの魔女は自然の声なき声を拾い、その自然と会話をすることができる。会話はもちろん、自然の存在へと還ってしまったロストともできる。故に、ロストの嘆きや悲しみの声を聞き、慰めることのできる存在としてアマリリスの魔女は有名なのだ。
かつてそのアマリリスの魔女を巡って何度も争いが起きたほどである。
「話し合いで自然災害を収める魔女……それは確かに誰もが望むものでしょうね」
「その通り。僕たちがどれだけ頑張ったって、アマリリスの魔法には敵わないよ。まあ、その分、アマリリスの魔法にはリスクがあるんだけどね」
「一見無敵に見えるけれど……」
ところが、だ。よく考えてみてほしい。本当にアマリリスの対話能力だけで解決するのなら、ロストを討伐する必要なんてないのだ。アマリリスの魔女に説得してもらえばいいのだから。
だが、自然もアマリリスの魔女の言葉を聞き入れてばかりはいられない。会話ができることからわかる通り、自然にも意思があり、喜怒哀楽がある。
「アマリリスの対話はいつも成功するわけじゃないんだ。それに、例えば地震なんかを抑えてほしいと頼むとしても、その反動で数年後にどうしようもなく大きな地震が起きてしまう、みたいな……禁句とはまた違うんだけど、その瞬間は収められても、後で返りが来る可能性があるんだ」
「なるほど、善し悪しね……」
「まあ、自然と話せるのは確かで、対話でロストを鎮めたことがあるのも確かだよ。でも、もう一つ、アマリリスの魔女には大きな欠陥があるんだ」
その欠陥は魔法使い云々以前の問題であった。
「アマリリスの魔女は、人間と話せない。人間の声が聞こえないんだ」
姫川は絶句した。それは人間として生きていくのも困難なほどの問題というか、障害だ。
「といっても、ロストと話せることからわかる通り、樹木草花魔法使いとは会話ができるみたいだよ。魔法科学校の生徒なら、問題なく話ができると思う。たぶん」
「たぶんなの?」
杉原が苦笑いする。
実は、アマリリスの魔女が声を聞き取れない魔法使いも存在した。おそらくアマリリスの魔女は「自然」と対話することに特化した故に、自然ならざるもの、自然を害するものの言葉が聞こえなくなったとされる。
樹木草花魔法使いに強弱の基準はないが、より「自然」に近い者の声は聞き取れるらしい。「自然」の基準は心の清さとも言われているし、魔法との適合性とも言われている。
「あまり大きな声では言えないんだけど……紅葉寺家の魔法使いで、アマリリスの魔女と会話できた人はいないって噂だよ」
「それはまた……オータムコンプレックスに拍車をかけそうな噂だな」
「まあ、お家がどうあれ、アマリリスの魔女に声を聞き取ってもらえないと半ば魔法使いであることを否定されているようなものだから、魔法の力を笠に着ている人のプライドはずたずただろうね」
姫川が神妙な面持ちになった。
「えげつない課外授業だな」
「だから
「ああ……」
悟りを開いたような面持ちになる二人。だが、よくよく考えて、姫川がはっとする。
「待って。これってもしかして、篩にかけられるっていう……」
「そうかもね。たぶん緋月家の計らいじゃないかな。紅葉寺家と滅茶苦茶仲悪いって聞いたし」
「うわあ」
お家騒動に巻き込まれている感じしかしない。
そもそも、紅葉寺家の魔法使いがアマリリスの魔女と会話できないのに、課外授業として組めるのがおかしな話なのだ。だとしたら、誰が仕組んだのか。現行、杉原たちの知る情報で真っ先に名前が出るのは緋月家しかない。何せ、生徒会副会長の柳兎は緋月の家門をこれから背負っていくような人物なのだから。
「変なことに巻き込まれないといいけど……」
「そういうのは思っても言わない方がいいのでは?」
うー、と唸りながら、杉原は適当にメニューを見て頭を切り替えることにした。