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第12話 紙当て

「突然だったのに、どうもありがとうございました」

「気にしなくていいよ。こっちこそ、お茶の一つも出せないで申し訳ないね」

「いえいえ! お気遣いなく」

 ふう、と禊が息を吐いて紙を畳む。杉原の額からも紙を取り、紙当てありがとうございました、とお辞儀をした。橘の魔法は魔法というより儀式的なものなのだろうか。

「情報管理に関しては心配しなくていいよ。この紙を燃やせば他者に記憶を見られることはないからね」

 言うなり、手近の蝋燭に紙を当てる。紙はみるみるうちに燃えていき、あっという間に消えてしまった。

 禊が肩を竦める。微笑していた。

「面白いだろう? 紙当てに使った紙は他のどんな紙より燃えやすく灰にならないんだ」

 言われてみると、燃えかすは見当たらない。ある意味、これが魔法であった証拠かもしれない。

「記憶なんて、忘れようと思えばこんな感じで塵も残さず消すことができるって皮肉ってるみたいで好きだよ、紙当ては。ああ、紙当てがどういうものかはまだ説明していなかったね」

 それは杉原がずっと気になっていたことだ。

「どういうものなんですか? 魔法は樹文や意思だけで発動できるのに、こういう形式ばったことをするなんて……」

「うん、不思議だろうねぇ。でも、これはうちの伝統みたいなものでね。今じゃワンクリックで個人情報がほとんど丸裸になってしまうようなものだ。その上過去まで明かされてしまったら、身も蓋もないだろう? これはそういう配慮か、ら……」

 語っている途中でとさり、と禊が横に倒れる。驚いて様子を見ようと近づくと、暗がりで見えづらかったが、顔面蒼白で、脂汗が浮かんでいた。熱はない、というか、肌が冷たい。

 抱き起こそうと首筋に触れて気づく。そこが不自然にごつごつとしていることに。

 まさか。

「気づいたね」

「あ、実くん。お姉さんが……」

「知ってる。また『紙当て』したんでしょ?」

 別室にいた実がタイミングを見計らったように来たのも驚いたが、紙当てが原因であるように語ったのも驚きだった。

 杉原はごくりと唾を飲み込み、実に尋ねる。

「かみあてって、何なの?」

「いくつか意味があるけど、一番大きい意味は『神当て』。神様にお願いして当ててもらうのさ」

「神様?」

「本当にいるかは知らないけど。うちが魔法使いの血筋なのはもう知ってるでしょ? 魔法がまだ病気とされていなかった当初は、神様を降ろす力だと思われていたんだって。不思議だよね。まあ、元を辿ると神社の家系だから、神様を信じるっていう前提には納得いくけど」

 神様。杉原はあまり信じていない。信じていないけれど、何度神様に祈ったかは知らない。例えば桜の魔法少女が短命だと知ったとき。例えば美桜が桜の魔法少女だと知ったとき。例えば杏也に銀杏の魔法花が生えたとき。……杏也が銀杏に押し潰されて、死んだとき。

 そうでなくとも、「困ったときの神頼み」という言葉があるくらい、信じる信じないは別として、神様という考え方は人間の傍にある。

 神社の神主や巫女が本当に神様とお話ができるのかとか、神様を降ろせるのかとか、様々な疑問はあったが、日常を過ごしていく上では知っていても知らなくても支障のない事象だ。興味も大してなかったので、「もしできるんだとしたら、大変そうだなぁ」くらいの認識である。アニメや漫画、小説等で神様が出てくるのは非常事態のときと相場が決まっているから。

 けれど、所詮は架空の世界観での考えに過ぎないので、やはり大して信じてはいなかった。

「この紙当ての儀式は、魔法には必要ないんだけど、こんな力を与えてくだすったであろう神様への畏敬の念を込めて受け継がれている馬鹿げた風習さ」

「馬鹿げたって……」

「馬鹿げてなくて、何なのさ? 神様に会うためには『禊』をしなくちゃならない」

「みそぎ……?」

 それはこの倒れた少女の名前でもある。

「禊っていうのは、身を浄めるとか、そういった感じの意味で使われる言葉だよ。語源は『身を削ぐ』……本来は神社のお参りとかでするお清めみたいな意味だけど、橘の魔法使いにとっては違うんだ。文字通り、この儀式をやるたびに身を削ぐことになる。……少なくとも、お姉ちゃんはそういう体質に生まれた」

「それが、この……」

「そう、橘の侵食」

 髪の生え際に巧妙に隠されているが、禊の首筋には木の根が張っていた。まだ初期段階だろうが、魔法花の侵食は体力を著しく奪う。

「……僕に引き継げば、お姉ちゃんはこれ以上寿命を縮めることはないのに……いくら言っても、『お前を魔法使いにはさせない』って……」

 悔しそうに拳をぎゅっと握り、立ち尽くす実。俯いていて見えないが、その顔は悔しさで満ちていたにちがいない。

 何もできない悔しさなら、杉原も知っている。運命を変えられるなら、杏也や美桜の立場を代わってやれたなら、どれだけ楽だったことだろう。

 魔法花の侵食の始まった者には、絶対的な死が待っている。人間は誰もが必ずいつかは死ぬが、その期限がぐんと短くなるのだ。魔法使いではないとはいえ、魔法使いの姉を持った身。魔法に関する知識はある程度持っているにちがいない。

