儚が宥めたおかげで、男性は納得し、帰っていった。ふう、と男性を取り押さえていた柳兎が溜め息を吐く。
「お見事でした、楠原さん」
「あらどこのインテリ眼鏡くんかと思ったらりゅーちゃんじゃない。相変わらずオンラインゲームで無双してる『リュート』は柳兎くんということでよろしい?」
「そんな『リュート』に次ぐ『クスクス』さんとやらはどこのどいつでしょうね?」
陰でこっそり行く末を見守っていた杉原が生徒会副会長の意外な一面に驚く。儚が趣味でオンラインゲームをプレイしているのは知っていた。しかもかなりの廃人プレイヤー級である。それが敵わないと言っている人物がまさか柳兎だったとは。
緋月家というか、柳兎のイメージなのだが、ゲームなどの娯楽より、勉学に力を入れている印象があったので意外だった。
「で、そこの君はいつまで見ているのかな」
「あっ」
杉原は慌てて陰から出てくる。それからぺこりと頭を下げた。
「お手数をおかけしました」
「まあ、事情は察したのでかまいませんよ。神隠しなら仕方ありませんし」
「えと……何故神隠しで納得できるんですか?」
先程から気になっていたことだ。神隠しというのは儚の出任せだろうと思って聞いていたのだが、どうも、柳兎も合わせているというより、「元々神隠しという現象を知っている」という感じだった。それが疑問なのだ。
先程の男性が言っていた通り、「神隠し」とは非現実的な現象だ。魔法と何か関係があるのだろうか。
柳兎は眼鏡をちゃきりと上げて答えた。
「神隠し、とは楠魔法の隠語ですよ。楠原さんとはお知り合いのようなのに、知らなかったのですか?」
「健ちゃんには教えてなかったの。知識を身につけるのはいいことばかりじゃないからね」
「なるほど」
柳兎は眼鏡をもう一度持ち上げ、頷く。
「まあ、行動には気をつけることです。僕が紅葉寺に仕事を押しつけていなければバレていましたよ。まあ、この騒ぎですから、学校で噂になることは避けられないでしょうが」
「は、はい」
「さて、では君も教室に行きなさい」
「ありがとうございました」
柳兎は副会長らしい威厳を持って、杉原を見届けた。
「さて楠原さん。少し、お話があります」
「お、りゅーちゃんからお誘いー?」
「そういうことだから、貴女は不審者に間違えられるんですよ」
「失礼な坊っちゃんだなぁ」
儚と柳兎はしばらくそこで立ち話をした。
杉原が教室に入ると、辺りはざわついていた。やはり、先程の騒ぎは印象深かったのだろう。その話題で持ちきりだ。
けれど、話題はどんどん逸れていく。
「途中で入ってきた女の人、美人だったな」
「胸でかいし」
「わー、男子ったらやっぱり女性を胸でしか判断しないのね。サイテー」
「でもあの人かっこよかったよね」
「確かに」
「えー、副会長のがかっこよかったよ」
「さてはあんた、副会長好きだな?」
「では我ら『緋月柳兎同好会』に入ってみんかね?」
「何それ、まじウケる」
……平和である。というか、柳兎ほどの人材になると同好会まで築かれるのか。会員は何人いるのだろう。
柳兎は眼鏡をかけているが、冴えない男子ではない。言いたいことははきはき言うし、あの紅葉寺明葉を黙らせることができる唯一の人物である。それに勉強もできて、魔法もかなり便利、噂ではサッカーが得意なスポーツ男子と文武両道である。才色兼備な男子に憧れない女子を探す方が難しいだろう。
男子の中には「ずるい!」「罪すぎるイケメン」というやつもいるが、大体概ね「緋月柳兎には敵わない」という共通認識があるらしい。杉原も敵う気がしない。
というか、何故彼が生徒会長ではなく、副会長なのかが疑問だ。
と、考えていると、とんとん、と肩を叩かれた。振り向くと、姫川が立っている。
「あのさ、相談したいことがあるんだけど……」
姫川は声をひそめていたが、目敏い男子の目ががっとこちらに向いたのを杉原は感じた。
姫川は美人である濃紫色の長い髪は艶があり、目を惹かれる。顔も整っており、高身長で足が長い。女子が羨む容姿の持ち主だ。
