光子がお茶を淹れて戻ってくる。杉原の叫びが聞こえていたようで、光子はくすくすと笑っていた。
「あらぁ、お母さんは賛成よ。はーちゃんとはお友達だもの。それに健ちゃんが依頼したのなら、拒否権はないと思うわ。あ、彼女さんって思われるのが怖いのかしら」
彼女というワードに美桜がぴくりと反応した脇で、杉原が即座に否定する。
「ないよ。年の差いくつだと思ってんの」
「けーんーちゃーんー?」
ゴゴゴゴ、と儚からただならぬオーラが零れ、杉原の頭を拳でぐりぐりする。杉原は涙目になった。
光子が健ちゃんったら、と微笑む。
「ちょーっとデリカシーがないわよ?」
「ごめんなさいって」
「恋愛に年齢は関係ないからね~?」
儚からの恐ろしいオーラに杉原はかくかくと首を縦に振るしかなかった。
そこに舞桜が言葉を被せる。
「まあ、最近は性別も関係ないみたいだが……それより、どうしてそういう折り合いの付け方になったんだ? というか何があった?」
そういえば、学校では庇ってもらったが、まだ舞桜に事情を説明していなかった。儚の登場で色々と吹っ飛んでいたので、一から説明する。
今日、特殊な魔法使いが覚醒したこと。紅葉寺家が興味を持ちそうなので、門松に匿ってもらうことにしたこと。それから門松が儚に依頼を回したのだろうということ。
今日は本当に色々あった。
「なんだよ、みずくせぇな。ロスト討伐なら俺にもできるんだぜ?」
舞桜が一通り聞いてからまず指摘したのはそこだった。
舞桜は桜草の魔法少年で、美桜と同じく「浄化」の能力を使える。ロスト討伐のできる人材だ。
「でも、あんまりロスト討伐を一般人がいる前で複数人の魔法使いがやると、今日みたいなことが起こる可能性が高くなるから……」
魔法は誰もが発症するリスクがある。二十歳を超えてから発症した例は少ないが。感染症ではないものの、杉原の言う通り、魔法使いは魔法を共鳴させやすく、今日のように素質のある人物を覚醒させやすいとされている。
と、道理は通っているのだが、舞桜の目は据わっていた。
「それだけじゃねぇだろ。お前またくだらないことで悩んで俺に声かけられなかったんじゃねえのか?」
「くだらないって……」
「魔法は長年使い続けると魔法花による侵食を受ける確率が高まる。魔法花の侵食を受けた者に待つのは死……俺にそうやって気を遣ってんだろうがよ」
返す言葉もなかった。考えをそのまま言い当てられたから。
魔法花の侵食。それは美桜という形で目の前にあるし、魔法花に喰われて死んだ友人も杉原にはいる。それに舞桜と美桜は兄妹で、同じように侵食される可能性は高い、というのが現在の魔法医療での結論だ。
正直、魔法花に侵されて死ぬ人間はもう見たくないし、それがよく知る人物なら尚更だ。だから、再会を喜びはしたものの、舞桜に頼ることはしなかった。
「……魔法使いになった時点で、腹は決めてる。いらない気遣いすんじゃねぇよ」
くしゃくしゃと杉原の頭を撫でる舞桜。杉原は肩を竦めた。
舞桜は元々、桜の魔法使いじゃないか、と言われた存在だった。母胎にいるときから、魔法花を操っていた生粋の魔法使い。けれど、男に生まれたことにより、それは否定された。何故かは解明されていないが、桜の魔法使いは女児しかいないのだ。
けれど、桜に似た花びらを出すこと、桜の魔法使いと同じ「浄化」の力を使えることで、しばらく桜の魔法使いと思われていた。美桜が覚醒するまでは。
桜の魔法使いはその命は儚いものの、桜の魔法使いであること自体が誉とされた。故に、舞桜は大変可愛がられ、果てには桜の魔法使いという偶像となるために、あたかも女児であるかのように育てられてきたのである。舞桜の容姿が女性も引くほどに麗しいのはそういった理由からだ。
「魔法花の侵食ねぇ。年数で言ったら、お姉さんとかなかなか危ないんだけど?」
儚がもなかを一つつまみ上げて口を挟む。儚はアラサーで、小学生になる直前に能力が覚醒したという。それから自然治癒しなかったところを見るに、「治る見込みがない」という点では魔法花に侵食された者と同じと言えよう。
「うーん、なんか、儚さんはなんだか心配いらないなって……」
「うん、どういう論理かしら」
「痛い痛い」
頭ぐりぐり再び。けれどこの逞しさを見ているとなんだか大丈夫な気はしてくる。少なくとも、名前より儚さはない。
「まあ、一人で背負い込むよりは頼ってほしいものね。健ちゃんってば、小学生のときからずーっと仕事熱心だったからね」
仕事熱心……そう、杉原はロスト討伐を義務のように感じていた。今もそう思っている。舞桜や美桜と離れて、杏也の死を目の前にして、その観念はより一層強くなった気がする。
思い詰めたような表情で黙り込む杉原にぬっと手を伸ばしたのは、美桜だった。むにゅっと杉原の両頬を押す。
「もう一人じゃないでしょ? 私たちが離れちゃったのは悪かったけど……でも、もう離れないから」
きっと、魔法花に侵食されていなかったら、両方の目で真っ直ぐ見ていたにちがいない。美桜の言葉の真っ直ぐさに気づけば泣いていた。
「け、健くん!?」
慌てる美桜を儚がからかう。
