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第18話 楠原儚という女性

 門松邸から出て、杉原は学校に戻る。特に何も問われないのは有難い。これも紅葉寺家が成したことと言えばそうなってしまう。

 ……だが、忘れてはならない。

「鎌鼬を倒したとはお手柄じゃないか。杉原」

「ええと、紅葉寺先輩……?」

 忙しくて忙しくて仕方がないはずの明葉が放課後、杉原の前に現れた。事態把握が早いが、ロスト討伐について管理しているのも紅葉寺家だ。明葉が知っていても、何ら不思議はない。

 だが、別な意図もあるように思える。

 ここでバレてはいけないのは、門松の存在とあの親子のこと。けれど、目撃情報くらいはあったにちがいない。なかなか派手な戦闘になったからだ。

「何の用でしょう?」

「用も何も、優秀な魔法使いを労うことに不思議があるかね?」

 杉原は特に褒められたことはない(しかし母は除く)ので、不思議に思った。どんなにロストを倒しても、それを偉業と称えられることはない。普通の人間にはできないのだから、「ロストを魔法使いが倒すのは当たり前」なのだ。

 だが、考えてみると、魔法使いたちからしたら、偉業なのかもしれない。魔法使いは皆が皆、ロストを倒す能力を持っているわけではないのだ。

 例えば、門松やあの親子もそう。門松は寿命に関わる能力を持つため、重要視されているが、既に死した存在であるロストには魔法の効果はない。オレンジの薔薇の親子も、人間の治癒はできるようだが、ロストに対して効く能力ではなさそうだ。

 そして、魔法使い間で有名なのは、紅葉寺家の話である。

 ——オータムコンプレックス。そう呼ばれる事象が起こっているのが紅葉寺家である。

 これだけ魔法使いのために貢献しているにも拘らず、紅葉寺家から生まれる魔法使いたちにはロストと戦う力がない。

 紅葉寺家の社会貢献はその現実を隠すかのように派手に行われているため、こうして「オータムコンプレックス」などと揶揄されているわけだ。

 それはもはや紅葉寺家では隠しきれず、一般に知れ渡っている事実である。

 そのため、杉原も明葉が妬み嫉み嫌みで来たのかと思ったのだが。

「やれやれ、称賛を素直に受け取れないとは、君も悲しい少年だね」

「はあ……?」

 やはり遠回しに僻まれている気がする。

「それだけのために階の違う僕の教室まで来たんですか?」

「そうとも」

「真面目に聞いているんですが」

「私も至って真剣だ」

 駄目だ。ああ言えばこう言うといったタイプの人間だ。そういうのが一番面倒くさい。

「お誘いならお断りした覚えがあるんですが」

「ただの称賛だと言っているだろう?」

「じゃあ称賛終わり、帰ってください」

「生徒会の仕事があるのだが」

「じゃあそっちに行けばいいじゃないですか」

 もう帰りたい。今日は疲れたのだ。

「見込みがあるな。何故靡いてくれんかね」

「疚しいことはしたくないので」

「疚しいことの一つや二つ、誰にでもあるだろうに」

 どきりとしたのを顔に出さないようにするのでいっぱいいっぱいだった。

 二人の魔法使いと門松のことを隠しているのは、疚しくはないが、紅葉寺には気取られたくないところだ。明葉は何かもう知っていそうで怖い。

「今日のは禁句使ったので、疲れました。帰らせてください」

「禁句を? 珍しいな」

「だから称えられるようなことじゃありません。むしろ不本意です。惨めにしないでください」

 禁句は使ってはいけないからこそ禁句なのだ。けれど奥の手であり、最終手段でもあることは確かだ。それを使うしかなかった、など、ロスト討伐を務める者としては恥でしかない。

 まあ、そもそもロスト討伐ができない紅葉寺は知らないだろうが、という嫌味は心の奥に仕舞っておいた。

 嫌味の応酬をしたところで、何の実にもならず、疲れるだけなのだ。

「おい、紅葉寺、何やってんだ?」

 そこへ救いの手のように現れたのは舞桜である。相変わらず華のある顔をしているというか、男女問わずに「え、何あの人肌まじ綺麗」やら「彼女にしてえ……かの……か……男……?」やらと人気が窺えるコメントが多く、辺りがさっとざわついている。夢破れた少年よ、生きろ。

 舞桜は三白眼があって尚、美しい容姿をしている。長い栗色の髪は手入れが行き届いており、丁寧に編み込まれている。高く一括りにした髪はさらさらで、後ろ姿だけだと背がすらっと高い女子に見える。しかし、よく見ると着ているのは男子制服。男子制服なのだ。

