何も言い出せないまま、マッスォたちは第四階層を進んで行った。
明らかに今までとは進捗具合が違う。モンスターたちに足止めされ、ときおりカッツェが見落とした罠にはまって、(主にナミーヘに)モザイクがかかりっぱなしだ。
だが、限界はすぐそこだというのに、イゾノ家は足を止めなかった。
「くっ……!」
シルフたちが発生させたカマイタチがナミーヘのサザウェの皮膚を切り裂く。
「ここは防御魔法を張りますよ!」
「父さんたちの回復は私に任せて!」
フィーネの、ワカーメの詠唱が重なる。
しかし、魔法が完成する直前、マッスォの喉笛目掛けてカマイタチが襲いかかってきた。
あ、死ぬ。
あっけなく死を認識した、その時だった。
横合いから飛び出してきた人影が、ざん!とカマイタチを両断する。そのおかげで、マッスォの死はなんとか回避された。
一体誰だ?
紫に輝く剣を鞘に収めているのは、ごく普通の中年男性である。しかし、イゾノ家の面々にとってはよく見慣れた顔だった。
『ノリース!?』
全員が目を剥いたところで、ノリース・ナミーノは振り返って微笑んだ。
「やあみなさん! こんなところで奇遇ですね!」
ノリースはナミーヘの甥に当たる人物で、サザウェやカッツェにとっては従兄弟である。イゾノ家の館にもたびたび顔を出しており、その度に出禁を食らっていた。
「みなさん、こんにちは」
「あら、ダイコさんも!」
隣から顔を覗かせたたのは、ノリースの妻であるダイコだ。美人で、一族の中では割と常識のあるひとだ。
「ばぶー」
「イグラちゃんもいるですー」
「ちゃーん、はーい」
連れて歩いている一歳児はイグラ。ふたりの息子だ。ちゃーん、はーい、ばぶー、を巧みに使い分ける言語センスを持つ乳幼児で、ダラウォにとってはいい遊び相手だった。
みんな貴族の血筋の分家であり、顔見知りである。こんなところで見知った面々に出会って、どこかほっとした空気が流れた。
「それより先に、モンスターをなんとかしましょう!」
「そうだな!」
立ち話をしている場合ではない。イゾノ家とナミーノ家は協力してシルフの大群をなんとか退けた。
「いやあ、骨が折れましたね!」
かきん、としまわれたノリースの剣に、カッツェが目ざとく視線を向ける。
「もしかして、それ魔剣?」
待ってましたとばかりに魔剣をちらちら見せてくるノリース。
「わはは、さすがカッツェくん、ご慧眼! そう、魔剣だよ! ローンで買っちゃった!」
「そのローンを返すためにもここへ来たんですよ」
はあ、と呆れたようなため息をこぼしながらダイコが補足する。どうやら相当借りているようだ。
……ノリースがクズいのは今に始まったことではない。
イゾノ家に上がり込んでは酒や晩餐をいただき文句まで言う、それはまだかわいい方だ。
ダイコとのケンカでもイゾノ家に逃げ込み、なにもかもをイゾノ家のせいにする。仕事をサボってはイゾノ家に現れ昼から一番いい葡萄酒を飲んだくれる。マッスォと飲みに行っては寝たフリをして会計を逃れる。などなど、ドクズエピソードには枚挙にいとまがない。
そんなノリースが、よりによってこんな場所に現れた。いやな予感しかしない。
そんな視線はどこ吹く風で、ノリースはひょうひょうと言った。
「僕らもこれを機にひと稼ぎしようと思いましてね! 一発逆転、夢があるじゃないですか! ダイコに尻を蹴り飛ばされてここまで来たんですよ!」
「……あなた?」
「おおっと、口が滑った! ともあれ、せっかくこんなところで顔を合わせたんですから、よかったらごいっしょしませんか?」
へらへらと笑ってそんな提案をしてきたノリースに、過去の数々の悪行が脳裏をよぎる。今回もロクなことにはならないだろう。
それはナミーヘも同意見だったらしく、治癒魔法を受けながらかみなりを落とした。
