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№19 フグータ家、夜の営み

 食事も終え、一家は早々に眠ることにした。


「……やはり落ち着かん……」


「お酒はいけませんからね、お父さん」


「ぬぅ……仕方がない」


 渋々毛布にくるまったナミーヘは、文句を垂れていたのも忘れて、3秒後には爆睡していた。他の面々も、程なくして寝息を立て始める。


 マッスォだけは眠れずにいた。ぼうっと天井のシミを見上げ、これから先やってくる破滅の苦痛に思いを馳せる。こんな状況でよく眠れるな、とある意味感心してしまう。しかも一度眠ったらなかなか起きないのは、ナミーヘの騒ぎのときに実証済みだ。


 これからまた、眠れずに朝を迎えるのだ。こうして茫洋として過ごしていると、朝までの時間が永遠にすら感じられる。少しでも眠らなければ、と思えば思うほど眠れなくなる。不眠症の悪循環だ。


 浮かび上がってくるのは最悪の想像ばかり。眠れぬ夜の地獄が、今夜も始まる。


 しかし、そんなときだった。


「……ねえ、あなた……」


 隣で寝ていたサザウェが、耳元にささやきかける。そして、足を絡めるように抱きついてきた。


 これは、フグータ家では『お誘い』の合図だった。つまりは、そういうことだ。


 昼間に手を繋いだりしていたときから、なんとなくサザウェのそんな気分が高まってきていることは感じていた。しかし、今はないだろう。ありえない。


 耳を甘噛みしてくるサザウェに、マッスォは声を潜めて、


「こんなところでかい!?」


「どこだって構わないじゃない」


「み、みんなだってそばで寝てるのに……!」


「大丈夫、みんなぐっすり眠ってるわ」


「仮にもダンジョン内だよ!?」


「ここは安全よ。だから、ねえ……」


 何を言っても無駄だった。すっかり火がついたサザウェは、マッスォの首筋に口付けてはお返しをねだるようにくちびるを近づけてくる。


 いつも『お誘い』はサザウェからだった。ダラウォが生まれたころはその『お誘い』にも乗っていたのだが、そういえばここ最近はそういう夜の営みも寝たフリをしてほとんどなくなっていた。


 サザウェも非日常的な状況でこんな気分になっているのだろう。吊り橋効果というやつだ。


 だが、マッスォはとてもじゃないがそんな気にはならなかった。ここは死地だ。自分たちはいのちをかけてバッドエンドへ向かっている最中なのだ。


 そんなときに気持ちは盛り上がらないし、盛り上がらなければたつものもたたないのが男というものだ。


 ぎゅう、と抱きついてくるサザウェのからだをやんわりと引き剥がして、マッスォは小さくつぶやいた。


「……ごめん、とてもそんな気分には……」


 これで理解してもらえるだろう。


 ……と、考えていたマッスォの考えが甘かった。


 すでに戦闘態勢に入っていたサザウェは、水を差されていら立ちに眉根を寄せた。


「なによ、女に恥をかかせる気!?」


「……だから、ごめん、って……」


「ゴメンで済んだら憲兵隊はいないわよ!」


「……ほら、みんな起きちゃうから……ね?」


「いくじなし! もっと男らしくしてよ!」


「さ、サザウェ……わかってくれよ……」  


 罵倒され、ますますマッスォの気分は落ち込んでいった。


 本当は夜の営みもやぶさかではないのだが、状況が状況だ、逆にこんなときに『したい』と思えるサザウェの方がマッスォには理解できなかった。


 サザウェは怒りに任せてマッスォに詰め寄った。


「まさか、あなたインポなの!?」


「い、インポだなんて……そんな、ことは……!」


「私じゃたたないんでしょ!」


「いやね、君に魅力がないとか、そういう話ではなくてね……?」


「そういう話じゃない! 男として恥ずかしくないの!?」


 たしかに、マッスォは抑うつ状態によって不能になっている。しかし、たとえ不能でなくともこんなところで夜の営みを始める気にはなれなかった。


 不能男性に対して絶対に言ってはならないこと、それは男としてのプライドをとぼしめる言葉だ。急かしたり、無理にことに及ぼうとしてもいけない。仕方がないと寄り添うことしかできないのだ。


