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第15話 魔法使いの覚醒

 風がざっ、と散りかけの桜を薙いでいく。

 そこは街のメインストリートといってもいい場所。春は誰でも手頃に花見が楽しめるスポットとして人気だ。主要交通路でもある。

 故に、この風には様々な人が痛手を食らっていた。

 嵐でもない、竜巻でもない、風の刃が人々を傷つけ、物を切り裂いていく。鎌鼬と呼ばれる現象だった。

 鎌鼬とは元来妖怪の名前とされ、一番目が人を転ばし、二番目が傷をつけ、三番目が傷を治すという謂れがあるが、災害としての鎌鼬はそんな生易しいものではない。

 旋風、と言われるが、これはもはや風というより、見えない金属か何かが飛び交っているとしか考えられないだろう。

 手の甲を切り裂かれた人、割られた車のガラス、ショーウィンドウを越えて引き裂かれた洋服。多種多様な被害が鎌鼬によって引き起こされていた。

 道を歩く人々は見えない災厄に対処のしようもなく、困惑するばかりである。縦横無尽に飛ぶ風の刃は見えない故に予測することができない。

 一般人たちが抵抗できないのをいいことに弄ぶかのように浅く、けれど数多く傷を残していく鎌鼬。見えないながらも、魔法使い案件と判断した人が電話をかけるべく手に取った瞬間に、その手を傷つけたり、電話を壊したり。悪魔のような意思が垣間見える。

 奇跡的に、大きな傷を負わずに逃げている親子がいた。母親が娘を守るように抱えているように見えるが、母親を先導しているのは娘、という不思議な取り合わせだった。

「お母さん、止まって」

「うん」

 止まると鼻先を風の刃が掠めていく。風の刃が通りすぎた絶妙なタイミングで娘が走って! と叫ぶ。母は娘を信じて走る。

「屈んで!」

「わかった」

 この親子の信頼関係こそが理想的であった。母が変なプライドを持たず、自分の子どもを信じているからこそ、風の凶刃から逃れられているのだ。

ゆい、どこかに隠れた方が……」

「駄目! 建物が壊されちゃう! みんなが巻き込まれちゃう!」

 娘の安全を考え、屋内に行こうと提案した母だったが、娘の言葉にはっとする。この子ども──結は鎌鼬の動きが見えているようだった。鎌鼬が起きる直前、「気持ち悪いのが来る」と呟いていた。普段から天候の悪い日などは不思議な発言をする子どもだった。まるで未来予知のように。

 まだ、魔法を発症したとは言われていない。ただ、素質はあるのかもしれない。母親の真子まなこは娘を信じて行動していた。それが娘を守ることになると信じて。

「左に避けて」

 さっと避ければ横を掠めていく風。当たらないとわかっていてもすり抜ける風の冷たさと鋭さにはどきっとさせられる。

「ゆいたち、追いかけられてる……!」

 娘がわなわなと震え出す。本当は、怖くて仕方がないのだろう。普通の人間には見えないものが見えるということは、差別もされやすい。それ以上に、見えるものが正体不明で得体が知れず、恐ろしいものだ。

 真子を回顧する。自分も昔は不思議なものを見たり感じたりして、人々から遠巻きに見られる存在だった。いつしか、それは見えなくなったが……娘を迷わず信じられるのは、真子が同じような経験をしたからだ。二の舞を演じさせたくはない。

「お母さん、走って。あっちの方角。風が来る!!」

 言葉の接続が妙に感じ、一瞬足を止めてしまう。するとその隙を逃さず、鎌鼬が足をすくって転ばせてきた。

「きゃっ」

「お母さぁん……」

 結は、涙で震えていた。結を庇うように抱きしめたため、結には迫り来る鎌鼬の正体が見えるのだろう。

「ごめん、結……」

 たった一瞬、ほんの一瞬。けれど命取りになる一瞬、真子は結を信じられなかった。いや、信じるか信じないか迷ってしまったのだ。

 迷う暇などなかったのに。

 せめて、結は傷つかないように。

 結を抱えて踞る真子。さあ、獲物を捕らえた、とでも言うかのように風がびゅん、と音を立ててやってくる。

 真子は涙を溜めた目を閉じた。

 …………

 …………

 …………

 しかし、いつまで経っても衝撃はやってこない。

 真子が目を開け、ゆっくりと起き上がると、上から杉の葉が落ちてきていた。

「ごめん、怖かったよね」

 振り向くと魔法科高校の制服を纏った幼い面立ちの少年が片手で鎌鼬を受け止めていた。その周りを守護するように、杉の葉が舞う。

「早く逃げてください。それと、なるべく僕から離れて」

「お兄ちゃん、杉の……」

「早くっ」

「はい!」

 少年の力のある声にびりびりと空気が震え、真子は結を抱え直してその場を離れた。けれど、あんな華奢な少年があの鎌鼬に立ち向かって大丈夫なのか不安になり、真子は少し離れた被害のない店に入った。