「ふふ、美桜ちゃん、見事な口説き文句だったよ」
「効果は抜群だぁ!」
おちゃらけ二人組からの口擊に、美桜は顔を真っ赤にする。言われてみると、今の美桜の台詞は告白のように聞こえた。
そんな女性陣を尻目に、舞桜が杉原の頭をぽんぽんと優しく撫でていた。
「ま、そういうことだ。お前は『感じる』から一人で突っ走りがちだが、もっと周りを頼れ。寄りかかっていいんだ」
……「感じる」とは、ロストが出た気配のことだ。舞桜はロストの気配を察知しづらい。美桜はロストの気配に敏感すぎて倒れてしまうことがある。そうなると、美桜には頼りづらい。だが、もう離れてはいない。同じ学校にいるのだ。
舞桜が、涙の止まらない杉原を抱き寄せる。杉原はその胸に顔を埋めて泣いた。
それを見ながら儚がしみじみ言う。
「まあ、随分と我慢強い子に育っちゃって」
「本当、お母さんは健ちゃんのそういうとこ心配だわぁ」
いつの間にかあと一口まで減っていたもなかをぱくりと口に放り込み、儚はお茶を飲む。のんびりとした空気が流れる。
美桜もお茶を飲んだ。
「光子さんの淹れるお茶は美味しいです」
「あら、そう?」
「うちの嫁の自慢の一つだ」
ぽつりと呟く総一。儚は総一の隣に移動し、ばしばしと背中を叩く。
「あらやだぁ! そーちゃん惚気ー? 余所でやりなさいよー!」
「一つってことは他にもあるのかしら?」
「味噌汁が美味い」
「ひゅー、告白だー」
「目利きができる、趣味もいい、裁縫ができる。電話対応がいい。字が綺麗。総じて言うなら器量がいい。どこに見せても恥ずかしくないが、誰にもやる気はない」
「おっと、そーちゃんさては独占欲強いな? っていうか、そういう話は酔っ払ってからにしましょうね。聞いてるこっちが恥ずかしくなってくるわ」
父親の惚気には耐性のある杉原だが、美桜などは顔を真っ赤にしている。光子までからかう調子が出なくなるほどだ。
恥ずかしくなるといった儚はさして恥ずかしそうでもない。まあ、儚はそういう人物である。
今夜は賑やかになりそうだ、と杉原は思った。儚が酒の話を出したということは今夜は軽い宴になるだろう。儚は笑い上戸で、総一は口の滑りがよくなる。
早めに寝るのが吉だろう。
舞桜と美桜を見送った後は夕飯と酒盛りだった。総一は酒に弱いので、もういつも以上にべらべらと喋り、それを豪快に笑い飛ばす儚と相まって非常に喧しかった。
けれど、疲れもあってか部屋に戻るとすぐ眠ってしまった。
朝。
「……えーと、なんでついてきてるんですか?」
登校途中、家からずっとついてきている儚に対して、杉原が質問する。儚はにこにこと笑っている。
「えー、いいじゃない。あたしは魔法科高校行けなかったからさ」
「いや、学生と呼べる年齢では」
「いい? 今じゃじいさんばあさんでも大学生になれるんだからね?」
「魔法科高校は高校ですよ。それに、制服じゃないんですから、不審者として通報されても知りませんよ」
「そこは健ちゃんが説明してくれればいいじゃない」
ああ言えばこう言う。儚は本当に手強い大人だ。
そんなこんなで校門の手前まで来ると、ざわついていた。人混みができていて、その中央で男が何やら叫んでいる。
「あら、朝から酔っ払いかしら?」
昨日酔っ払いだった人物に言われたくないだろう。
「妻と娘はどこだ!!」
「落ち着いてください」
「あれ、緋月先輩だ」
よく見ると暴れようとしている男性を柳兎が抑えているようだった。妻と娘を探しているようだ。
杉原はなんだか嫌な予感がした。
嫌な汗が背を伝う杉原にはお構い無しに、柳兎が男性から色々と聞き出していく。
「奥さんと娘さんをお探しなんですか? それで何故警察ではなく、この学校に来るんですか?」
柳兎は冷静だ。対照的に、男性は頭にかなり血が昇っているようで、怒鳴り散らす。
「この学校の生徒が、昨日ロストが出た現場にいた妻と娘を連れ去ったという目撃情報があったんだ!!」
「ふむ」
「小柄な男子生徒だったと」
思い当たる節しかないのだが。
けれど、安易に名乗りを上げると、ややこしいことになりそうだ。結と真子のことならば、ここで口に出すと明葉の耳に入りかねない。かといって、素知らぬふりも人としてどうなのだろうか。
考えていると、杉原の隣から、すっと儚が前に出た。
「旦那さん、それは二人が神隠しに遭った、ということですよ」
突如現れた部外者に、生徒たちはぽかーんと呆気にとられる。しかし、儚の顔を見てぴんときたのか、柳兎は生徒たちに校舎内に入るように指示した。
その間にも、儚は男性を諭す。
「神隠しだと!? そんな非現実があってたまるか!!」
「あら、それではこの魔法を司る学校も非現実的ではありませんこと? けれど魔法を否定するのは、ここの生徒の皆さん、それこそ関係のない人々まで貶すことになりますよ?」
「……そんな、つもりは」
それに、と儚は人差し指を立ててにこにこと説明した。
「神隠しは何も悪いことではありません。むしろ神様が悪いことからお二人を守るために、一時的にお隠しになっている可能性もありますよ? それなら、安心じゃありませんか?」
儚は弁の立つ人物だ、と杉原はしみじみ思った。