「ああ、私もいらない恥をかいたわ!」


「……ごめん……」


「もう知らない!」


 そして、サザウェはそのままふて寝するようにマッスォに背を向けて毛布にくるまってしまった。しばらくして寝息が聞こえてくる。


 男としてのプライドをずたずたにされたマッスォは、やり切れない思いでいっぱいになっていた。


 夫として、妻の求めにも応じてやれない。インポのフニャチン野郎だ。雄としても、自分は劣っているのか。妻に恥をかかせて、男としてこんな恥ずかしいことはない。


 夫婦としても機能していないだなんて、この家にマッスォの居場所はないも同然だ。『サザウェの夫』という肩書きさえあやしくなってきた。


 不能の雄など、野生の世界ですら淘汰されるというのに。生物としてさえダメなのだ、自分は。男として妻を満足させてやることさえできない。ダメな夫だ。


 サザウェはもう、マッスォに『お誘い』をすることはないだろう。このまま、なにもない無味乾燥の夫婦生活が待っているのだ。自分には稼ぐことしか能がない。ただ粛々と一家に金を持って帰るだけの、絶望の日々が始まる。


 情けない。


 もう涙さえ出てこない。


 マッスォはただぼんやりと天井のシミを見上げながら、おのれの無力を噛み締め、眠れない夜を過ごすのだった。




 翌日から、サザウェは一切マッスォと口をきかなかった。事実上の冷戦状態だ。


 準備をして出かけようとしているところへ、マッスォは再度サザウェに謝ろうとした。


「あの……サザウェ……」


 声をかけると、あからさまにそっぽを向かれて無視された。歩み寄る気はないらしい。


「マッスォ兄さん、姉さんとなにかあったの?」


 気を遣ったワカーメがこっそりとマッスォに声をかけてくるが、まさかこんな小さな子供に事情を説明するわけにもいかない。


 マッスォがたじたじになっていると、カッツェが助け舟を出してくれた。


「ワカーメ、そりゃあ夫婦の問題ってやつさ!」


「カッツェ!」


 すぐさまサザウェが叱り飛ばすが、カッツェはいたずらめいた笑みを引っこめることなく、


「へへへ。姉さんもおとなげないなあ。いい大人がそんな風にケンカして」


「こら!」 


「うひゃあ! 勘弁ー!」


 げんこつを見せつけるサザウェを前に、カッツェは風のように逃げ去っていった。


 カッツェが上手く茶化してくれた今がチャンスだ。


「あ、あの……」


 しかし、やはりサザウェはマッスォを無視した。これはちょっとやそっとで機嫌を治してくれることはないだろう。


 自分が男としてダメなばかりに、サザウェにすら嫌われてしまった。劣った雄に、雌は興味を示さない。大自然のおきてだ。このままではサザウェに捨てられる。


 そうなったら、いよいよこの家にいる理由がなくなってしまう。ただ金を運ぶだけの存在なんてイヤだ。居場所なんてない、これじゃ家畜も同然じゃないか。


「ほらみんな、出発しますよ。忘れ物はありませんか?」


「はーい!」


「うむ、いい返事だダラちゃん! みんな、ここから先はさらに難しくなるぞ! 気を引き締めて行こう!」


『おー!』


 こぶしを掲げる一家のなかに、ぽつん、と佇みながら、マッスォは絶望に青ざめた顔で思うのだ。


 自分に価値はない。死んだ方がいい。


 できるだけみんなに迷惑をかけない方法で死のう。


 すべてが終わったら、あの梁で首でも吊ろう。


 それが最期に自分ができる精一杯ののとだ。


 抑うつ状態に陥っているマッスォの頭の中は、もう死ぬことでいっぱいになっていた。それ以外は考えられない視野狭窄、認知の歪み。もはやこころの病はすっかり進行してしまっていた。


 無表情で一家に続きながら、マッスォは自分の最期について考え続けるのだった。

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