 杉の葉を舞わせていることからわかる通り、彼は杉の魔法少年なのだろう。

「お母さん、お兄ちゃんが、逃げてって叫んでる」

「え? でも……」

 彼がもし怪我をしたら、と不安をこぼすと、それには結も同意する。

「でも、お兄ちゃんの声、とっても痛いの。ゆいたちのこと、ほんとのほんとに心配してるの……」

 おそらく、結が聞いているのはあの魔法少年の心の声だ。結のことは信じている。けれど、あんな少年一人に押し付けて、逃げるのは気が引けた。初対面の自分たちをこんなにも心配してくれる人の無事を祈るしかないなんて……つらい。

 それに、と真子の中に思考が閃く。

「結、お母さんはあのお兄ちゃんのこと、見守ってあげなきゃならないと思うの」

「お母さん?」

「なんとなくだけど、そう思うの。結がいつも感じている感覚と、きっと似てるわ」

 この直感は、かつて見えぬものを見ていた時代を想起させた。何かが自分に訴えかけてくる感覚。

 思わぬ返答に結は戸惑ったようだが、母の真っ直ぐな目を見つめ、頷いた。

「わかった。お母さんはいつもゆいを信じてくれる。だからゆいも、お母さんを信じる」

「ありがとう、結」

 結の頭を撫でると、真子はガラスの向こう側、見えない風たちと戦う魔法少年を見つめた。

 オレンジ色の花びらが生まれて地面に落ちたのを、二人は気づかなかった。


 杉原は鎌鼬を、好戦的な笑みを浮かべる。

「僕のいる街で風害起こすなんてやってくれるね……鎮まれ」

 手始めに樹文。だが、鎌鼬は暴風や竜巻とは違い、散らばっている風だ。強い杉原の樹文をもってしても、軽々と避けられてしまう。

 杉の葉は針葉樹であるため、細い。だから風を縫うこともできるが、逆に言えばすり抜けられてしまう。

「なら、鎌鼬と同化してみようかな」

 杉原は朗々と樹文を唱える。

「我は風なり。風に連なりしものは我が同胞はらから。我と共にあれ」

 すると、鎌鼬……に吸い付いていた杉の葉が一気に杉原に突き刺さる。繰り返すが、針葉樹は名前の通り葉が尖っていて鋭い。

「そう来るか」

 いくらかは防いだが、服数ヶ所と頬に傷を受ける。鎌鼬が抵抗して、杉原の魔法花を利用したのだ。

 今は自然災害とはいえ元樹木草花魔法使いロストボタニカル。樹木魔法には通じるところがあると見た。

「僕は頑丈な体を持ってるからね……そっちがそう来るなら我慢比べといこうか」

 もう一度同化しようとしたが、樹文を唱えるために息を吸ったたった一瞬。

「しまった」

 鎌鼬が杉の葉をすり抜けて、近くの商店へ向かう。破壊のための風が渦巻くのがわかる。

 杉原は風でそちらに移動し、目を剥いた。先程逃げろと釘を刺した親子がそこにいたのだ。

 親子の周囲には、オレンジ色の華麗な花びらが舞っていた。

 ——駄目だ! 逃がさないと!

 けれど、杉原の動揺を見逃さず、鎌鼬は店を破壊する。コンクリートの壁が、まるでバターでもスライスしたかのように、切れた。

 風が吹き込み、店内は困惑に満ちる。

「危ない!!」

 近づいてはいけないことはわかっていた。

 けれど、その親子に降り注ぐ瓦礫の雨を今防げるのは自分しかいない。

 杉の葉を大量に集めて盾にし、親子二人の上に覆い被さる。

 がっ、と背中と頭に衝撃が走った。

 だが、その程度で意識は飛ばさない。それが杉原健である。

 最終手段の樹文を口にした。

「『消え失せろロスト……樹木草花魔法使いボタニカル……』」

 それはロストの正式名称であり——ロストを一瞬で消滅させられる禁句であった。

 ロストボタニカルと唱えることで、ロストは消える。それはロストにとっても、樹木草花魔法使いにとっても皮肉な話だった。

 ただ、無敵のような一言でも、欠陥はある。致命的な欠陥が。それが「ロストボタニカル」という樹文が禁句とされている理由でもあった。

 ロストとは元々、無念のうちに死んだ樹木草花魔法使いの未練や後悔などの塊だ。浄化や鎮魂がロストに効くのは、その未練を清めたり、その死を悼むことで未練や後悔を鎮めたりできるからだ。つまり、ロストとの戦いは、仏教で言うところの成仏に近い。

