「はーあ、疲れたなあ」
ため息すらもひたすら鬱陶しい。いちいち疲れた疲れたとつぶやきながら、ノリースは防御結界の内側であくびをしていた。
その間もダマがばたばたと敵を食い殺していく。地獄の業火があまり有効打にならない階層とあって、物理攻撃に切り替えたのが奏功した。サラマンダーの踊り食いをしながら、ダマの口元にモザイクがかかる。
イゾノ家も奮闘していた。フィーネが多少回復したおかげか、魔法攻撃はほぼ完全に防いでくれている。その結界の内側からこぼれてきたモンスターを斬り倒し、殴り飛ばし。
カッツェもどうにかして罠を見つけようと目を皿のようにしていた。やはりたまにナミーヘが尊い犠牲になるのだが、その頻度は確実に減った。
奇しくも、ノリースが提案した休憩でイゾノ家は勢いを取り戻しつつあった。
しかし、当の本人は特に何もしていないにも関わらず、疲れた疲れたとため息をついているのである。
「お腹すきません?」
「バッカモーン! 今それどころじゃなかろう!」
シルフのカマイタチを切り裂きながら、ナミーヘがかみなりを落とす。
「お前も少しは手伝ったらどうだ!?」
「あ、僕はそういうのは遠慮しときます! いいところはおじさんたちに譲りますよ、わはは!」
このていたらくである。
援護魔法で支援するダイコはひたすらにすみませんすみませんと謝っては、ノリースに冷たい視線を送っていた。
「イグラちゃんも疲れたよなー?」
「ばぶー」
「つかれてないっていってますー」
一歳児の言葉を翻訳する三歳児の機嫌もだいぶ良くなってきたが、まだまだ油断はできない。
とうとうノリースは結界の内側にしゃがみこんで頬杖をつき始めた。
「はーあ、酒が飲みたいなあ。あるでしょ?」
「あるでしょ、じゃなかろう! お前などには一滴も飲ません!」
「そんなあ、つれないなあ」
「あなた! 少しは働いてちょうだい!」
「はいはーい。そいやっと」
と、ようやく立ち上がったノリースは、モンスターを魔剣で『ちくっ』と刺した。そしてまたため息をつき始める。
「働いたから疲れたなあ。ねえ、そろそろ休憩しません?」
「あなた、いい加減にして!」
とうとうダイコがキレた。それはイゾノ家メンバーのこころの叫びの代弁であった。
「ロクに働きもしないで、安全な場所で文句ばっかり言って! 少しはイゾノ家のみんなを見習ったらどうなの!?」
「わはは、怒られちゃったなあ。いいかいダイコ、僕は体力を温存しているんだ。イゾノ家のみんなが疲れきったころ、僕の真価が発揮されるんだよ。後備え、ってやつさ!」
しかし、ああ言えばこう言う、暖簾に腕押しだった。さすがのダイコも、これには呆れ切ったため息をつくばかりである。
その後も鬱陶しい言動を繰り返すノリースとイゾノ家一行は第四階層を進み、たまにナミーヘが火だるまになったり穴だらけになったりしながらも順調にフロアボスへと近づいていった。
獰猛な牙と爪でばたばたと敵をほふっていくダマの背中を見上げながら、ノリースは鼻をほじっている。
「いやあ、ダマ様様ですね! こんな召喚獣うちにも欲しいなあ。あ、あそこに宝箱がありますよ! カッツェくんに開けてもらって山分けしましょう!」
「あなたまったく働いてないじゃない!」
「ちゃーん」
「なに、しあわせはみんなで分かちあってこそだよ、わはは! さあカッツェくん、ちゃちゃっとやってくれよ!」
「まったく、ノリースおじさんと来たら」
カッツェでさえウザそうにため息をつきながら、少しの間を使って宝箱の鍵を開ける。中には純金製のカトラリーセットが入っていた。
「うひょー! これなら金貨2枚にはなりますね! 一枚ずつ分け合いましょう!」
「お前にはやらん!」
「けどダイコはけっこう働いたんじゃないですか? これはダイコの分、ってことで!」
「あっ、こら、勝手に懐にしまうなバカモンが!」
