さいわいにも、小部屋はすぐに見つかった。残り少ないフィーネとワカーメのちからを使って治癒魔法をかけ、なんとか持ち直すナミーヘとサザウェ。
円卓に座る面々はみんな暗い顔をしている。よほど敗戦がこたえたのだろう。
状況は厳しいままだ。第四階層のフロアボスは鉄壁であり、これ以上は先に進めない。無理に進めば全滅だ。知恵と勇気でなんとかなるのはここまでだ。
もう、限界だった。
「……撤退しましょう。どうやったって先には進めない。ここで引き返すのが一番いい」
マッスォが静かに進言すると、しばらくの間沈黙が訪れた。しん、と静まり返った小部屋に、水場の水音ばかりが響く。
「……いや、進むぞ」
「お父さん……!」
ナミーヘはあくまでも頑固だった。意地を張って、現実を見ようとしていない。
「ワシらならやれる。ここまで来て引き返してたまるものか!」
「そうよ、こんなところで負けてられないわ! もう一度挑めば、きっとなんとかなる!」
前線の武闘派ふたりはマッスォの提案を聞き入れる気はない。玉砕覚悟でどこまでも進むつもりだ。
「なあ、そうだろう、みんな!」
マッスォの中で、ぶちん、となにかが切れる音がした。
今までなんとか保っていたものが、一気に崩れ去る。
マッスォはナミーヘの胸ぐらにつかみかかると、大声で怒鳴り散らした。
「どうしてわかってくれないんだ!?」
「ま、マッスォくん……!?」
「僕は今まで何度も言ってきた! 引き返すべきだ、って! その結果がこれだ! みんなぼろぼろじゃないか! この分だと無事に地上まで戻れるかどうかもあやしい! もうそのラインを超えてしまったんだから! だから言ったんだ! 戻ろうって! なのにあんたたちは聞きもしないで、進もう、進もうって! 進むことが美徳だなんて、バカらしい! 全滅したら元も子もないんだぞ!?」
「あなた、落ち着いて……」
「僕は落ち着いてる! 言うべきことを言ってるだけだ! 君の言う通り、男らしくね! 今までは入婿である手前、強くは言えなかったけど、もう限界だ! 進め進めって、猪武者でもあるまいし、考えが甘すぎる! ここはダンジョンだぞ!? 死ぬかもしれないんだぞ!? あんたたちは行楽気分かもしれないけど、僕だけは違う! そうだ、あんたたちとは考え方からして根本から違うんだ!」
「兄さん、頭冷やしなよ」
「僕は冷静だ! あんたたちの方がよっぽど正気じゃない! なんの危機感もなく死地に足を突っ込んで、沈没船に乗り込んでるような僕の気持ちを少しはわかってくれたことはあるか!? やっぱり、あんたたちとは相容れない! 僕とは人種からして違うんだ! なにが家族だ! こんなの……家族なんかじゃない!」
言ってはいけないことを言ってしまった自覚はあった。が、今さら訂正はできない。する気もない。
もうすべてをぶちまけてラクになりたい。その一心で、マッスォは胸ぐらをつかんだナミーヘの目を睨みあげていた。
「そう思ってるのは、マッスォさんだけなんじゃありませんか?」
この場で唯一冷静だったフィーネがきっぱりと言い放つ。マッスォは視線の切っ先をそちらに向けたが、フィーネは臆することなく淡々と続ける。
「壁を作っているのはあなたの方ですよ。いつも、どこかよそよそしかった。遠慮をして、本音を言わないで、家族の輪に溶け込もうとしなかった。私たちはそれがかなしいんですよ」
「なにを……!」
「意地になっているのはあなた。一線を引いて、本心から関わろうとしてくれなかった。入婿だなんて言い訳をして、こころを開くのがこわかったんじゃないですか?」
ざくざくとフィーネの言葉が胸に刺さる。
もっともだ。マッスォの方こそ殻にこもっていた。差し伸べられる手を払い除け、自分は孤独だと悦に浸っていた。
