舞桜と家路に着くのは久しぶりなので、なんだか変な気分だ、と杉原は思っていた。
それに、周囲からの視線が尋常ではない。杉原と舞桜が魔法科高校の制服だということもあるが、おそらく、舞桜が美人だからだろう。小さい頃から綺麗な人ではあったが、数年見ないうちにその美しさに磨きがかかったというか。
男性じゃなければ、さぞかしモテたことだろう。というか、舞桜の容姿に引っ掛かってナンパしてくる男性が何人かいた。その猛者たちは「悪いな、俺、男なんだわ」という台詞と声と共に無残に散っていった。
美桜も一緒に行きたがっていたが、舞桜に駄目だ、と置いてきぼりにされた。舞桜曰く、桜の魔法少女である美桜には紅葉寺の見張りがついているかもしれないから、だそうだ。そこから察するに、今から連れていってもらう先の人は、よほど紅葉寺という家と関わりたくないのだと見える。
杉原は魔法科高校に入学することに抵抗はなかった。紅葉寺の悪い評判も知ってはいたが、要は自分がいいように利用されなければいいだけの話だ、と楽観的に考えていたのだ。
それに杉魔法の力は易々と悪用はできない。まず、魔法を操作できるのは杉原だけだし、杉魔法はまだまだ解明されていないことが多くあると言われている。譬使用できたとしても、使いこなせないにちがいない。
まさか、美桜までいるとは思わなかった。舞桜が美桜のために姿を消した具体的な理由を考えもしなかった。それが自分のためであることも。
「とりあえず、久しぶりに健の家だな」
「僕の家だと都合がいいんですか?」
「まだ入学したばかりで紅葉寺の手が回っていないはずだ。それにお前の両親の親バカっぷりはお墨付きだろ。お前が飛び出していった後、魔法使いでもないのに追いかけようとしていたからな? おかげで、紅葉寺は勿忘草しか送れなかった。しかもたぶん紅葉寺の手下の中では一番未熟だ」
「手下って……他にもあんな感じのがいるんですか?」
すると舞桜は杉原の緑がかった黒髪をくしゃくしゃと撫でた。
「よく考えてもみろ。普通、魔法使いたちからしたら、魔法を一般認知させるために法改正して学校作って病院作って、虐げられてきた魔法使いの保護までしてるんだぞ? 紅葉寺を神様仏様と思ったって、無理もねぇことだろうよ」
確かに、こう言葉で並べると紅葉寺家が成してきたことは異様なまでの偉業だ。歴史に名を残してもおかしくない。それに、魔法を使えることで差別されてきた人からしたら、お釈迦様のような存在になるのも頷ける。
杉原も、舞桜にも言えることだが、彼らは紅葉寺がそれらの偉業を成し遂げる前の魔法使いの立場というものを知らない。だから、一概に否定ばかりもできないというわけだ。
そんなことを語り合っているうちに、杉原の家に着いた。魔法科高校は寮もあるのだが、杉原は家が近いので、家から通うことにしているのだ。
「ただいま」
「お邪魔します」
「あーっ、健ちゃん大丈夫? お母さんたち健ちゃんが無事か心配だったのに、ロストがまた出てくる可能性があるからって帰されちゃったのよ~。ひどいわね、あの学校。息子の安否くらい確認させなさいよー、全く」
ぷんぷん、と自分で擬音を口にしてしまう母に健は苦笑いするしかない。あと、ものすごい力でぎゅーっと抱きしめられているので息が苦しい。丈夫な息子を産んだ母は息子以上に丈夫だ。
舞桜は微笑ましく見やり、奥から出てきた杉原の父に軽く会釈する。
「舞桜くん、かい?」
「はい、お久しぶりです。夜長舞桜です」
「あらまあ、健ちゃんったら随分な美人さん連れてきたと思ったけど舞桜くんだったのねー! 前々から美人さんだと思ってたけど、久しぶりに会ったら昔より綺麗になっているんですもの。おばさんにその若さ分けてー」
杉原から離れたと思ったら今度は舞桜に抱きつく母。言うほど老けてはいないので対応に困る。一応舞桜が思春期の男子であることと後ろで旦那が見ていることを考慮していただきたいものだ。
まあ、舞桜は毛ほども気にした様子はないが。息子としては複雑な気分である。