さささー、と流れるような動きで金の食器をしまい込み、ノリースは呑気に笑ってマッスォと肩を組んだ。
「まあまあ、運命共同体、仲良くやりましょうよ! ねえ、マッスォさん!」
「……う、うん……」
マッスォは反応に困ってあやふやな返答をしてしまう。
図々しくて馴れ馴れしい。こんな男になれればいっそラクなのだろう。ノリースは嫌われることを一切おそれていない。ただただ、自分に正直に振舞っている。真の自由人とはこういうひとのことを言うのだろう。
自由。それはマッスォがもっとも渇望するもののひとつだった。
なにものにもとらわれない、そんな雲のような生き方。様々なしがらみでがんじがらめになっているマッスォにとっては、喉から手が出るほどうらやましかった。
しかし、マッスォは嫌われるのがこわい。だれかに負の感情を向けられるのが、死ぬほどこわかった。嫌われたくない一心で、悩まなくていいことまで悩んで、言いたいことも言えずにいる。
たしかに、ノリースはロクデナシだ。
だが、その生き様は一貫している。
自分に正直に、ウソをつかずに生きている。それもまた、人生との向き合い方のひとつだ。
マッスォもノリースに大迷惑をかけられたことは多々あった。
が、おのれの人生に向き合えないまま流されているマッスォからしてみれば、そんなスタイルを確立しているノリースは尊敬にすら値する。
メンバーの中で唯一そんな評価をするマッスォは、やはり異端なのかもしれない。一家の中で、どころか、世間一般の価値観とはズレている。それは自覚していた。
隣でわははと笑うノリースがうらやましい。自分もこんな風に生きていきたい。そればかり思う。
ダマの活躍もあって、第四階層もとうとう終盤になってきた。あとはフロアボスを残すのみである。
大きな扉の前までやって来ると、
「さて、小銭も稼いだし、僕らはもう物資がないから帰りますね!」
「待て、フロアボスはどうする!?」
「大丈夫です、叔父さん! 僕らがいなくても、イゾノ家は立派にやっていけますよ!」
「そんな無責任な!」
ナミーヘが止めようとするが、どこ吹く風だった。魔剣をしまったノリースは、すでにやり切った顔で〆に入ろうとしている。
「いやあ、みなさんと会えてよかった! 僕たちだけじゃこころ細くて! ここまで来られたのもみなさんのおかげです!」
「あなた、ラクしたかっただけじゃないの……?」
「わはは、そう言うなよ、ダイコ! 今月分の金は稼いだんだ、ヨシとしようじゃないか!」
「ちゃーん」
「ばいばいですーイグラちゃんー」
「はーい」
どうやら本気でフロアボス戦前で帰るらしい。ダイコも申し訳なさそうにしながら、
「みなさんすみません……お世話になりました」
お辞儀をして去ろうとしてる。
「おい、ノリース、これからフロアボスだぞ!?」
「言ったでしょう、おいしいところはみなさんに譲ります! くれぐれも無理はしないでくださいね!」
「ノリース、やっぱりお前は出禁だ、バッカモーン!!」
「わはは! それじゃあ、ひと足お先に失礼します!」
かみなりから逃れるようにそそくさと、ノリースたちはその場を後にした。あとに残されたイゾノ家は全員ぽかーんとしている。
このイゾノ家をもってしても制御できないノリース、やはりタダモノではない。
なんにせよ、こうして嵐は去った。
「あのバカモンが……! 帰ったらとっちめてやる!」
「まあまあお父さん、それよりもフロアボス戦ですよ」
「むう、そうだな! いつまでもあいつにかかずらっているひまはない! みんな、フロアボス戦、何が出てくるかわからん! こころしてかかるぞ!」
『おー!』
一斉にこぶしを掲げるイゾノ家の中で、マッスォは切実に思った。
自分もいっしょに帰ればよかった……
しかし、もう待ったは効かない。
完全にタイミングを逸したマッスォの目の前で、第四階層のフロアボスへと続く扉が開かれるのだった。