「でも、だからこそ、お姉さんは君を魔法使いにさせたくないんじゃないかな」

「……どういうこと?」

 顔を上げた実は泣いていた。こうしてどれだけ姉が身を削るのを耐えて見ていたのだろう。

 それでも、姉の思いやりを理解してほしかった。

「魔法使いにならなければ、魔法花に侵食される心配もない。無限ではないけれど、可能性のある未来が残っているんだ」

「僕は、お姉ちゃんが死んだ後の未来なんていらないよ」

「でもさ」

 禊の体を床に横たえて、杉原は実に歩み寄る。

「それはきっと、禊さんだっておんなじだよ。君が万が一、魔法花に侵食されるようなことがあったら、それで死ぬのを目にすることになったら、きっと今の君と同じことを言うよ」

「……そうかな」

 実は自信がなさそうだ。

「お姉ちゃん、僕を頼ってくれないし。家事とか全部自分でやるんだ。魔法花が侵食してきても隠すだけで、何も言ってくれない。風邪を引いて倒れそうでも大丈夫だって笑って……」

「心配させたくないからだと思うけど」

「心配するに決まってるじゃん。……それとも、僕がお姉ちゃんの負担になっているのかな……」

 よほど思い詰めているようだ。上手いかどうかはわからないが、杉原は思ったことを口にする。

「ねえ、今倒れたのってさ、客人である僕がどんなに無情でも、君が助けに来てくれるって信じてたからじゃない?」

「え?」

「なんだかんだ言ってもさ、無意識に頼ってるんだよ。禊さんは結構用心深くて、簡単に他人を自分の懐には入れないでしょ? でも、心を許せる人が一人もいないのは苦しいよ。でも、禊さんには実くんがいる。だから安心して眠れるんじゃない?」

 実は黙って、自分の手を見下ろした。何もできない、といつも思ってきた。

 こんな風に言われたのは初めてだった。今日会ったばかりの人が姉の何を知っているのか、と思う部分もあったが……少し、救われたような気がする。

 それでも、やはり実質的に自分は何もしていないように思うのは考えすぎだろうか。

「僕はただ、お姉ちゃんと普通に暮らしたいだけ。お姉ちゃんに幸せになってほしいだけなんだ……」

 幸せ。

 その単語にふと閃くものがあり、実は杉原を見た。

「あの、『杜若の魔法使い』を知りませんか?」

「え?」

 知ってはいるが、安易に即答するわけにはいかなかった。姫川との約束で、姫川が杜若の魔法使いであることは他者に明かしてはいけないことになっている。

 主に紅葉寺に知られたくないようだが。紅葉寺から逃げて回っているとはいえ、この姉弟に話していいものだろうか。

 情報なんて、どこから零れてしまうかわからないのだ。

「なんで、杜若なの?」

「杜若の魔法使いは絶対的な幸せを与えてくれます。人智を超えたことすら、幸せを叶えるためなら成し遂げる、と。だったら、お姉ちゃんの侵食だって、治してくれるかもしれない。お姉ちゃんがもっと長く生きられるようになるかもしれない」

 長く生きる、と聞いて別な人物が脳裏をよぎったが、彼女を紹介するのはこの姉弟には酷だろう。

 姫川は花粉症の人の願いを叶えるために杉原を殺そうとした。根本的な解決にはならないが、些細なことでも人の幸せのために行動したことは確かだ。きっと、この姉弟の話を聞いたら、協力はしてくれるだろう。

 だが、果たしてこれでいいのだろうか?

「そんなものはいらない」

 悩んでいると、禊がゆっくりと起き上がった。まだ顔色は悪いが。

 立ち上がって実の前に来て、その頬を優しく包んだ。

「私は実さえ無事ならいいんだ」

「でも、お姉ちゃん」

「お前が橘を継いで、魔法花に侵食されないとも限らないだろう。生き長らえてそんなものを見るのはごめんだ」

 禊は知っていた。紙当てのときに、杉原の記憶を見たから、杉原が杜若の魔法少女を知っていることを知っていた。

 けれど、杜若の魔法少女の事情もすぐに把握した。自分たちと同じく、紅葉寺に気づかれてはいけない。にも拘らず魔法科高校に入学した。そんな彼女と関わってしまえば、今まで逃げてきたのが水泡に帰す。

 自分たちが捕まれば、紅葉寺は研究を始めるだろう。唯一遺伝性である橘の魔法の研究を。そのモルモットにされるのはごめんだった。

「帰ってくれ」

「体は大丈夫なんですか?」

「大丈夫さ。心配には及ばない」

 と言われても心配なのだが……

「やることがたくさんあるんだ。次の寝床を探さなきゃならないし、街を移動しなきゃならない。あんたは舞桜からの紹介だから受け入れたけど、魔法科高校の生徒である以上、何らかの方法で居場所がバレてしまうこともあり得なくはないからな。その話し合いをしなければならない。立ち去ってくれ」

「わかりました」

 徹底しているな、と思った。万が一ではあるが、また杉原が記憶を奪われるかもしれないし、明葉や玲奈に会っただけで厄介なことになることは請け合いだ。

 それに、杜若の魔法少女のことを話すのもよくない気がした。実が探しているのはわかったが、ややこしいことになりそうだ。

 杉原は改めて礼を言って、家を出た。

 杜若の魔法使いを知らないか聞かれたときに同時に思い出した人物を思い浮かべる。

「うーん、まあ、寿命延ばしたいだけなら、あの人に頼むのが一番手っ取り早いんだけどね……あの人は魔法を商売にしてるからな」

 その人物はお金と引き換えでないと、魔法を使ってはくれない。空き家を探して引っ越すので精一杯の姉弟に紹介するのは酷というものだろう。

 あの様子だと、親戚や両親も頼れないようだし……。

 自分が未練を残しても仕方ない、と杉原は夜の空に飛び立った。

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