「美桜ちゃんは? 元気にしてる?」
「はい。魔法科高校の付属中に通ってますよ」
「というか舞桜くん魔法科高校に入ってたのねー? 寮生活なのかしら」
「ええ、まあ」
「美桜ちゃんとおんなじ部屋?」
「ですね、その方が都合がいいので」
「でも兄妹とはいえ年頃の男女が同じ部屋で寝泊まりしているのはお母さん正直事案だと思うの」
「母さん頼むからそろそろストップ」
息子からの息も絶え絶えな要望に母は素直に従い、舞桜から離れた。何事もなかったかのように「お茶淹れるわねー」と立ち去っていけるあの御仁の神経回路はどうなっているのか。
出鼻を挫かれたというか、緊張と警戒をしてきたのが馬鹿らしくなるくらいの応酬だった。杉原のHPはだいぶ削られた。
「それで、本当に大丈夫なのか?」
今度は父が心配して寄ってくる。杉原は姿勢を正した。
「大丈夫だよ。お父さんもお母さんも心配性なんだから……」
「いつまで経っても子どもは子どもだ」
言葉が足りないので補足しておくと、いつまで経っても我が子は我が子、大切なことに変わりない、という意味である。杉原の父の口数の少なさは舞桜も理解しているところなので、なんやかんやと揉め事に発展することはなかった。
茶の間にはこたつがまだある。火は入れていないようだが、団欒にうってつけということで杉原家では重宝されている。
「できれば息子の晴れ姿をもっと撮りたかった……」
少ししゅんとする杉原の父が手にしているのは本格的なカメラである。写真が趣味なのでまあ不思議ではないのだが、発端は息子が生まれたときの記念撮影だった。カメラより息子が先な親バカというわけである。
テーブルには堅煎餅が置いてあり、こたつに入るなり、杉原はそれを手に取った。バリボリと咀嚼する。少し焦げたしょうゆの味と香り、そしてその噛みごたえ、アクセントとして海苔が磯の風味を運んでくる。堪らない、と杉原は堅煎餅を堪能していた。
「いつ見ても美味そうに食うよな」
「だって美味しいんですもん」
そんななんでもない会話をしていると、杉原の母がお盆を携えて部屋に入ってくる。
「はいはい、お茶が入りましたよー。舞桜くんは豆大福好きだったわよね?」
「え、ああ、はい」
「うふふ、ちょうどよかったわ。ご近所さんから豆大福のお裾分けもらっていたの。食べてってちょうだい」
「え、いいんですか?」
杉原はちら、と舞桜を見る。心持ち瞳がきらきらしているように見えた。舞桜は昔からちょっと塩味のある甘いお菓子が好きなのだ。ちなみに美桜はいちご大福が好きである。
濃い目に淹れられたお茶と共に立ち並ぶ大きな豆が入ったぽこぽことした大福。軽くまぶされた白い粉がそのしっとりとした雰囲気を際立たせている。
舞桜はしばらくその姿に見惚れた後、割れ物でも扱うかのようにそっと持ち上げ、軽く口付けするように大福を食んだ。大福のもちもち感、特有の口の中に数分は居座るような甘味、その甘味を際立たせるためにほんの少しだけ存在する豆の塩気。舞桜からしてみると、豆大福というものは至高の味わいが揃い踏みした究極の食べ物なのである。
それはさておき、向かい側で普通にお茶を啜る杉原の父が問いかける。
「それで、寮生活なのにわざわざうちに来るなんて、どうしたんだい? しかも美桜ちゃんを置いてくるなんて」
全くその通りである。堅煎餅と豆大福の美味しさにうっとりしている場合ではない。
「紅葉寺の手が回ってないところ、というとここしか思いつかなかったもので」
「なるほど。自由に話していくといい」
そうとだけ言うと、杉原の父はさっさとお茶を飲み干して、別な部屋へ消えてしまった。
「ごめんなさいね、主人が素っ気なくて。あの人、あまり紅葉寺さんが好きではないみたいなのよねぇ。まあ、気にせず話してって。こう見えてお母さん、口は固い方なの」
本当だろうか。
とはいえ、これから舞桜が話す人物はもう紅葉寺に居場所がバレていてもおかしくないのだ。
「橘の魔法使いというのは知っているか?」