 けれど、杉魔法では浄化も鎮魂もできない。未練や後悔が塊となって、暴走状態になったロストたちを風でいなして、その思いの丈を受け止めるしかできない。思いの丈を吐き出しきれば、ロストは自然と鎮まる。

 だが、ロストの未練や後悔が大きすぎて、いなすのに時間がかかったり、受け止めきれなかったりした場合、このように周囲に多大な被害が出る。それを最小限に抑えるために、禁句として「ロストボタニカル」という樹文があるわけである。

 その樹文は一時的にロストを鎮めるものでしかない。力は弱まるが、いつかまた、現れる。

 それでも、これ以上の被害を出すわけにはいかなかった。幸い、杉原の樹文は強い。再び現れるとなっても、今回より弱体化し、現れるまでにある程度期間があるだろう。

 それはあくまで結果論である。

 ゆらり、と体を起こしたところで、瓦礫の破片が頭に当たる。痛い。それは自然に落ちてきたものではなく、故意に投げられたものであった。

「化け物!」

 杉原は目を見開いた。

「お前は生きながらにしてロストなのか!? こんな破壊を起こして……」

 端から見れば、杉原も風を操るのだから、鎌鼬とそう変わりない。

 つ、と頭にできた傷から血が肌を伝い、涙のように目から垂れた。

 生きながらにしてロストになってしまう事例もないことはない。魔法を発症したことで異端となり、人々から心無い言葉を向けられ、精神を病んでしまった魔法使いたちがそうなる。

「ちがう、ちがうよ! お兄ちゃんはみんなを守ろうって」

「そんなことわかるものか! さっきの騒ぎだって、そいつが面白おかしくするために自作自演でヒーローになろうとしたのかもしれないだろ!?」

「違います! 彼は私たちを守って……」

 憤怒した客が、反論する親子に瓦礫の欠片を投げようとする。

 さっ、と二人の間を風が抜けたと思ったら、杉原がその礫を受けていた。親子を庇って。

「僕に石を投げて満足するなら、いくらでもどうぞ。体が頑丈なのが取り柄なので」

「……イカれてやがる……」

 客が散り、従業員が対応に追われる。場が終息に向き始めたのを見て、杉原はその場に崩れる。

「変身しないで樹文連発はきついな……」

 正直、気力だけで保っていた。変身能力を使えば、より効率的に魔法が使えるのだが、その分、魔法花に侵食される可能性が上がる。杉原の場合は今までこれほど魔法花を使っておいて、魔法花の侵食の兆候がないため、より変身は危険だとされる。杉花粉の時期は同じ杉が敵となることが多いため、変身を余儀なくされるが。

「お兄ちゃん……」

 言ってしまえば、今、自分のことはどうでもよかった。

「開花、しちゃったみたいだね……」

「お花、きれいでしょ? お兄ちゃんの葉っぱもきれい……」

 女の子が差し出したのは、オレンジ色の薔薇。

「お兄ちゃん、いっぱい頑張った。いっぱい痛くなった。だからね、ゆいが魔法の呪文を唱えるの」

「え?」

 魔法発症したての子どもが魔法を使うのか、と思ったら、ぽんと頭に小さな手が乗せられた。

 そしてくしゃくしゃと緑の柔らかい髪を撫でる。

「痛いの痛いの飛んでいけ」

 なんだ、子どものおまじないか、と微笑ましく思っていると結という女の子が母を呼び寄せる。

「この魔法はお母さんの方が得意なの。お母さんよくゆいに痛いの痛いの飛んでいけってしてくれるから。お母さんもやって」

「そうね。お礼には足らないかもだけど」

 母親はすう、と息を吸うと、歌った。

「痛いの痛いの飛んでいけ」

 杉原は目を見開いた。

 なんでもないおまじないの言葉を唱えただけなのに、その母親は不思議な光を放ち、手にはオレンジ色の薔薇の紋様が浮かぶ。

 光は杉原の傷の痛みを癒した。

 よく見ると、結の手にも同じ花紋が浮かんでいる。

「まさか……二人で一つの……魔法使い……?」

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