「もう、仕方ないなあ……じゃあ、行きますよー」
開戦の合図はあまりにも軽すぎるものだった。
ホリカの手のひらに、突如としてダマの巨体ほどの火の玉が浮かび上がる。マグマのように燃えたぎる火焔球からは、離れた場所からでも膨大な熱気が伝わってくる。
ほい、と放り投げた火の玉は、うなりを上げながらイゾノ家メンバーに殺到した。
なんの対応もできないイゾノ家のその前に、ダマが立ちはだかる。面々をかばうように火焔球の直撃を受けたダマは、鳴き声ひとつ上げずに光の粒となって消えた。
「うわーんダマー!」
ダラウォが泣き始める。しかし、間一髪でダマがかばってくれてよかった。下手をすればあのままパーティ全滅だ。ダマは召喚獣、ダラウォが呼び出せばまた出てくることができる。それだけは救いだった。
「あーあ、一撃目は不発かあ。じゃあ次、行くよー」
「お母さん! 防御魔法を!」
「わかりました!」
今度は対処できるように、マッスォはフィーネに指示を出した。フィーネの詠唱が終わるのを待っていたかのように、かざした手のひらから極大のいかずちを放つホリカ。
雷撃が激しく防御壁を揺さぶる。まるで雷雲のまっただなかにいるようだ。ばき、ばき、と結界にヒビが入っていく。
「……くっ……!」
歯噛みしたフィーネがかざした両手を震わせ、
「もうもちません! 結界が破られたら、みんな散開してよけてください!」
フィーネをもってしても、ホリカの圧倒的火力には耐えられない。ばきん!と光の防御壁が破られると同時に、イゾノ家メンバーは散り散りになってその場から逃れた。それでも枝分かれした電撃で、しばらくからだがしびれてしまう。
「ああー、次もよけられちゃった。案外やりますね」
あはは、と笑って上から目線で言い放つホリカに、イゾノ家は手も足も出ない。
いや、問題なのは膨大な魔力だ。近接戦闘なら、あるいは……?
それはナミーヘやサザウェも考えていたらしく、雷撃のダメージから回復するとともにホリカへ飛びかかろうとする。
「成敗してくれる!」
「大人を舐めるんじゃないわよ!」
しかし、やいばがホリカに届くより先に、地獄の業火がホリカの周りを取り巻いた。灼熱に阻まれ、ふたりは足止めを食らう。
その隙に、ホリカは再び極大の火焔球を放った。避けきれず、ナミーヘは炎に飲み込まれて消し炭となり、サザウェもまた半身を焼き焦がされてしまった。
「お父さん! サザウェ!」
おそらく、ナミーヘは即死だっただろう。ただの骨になったナミーヘと、右半分を炭化させたサザウェのかすかなうめき声が耳を刺す。
家族が死んだ。
その事実はマッスォの胸に重くのしかかり、にわかには信じられなかった。まさか、ここまで来てこうも簡単に全滅の危機とは。
「しぶといなあ。よーし、次次!」
まだかろうじて生きているサザウェに向かって、ホリカは容赦なくトドメの電撃を撃ち込む。残っていた半身が、高圧電流によってぱぁん!と弾け飛んだ。
サザウェも死んだ。自分の妻が。
あまりにもあっけなく。
「……あ……あ……あああああああああ!!」
マッスォの口から、知らぬ間に絶望の絶叫がほとばしった。声を枯らして叫んでも、ふたりを失ったことに変わりはない。
ちからの差がありすぎる。
これまで数々のフロアボスを制してきたイゾノ家だったが、ホリカはレベルの桁が違った。
軽々しく挑んでいい相手ではなかったのだ。
しかし、マッスォ中に退くという選択肢はなかった。どれだけ強大な敵だろうと、自分たちならなんとかできる。そう信じてここまでやってきたのだ。
イゾノ家は、そうやって前に進んできたじゃないか。
その一員なら、戦わなくてどうする。
なにか、なにか策は……!?