 舞桜の容姿に夢を見た男子は負け。恋愛とは好きになった方が負けとはこういうことだ。

 それはさておき。舞桜が明葉をじと目で見る。

「紅葉寺、副会長が探してたぞー。生徒会役員のトップが職務怠慢とは嘆かわしいな」

「はあ……奴か……仕方ない」

 とても嫌そうに溜め息を吐く明葉。副会長のことがよほど苦手と見える。

緋月あかつきか……仕方ない……」

「いや、仕事ほっぽって後輩口説きに来てる紅葉寺が悪いと思うよ? 全面的に」

「全面的!?」

「健ー、帰ろーぜ」

「はい、舞桜さん」

 平然と帰り仕度を始める杉原。明葉は惜しげに見て、そこを去ろうとしない。

 そこへ。

「紅葉寺家の先祖は油売りですかね」

 魔法科高校では珍しく、ぴしりとネクタイをつけた眼鏡の男子生徒がいた。一度見た覚えがある。確か、この学校の生徒会副会長だ。

「げ、緋月……」

 緋月あかつき柳兎りゅうと。柳の魔法少年で、能力は能力緩和系のものだ。ロストを完全に倒すことはできないが、被害を和らげることはできる。

 と、杉原が知っているのはこれくらいだ。舞桜は明葉を柳兎に預けると、杉原を連れてさっさと教室を出た。

「紅葉寺も緋月には頭が上がらないみたいだなー」

「緋月先輩ってそんなにすごいんですっけ?」

「あれ? 知らねーの? 紅葉寺家と緋月家はめっちゃ仲悪いんだぜ?」

「悪いんですか」

 呆気にとられた。

 紅葉寺と緋月の切っても切れない縁というのがあり、それは魔法が台頭した当初から、両家共に魔法発症者を出していた、というところから始まる。

 魔法は当初、遺伝病と疑われており、あることによって遺伝病ではないことが明らかになったものの、魔法に対する両家の対処の違いで対立が続いていたという。

 それは紅葉寺家が魔法の研究や発症者への支援を積極的に行ったことと、緋月家はそれをせず、環境問題にのみ取り組んでいたことが原因とされている。

 紅葉寺と緋月はどちらも名門なのだが、方向性が違った。結果、この二つの取り組みがあったからこそ、「ロストボタニカル」の存在が明らかになったわけだが、ここに対立する理由が生まれる。

 所謂、オータムコンプレックスだ。紅葉寺家はどんなに魔法に関する社会貢献をしても、ロストを倒せない。けれど、緋月家は柳兎のように被害を緩和する能力やロスト討伐に役立つ能力の者がよく生まれた。故に、どれだけ社会貢献しようと魔法使い一族としての紅葉寺家は「無能」で「役立たず」なのであった。

 それが助長されずに済んでいるのは、緋月家が紅葉寺家を支援しているからだという。

「それで、どうして仲が悪くなるんですか?」

「んー、頭が上がらないっていうのもあるが、紅葉寺と緋月にはどうしても上下関係ができてしまうからな。僻むやつもいるって話だ。特に紅葉寺明葉みたいな家に拘るやつはな」

 それに、と舞桜は付け加える。

「緋月柳兎は紅葉寺のやり方を好いていないんだ。明葉みたいなやつが特に嫌いで、で、明葉の婚約者が柳兎の弟なんだって」

「……うわぁ」

 それは嫁がせたくないことだろう……。

 などと話しながら学校を出ると、横合いから何者かに杉原は飛びつかれる。

 何事か、と思ったら、地面に押し倒されていた。乗っているのは妙齢の女性。緑がかった黒髪ショートをハーフアップにしている。

「……楠原さん」

 杉原がにこにこ笑顔の人物に言うと、その女性はめっ、と言った。

「儚お姉さん、でしょ?」

 杉原が面倒くさいのに捕まった、と思って舞桜に助けを求めようと視線をさまよわせると、舞桜は、我関せずといった風にそっぽを向いていた。というか、この人物の気配を察知して避けたらしい。おのれ。

「いいから、退いてください。楠原さん」

「儚お姉さん」

「楠原さん」

「儚お姉さん」

「くすは」

「儚お姉さん」

「くす」

「儚お姉さん」

「……儚お姉さん」

 杉原が折れると、その人物——楠原くすはらはかなはよくできましたー、と杉原の頭をくしゃくしゃと撫で回し、避けた。起き上がる杉原に手を貸す。

 少し遠巻きで舞桜が声をかける。

「相変わらずお元気そうですねー」

「舞桜ちゃんはいっそう美人になったわね! お姉さんびっくり」

「さいで」

 この儚という人物も魔法使いであるが、年齢は見た目からなんとなくわかる通り、杉原たちより上で、アラサーである。杉原は怖くて年が聞けない。

「ふふー。舞桜ちゃんとの約束の期限切れたから、健ちゃんに会いに来たんだけど、まさか健ちゃんも魔法科高校に入っているとはねー。運命感じるわー」

「さいで」

「久しぶりにみっちゃんとも会いたいし、健ちゃん家にこのままゴーしましょ」

 みっちゃんとは杉原の母、光子みつこのことを言う。儚とはマブダチらしい。

 家が騒がしくなる未来が目に見えて杉原は頭を抱える。舞桜も遠い目をしていた。

「それに、今回のお仕事は元々は健ちゃんからの依頼だからね」

「あ、もしかして」

「そ。まっちゃんとは久しぶりに会ったけど、ほんと、変わんないねー。羨ましいあの能力」

 まっちゃんとは門松のことである。

 門松と儚はビジネスで繋がっている。魔法というシステムを利用したビジネスで。

「……ということは、依頼料の請求ですね……」

「さすが健ちゃん! 飲み込みが早いのはいいことだよ。ご褒美にお姉さんぎゅーってしちゃうー」

 抱きしめられる杉原。もはや凶器でしかない豊満なものを押しつけられ、窒息しそうになる。

 三秒と待たずにギブアップと儚の腕を三回叩いた。

 解放されたらされたで、周囲からの視線が痛く、いたたまれなくなる。

 これがびた一文譲らないビジネスマンというのだから、世も末だ、と思ってしまうのであった。

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