しかし、もうだれかを責めなくてはこころの均衡が保てなくなってしまった。そして、その矛先はイゾノ家に向かってしまった。
今さら、止められるものか。
「そうだぞマッスォくん! ワシは君のことを本当の息子だと思っとる! 息子に気を遣われて、情けなく思わん親がおるか! マッスォくんは入婿だと言うが、血が繋がっておらずとも家族は家族! 腹を割って話し合おう!」
「そうよあなた! なにをそんなに意地を張ってるの!? 私たちは家族でしょう!? 結婚した時にイゾノ家に入るって決めてくれたんでしょう!? どうして家族の一員になってくれないの!」
「僕が悪いっていうのか!? ああそうさ、僕が全部悪いんだよ! あんたたちは善良で正しい、正しいとも! 僕がひねくれてるからあんたたちは困ってる、そう言いたいんだろう!」
「あなた、そうじゃなくて! 私たちはあなたを受け入れたいの! 家族になりたいのよ!」
「そういう気の使われ方が一番苦しいんだって、なんでわからない!? まるで腫れ物じゃないか!」
「あなた、疲れてるのよ! ダンジョンから帰ったらお医者さんに……」
「そうやって、僕を病人扱いして! 僕は病気じゃない! わかってないのはあんたたちの方だ! 僕がどんな思いで毎日暮らしていたか知ってるか!? 死にたいと思わなかった日はなかった! 眠れずに夜を過ごして、気づいたらまた絶望の一日が始まる! そんな人間もいるなんて、あんたたちには想像すらできないだろう! そんなあんたたちとは価値観が違いすぎる!」
ぶちまければぶちまけるほど、取り返しがつかなくなる。回帰不能点を超えたのは、マッスォも同じことだ。
知ったことか。もうどうでもいい。すべて終わりにしてしまえ。
ナミーヘの胸ぐらから手を離したマッスォは、円卓の椅子を蹴って立ち上がった。
「もううんざりだ! 次にフロアボスを倒せなかったら、僕は帰らせてもらう! 帰ったら離婚だ! あんたたちとは縁を切ってやる! 金輪際僕に関わるな!」
「そ、そんな……!」
青い顔をしたサザウェが伸ばした手を、マッスォは容赦なく振り払った。そして、苦い怒りを噛み締め、
「……頼むから、これ以上僕を惨めにさせないでくれ……!!」
うめくようにつぶやいた。
ハラワタから言葉を吐き出し、もうこれでおしまい。これから先は、だれもマッスォのことを家族の輪に迎え入れようとはしてくれないだろう。それだけのことを言ってしまったのだから。
後悔がないと言えばウソになる。マッスォの中にはどうしてもわだかまりがあった。善良なひとびとにこんな言葉を浴びせて、どこまで救えないんだ自分は。悪いのは全部自分。そんなこと分かりきっているのに、周りを責めて、まるで思春期のガキだ。
しかし、言ってしまったからにはもう引き返せない。イゾノ家との関係もこれで終わりだ。やはり、自分は結婚すべき人間ではなかったのだ。
「話はこれで終わりだ! 僕は寝る!」
一方的に言い放ち、マッスォは毛布を取り出して部屋の隅で横になってしまった。ぎゅ、と殻に閉じこもるように毛布にくるまって動かなくなる。
完全なるフテ寝だった。いい歳をした大人が、情けない。当然眠れるはずもないので、寝息を立てて寝ているフリをした。タヌキ寝入りもいい大人のすることではない。
みんなが困惑しているのが、見えなくても空気でわかった。なにやら話し込んでいるようだが、よく聞こえない。きっとマッスォの悪口を言っているのだ。そうに違いない。
寝たフリをしているマッスォに、サザウェがときおり呼びかけたが無視をした。夕食を持ってこられても無視をした。いっしょに眠ろうという提案も無視した。
明かりが消えて、一家が全員眠りにつくまで、マッスォはずっと自分の殻の内側にこもっていた。