「橘? 橘って、雛飾りである『右近の橘、左近の桜』っていう?」
「そうだ。あまり有名ではないが、あれにも花言葉があってな。『追憶』というんだ。魔法が花言葉に由来する部分があるのは知っての通りだ。……橘の魔法使いには『記憶を見せる』能力がある」
杉原は首を傾げた。
「なくなった記憶でも?」
「曰く、『記憶というものは脳に記録されているもの。いくら忘れたところで脳というデータベースをフォーマットでもできなければ、消すことなどできない』らしい」
ふむ、道理ではある。人間の脳の仕組みに関してはまだ全てが全て明らかになっているわけではないが、今回の場合はその橘の魔法使いに任せて大丈夫だろう。杉原の脳が
「今の橘の魔法使いは紅葉寺をかなり嫌っている。紅葉寺が何度も魔法科高校に来ないかと掛け合っているそうだが、全部蹴って、各地を転々としているんだと」
「それはそれで大変そう……」
「今から電話してみるわ。んで、近くにいたら会いに行こう」
舞桜がスマホを取り出し、慣れた手つきで番号を押していく。
電話はツーコールほどで繋がった。
「やあ、舞桜」
「お前、もうちょっと警戒した方がいいぞ」
「舞桜のことだ。探知されないように万全を期しているんだろう?」
「そんなに信頼されてもなぁ」
なかなか砕けた話し方だ。電話の向こう側から聞こえるのは澄んでいて聞き取りやすい女性の声。大人びた感じがするが、舞桜と同年代なんだろうか。
舞桜が事情を説明すると、相槌を打っていた相手の声が、次第に暗さを帯びてくるのを感じた。深い怒りが伝わってくる。
「ふーん……勿忘草を手に入れたか……こりゃ尚一層厄介なことになるね。それはともかく、記憶を失くしたって子に代わってくれるかい?」
「ああ。ほい、健」
いきなり渡された電話に戸惑いつつも、代わりました、と応じる。
「私は
そうは言われても、生まれつきなのでどうしようもない。治る気配もない。
「話は聞いた。あんたの記憶は早めに戻した方がいいと思うから、今から私が言うところまで一人で来な」
「一人でですか?」
「何も言わないだろうが、舞桜は妹のことが心配で堪らないだろう。それに杉魔法なら一人の方が身軽で速い」
「わかりました」
場所を聞き、頬がひきつった。
「え? それってここから三県くらい隣の場所ですよね?」
「紅葉寺の手が届くところに行きたくないんだ。勘弁してくれ」
まあ、一人旅なので気にはしないが、そこまで嫌われる紅葉寺家は一体禊に何をしたのだろうか。
「公園のベンチで座っている。橘の簪をしているからすぐわかるだろう」
「わかりました」
「念のため、合言葉を決めておこうか。舞桜から君の好きな食べ物聞いておくから、私だと思った人物に話しかけるときは私の好きな食べ物を言うんだよ?」
舞桜に聞いてね、と言われ、舞桜に電話を返した。
舞桜はおそらく説明を聞き、「堅煎餅」とだけ答えて電話を切った。
「まあ、あんだけ遠けりゃ紅葉寺も手出しはしないか。水羊羮な」
「あ、はい」
水羊羮好きなんだ……と思いながら、杉原は出発することとなった。
「健ちゃん、遠出するんだから、無理しないようにね」
「ありがとう」
「晩御飯用意して待ってるからね」
「長い話になるかもしれないから、先に寝てていいよ」
「ねえパパ! 健ちゃんが冷たいわ。反抗期かしら?」
「……気をつけて行ってくるんだぞ」
「無視!?」
あはは、と空笑いを残し、杉原は飛び立った。
こんなに遠くまで飛ぶのはいつ以来だろうか。
…………
…………
…………
駄目だ、思い出せない。今日忘れさせられた記憶の中にあるのだろう。
指定された公園を確認して、ベンチに座っている人物を探した。一人、古風な黒いセーラー服を着た女の子が座っていた。茶髪を器用に簪でまとめている。簪の飾りは白い花と緑の実。
「水羊羮?」
「堅煎餅。あんたが杉の魔法使いね」
山吹色の目がこちらを見上げ、改めて、と名乗った。
「私が橘の魔法使い、橘禊よ。よろしく」