「お前は出禁だと言ってあるだろう!」
「わはは、ここは家の外ですし、出禁も出来るもありませんよ!」
「ああ言えばこう言う!」
「まあまあ。ここはひとつ、水に流して共同戦線を張ろうじゃありませんか! なかなか手強くなってきたところです、頭数は多い方がいいでしょう?」
ノリースの言う通りだった。
苛烈を極めるこのダンジョン、人数が多ければその分助かる。疲弊してきたイゾノ家とは違い、ナミーノ家は体力を温存しているようだし、戦力にはなるだろう。
しかし、どうしてもいやな予感しかしない。
ナミーヘも同様に痛いところを突かれてうなり、
「うう、それはたしかにそうだが……!」
「じゃあ決まりだ!」
勝手に話を進めるところも、かなり図々しい。
「よろしくお願いします」
「ちゃーん」
まあ、ダイコとイグラがいればノリースもそう暴走はしないだろう。と、思いたい。
そういうことで、イゾノ家とノリースたちはしばらく同行することとなった。
「それにしても疲れたなあ。少し休みませんか? 食料やヒロポン、まだあるでしょう?」
早速タカりにきた。これでは先が思いやられる。
イゾノ家は全員でため息をつくと、
「……そこの小部屋で休憩しようか」
ナミーヘが言うと、ナミーヘはぐっとこぶしを握る。
「やった! 叔父さんのことだから酒も隠し持ってきてるんでしょう? 楽しみだなあ」
酒まで飲むつもりだ。ダイコが冷たい視線を送るが、ノリースは意に介した様子もなくるんるんと小部屋に向かっている。
「ちゃーん」
「イグラちゃん、いっしょにあそぶですー」
「はーい」
ダラウォの機嫌も少し治ってきた。たしかに、ここらで休憩を取っておいた方がいいだろう。
そんなわけで、イゾノ家とノリースたちは小部屋へと移動した。
入るなり円卓に座ったノリースは、ふぅー、と一息つき、
「さて、パンでも食べましょうか! 腹が減っては戦ができぬ!」
さも当然のようにイゾノ家のパンを要求してきた。ダイコが居心地の悪そうな顔をしている。
「まったく、お前と来たら!」
「まあまあお父さん、ヒロポンは少ないですけどパンはまだ残ってますから」
「わはは! ありがたい! さすがお母さん!」
とりなすフィーネが持ってきたパンを、早速ノリースは無作法に食い散らかし始めた。ますますダイコの顔色が悪くなる。
……同じくイゾノ家に入った身だからわかる。
とても身の置き場がないだろう。マッスォは密かにダイコにシンパシーを感じていた。
腹いっぱいになるまで散々パンをむさぼったノリースは、腹をさすりながら満足げにしている。
「ふうー、食った食った! ここらでひとっ風呂浴びたいところですけど、ダンジョンですからね、そこは我慢してあげましょう!」
何様だ、と言いたくなるような発言をしつつ、ノリースはそのままイゾノ家の毛布を借りて、ごろん、と床に寝そべった。
「ふぁーあ、食ったら眠くなってきたなあ。少し仮眠を取らせてくださいよ」
「起こしたって起きないでしょあなた、やめて」
「……ぐー……ぐー……」
止めるダイコの言葉も聞かず、ノリースは呑気にいびきをかき始める。やりたい放題だ。
「……すみません……」
「ダイコさんが謝ることはないぞ! ナミーヘのやつは昔からこうだ! まったく、けしからん!」
頭頂部の毛をぴんぴんさせて、ナミーヘがいら立ちをあらわにした。謝ることはないと言われても、ダイコは恐縮しっぱなしだ。
「イグラちゃーんカエルがいましたよー爆竹ぶっこんであそぶですー」
「はーい」
一歳児に幼さ特有の残酷性を刻みこもうと、ダラウォはその辺で捕まえてきたカエルを手にイグラに駆け寄っている。
子供たちが元気を取り戻したのは救いだが……
ぐーすか眠るノリースに目をやりながら、これは飛んだ嵐が舞い込んできたぞと肩を落とすマッスォだった。