「せめて死体だけでも回収しなきゃ……!」
カッツェが素早く前に出て、消し炭になったナミーヘとサザウェの死体をさらってくる。そんなカッツェの背中に、極太のレーザーが放たれた。
「……くそっ……!」
ふたりの死体を抱えながらも、素早いカッツェはそのレーザーをかわす。だが、レーザーはカッツェの動きを追うように進路を変えた。
「……なっ……!?」
驚愕の表情のまま、光に焼かれるカッツェ。あと少しでマッスォたちの元へ届く距離で、カッツェまでもが死んでしまった。
なんてことだ。これで三人が欠けた。
ホリカのちからは圧倒的だった。家族のピンチになすすべもないマッスォは、おのれの無力さに歯噛みするばかりだ。
とことんなにもできない。
自分はとんだ無能だ。
せめて、三人のように勇ましく散ろう。
悲壮感であふれた表情で剣を構えるマッスォに、フィーネが必死に呼びかけた。
「マッスォさん! 私さえ残っていれば、魔力を回復させて蘇生魔法が使えますから!」
「いえ、僕だけでもなんとか!」
「私たちだけでは死体を担いで逃げ切れません! マッスォさんのちからが必要なんです! なにも死に急ぐことはありません! だから!」
「僕だけ無傷で終われません! 僕だって、僕だって……!」
今にも突進しようとしていたマッスォの頬に、フィーネのビンタが炸裂した。
予想外の方向からのダメージにぽかんとしている内に、フィーネが語気を強めて言い聞かせるように告げる。
「しっかりしなさい! 家長でしょう! あなたまで死んでしまってどうするんですか! 現実を見なさい! やみくもに戦って勝てる相手ですか!?」
「……け、けどイゾノ家は……!」
「たしかに、今までは進んでこられました! けれども、もう三人死んでるんです! もうただ進んでいいわけではないことくらい、私にだって分かりますよ! イゾノ家だって退くときは退くんです!」
その勢いに、マッスォはすっかり押し負けてしまった。
フィーネの言う通りだ。自分でまで死に急いでしまったら、残ったメンバーはどうなるのだ。今ならまだぎりぎりでなんとかなる。ここが最後のターニングポイントだ。
イゾノ家の一員となったことで、マッスォは気がせいていた。少しでも勇ましく戦わなければと躍起になりすぎていた。ブレーキ役だった自分まで熱くなってどうする。
それまでの勢いはどこへやら、マッスォはフィーネの意見に賛同して、
「……は、はい!」
目が覚めた。ここはがんばるべきところではない。今すぐにでも撤退すべきだ。
マッスォが納得したのを確認して、フィーネがうなずく。その隣では、ワカーメとダラウォが不安そうにしていた。
そうだ、まだ家族は残っている。まだ引き返せる。
引き際を見誤ってはいけない。
マッスォは三人分の死体を担いで走り出した。三人分とは思えないほど軽い。ほとんど骨を担いでいるようなものだ、その軽さで胸が苦しくなった。
「行きますよ、ワカーメ、ダラちゃん!」
「わかったわ!」
「はいですー」
後衛三人を連れて、脱兎の勢いでその場を逃げ出すマッスォ。背後から攻撃されるのではないかと気が気ではなかったが、さいわいホリカは一切魔法を放ってこなかった。
舐められているのだ。敵は心底、マッスォたちを侮っている。これほどまでにちからの差が歴然としているのだから、当然と言えば当然だが、悔しくて仕方がなかった。
ぽろぽろと崩れ落ちそうになる、タンパク質が焦げたにおいのする死体を抱えて、入ってきた扉を目掛けてひたすらに走る。
「ふふふ! またおいでよ! 待ってるからね、ワカーメちゃん!」
ホリカの声が背中に浴びせられる。そんな屈辱的な言葉を背にしながら、マッスォたちはダンジョンマスターの広間から逃げ去っていくのだった。