その上「姫川菖蒲」という華やかな名前。注目されない方がおかしい。
「相談?」
「ええ。放課後空いてるかしら?」
「んー……ロストが出なければ」
小声ではあるが、「そこは即答でOKしろよ!」だの「うらやまけしからん」だのといった声が聞こえるが、無視。いちいち気にしていたらやっていられない。
「まあ、そのときは私も行くわ」
「ん、ありがと」
姫川の能力は言ってしまえば「なんでも願いが叶う」という反則級の能力だ。本人はそれを隠そうとしているが、杉原と同行すれば上手く誤魔化せるだろう。
と安請け合いをした結果、「姫川さんとデートかよ!?」「姫川さんああいう好みなんだ」「ひゅうひゅう」と教室が五月蝿くなったのは言うまでもない。
放課後。
「姫川さんって、部活入ってないんだっけ?」
「まだ検討中よ。バレー部に誘われているけどね」
帰り道、舞桜と美桜には事前に断りを入れて、姫川と二人で下校する杉原。
下校といっても、自宅に下校する生徒は少ない。姫川も例に漏れず、寮生活だ。だから、ちょっとした散歩のようなものになる。
「そういえば、姫川さんが何の魔法使いか知ってる人ってどれくらいいるの?」
こっそりと聞いてみる。姫川の本来の魔法は杜若魔法である。それは誰もが喉から手を出してでも欲しがる部類のものだ。故に、菖蒲の魔法使いと偽っている。けれど、それを知る人はどれくらいいるのだろうか。
姫川は悩んでから首を横に振った。
「みんな私が何の魔法使いかは知らないわ。親にも言ってない」
まあ、杜若だなんて知れたら、大変なことになる。人の口に戸は立てられないとも言うから、大変だっただろう。
「でも、あなたは本当にまともな人なのね」
「え、僕唐突にディスられてる?」
「褒めてるのよ」
暗に今までまともだと思われていなかったのか、とどきどきしたが、そういうことではないらしい。
なんとなく、言いたいことはわかる。姫川は今まで、人を完全に信じきることができなくて、親にすら明かせなかったのだ。使いようによっては門松や儚のようにビジネスにできる能力ではあるが、それは門松や儚が大人だからできることだ。
姫川は背こそ高いものの、杉原と同じ高校一年生。誰かの幸せのために、害悪を取り除こうとする崇高そうな理念はあっても、それが人殺しだったりしたら、躊躇ってしまうような人間だ。まあ、杉原を襲ったときはわりと本気に見えたが。
「そこの喫茶店にでも入りましょう」
「うん」
歩きながらするような話でもない。
からん、と鈴の軽やかな音がして、扉が開く。ファミレス感のない喫茶店だ。少し高校生としては背伸びしたような空間である。
人もあまりいないため、盗み聞きをされることもないだろう。寡黙そうなマスターがお好きなお席へ、とだけ言った。
テーブル席で向かい合う。コーヒーを二つ頼み、ふう、と息を吐く姫川。少し緊張していたのだろう。デートだと散々からかわれたことも少なからず含まれているにちがいない。
「菖蒲の魔法使いね」
菖蒲の花言葉の中には「希望」というものがある。杜若とは似て非なるが、ある程度、希望が見出だせる願いなら叶えられる能力だ。叶うと信じていなければ叶わないと言われている。
杜若は「幸福は必ず訪れる」というものだ。どんなに遠い願いでも必ず叶えることができる。その違いに人々が気づいたとき、姫川の処遇は変わるだろう。
「嘘や虚構はいつかは必ず綻びが生じるわ。その覚悟はできているわよ。でも……正直に言えばちょっと怖いわ」
「かつて、初の杜若の魔法の発症者は神様として扱われた話は有名だね」
一つの宗教と化したくらいだ。その杜若の魔法使いは死ぬまで信仰者のために働く偶像だったと聞く。これではどちらの立場が上なのか、わかったものではない。
それからしばらくは杜若の魔法使いは現れなかったと聞く。おそらく、現れていたとしても、正体を隠しただろう。今の姫川のように。
「その上での相談なのだけれど」
静かな店内でひっそりと彼女は告げた。
「楠の魔法使いさんを紹介してもらえないかしら?」