程なくして小部屋が見つかった。やはり水場と円卓が置いてある、モンスター避けの結界が張られた休息空間だ。
傷ついたナミーヘとサザウェを、フィーネが治癒魔法で癒した。少し治りが遅いような気がするのは気のせいか。
第三階層を制したとはいえ、みんな疲弊していた。だが、ダマも戻ってきたということでひとまずは安心だ。
イゾノ家はそこで野営をすることとなった。
いつも通りサザウェとフィーネがかまどに立ち、ワカーメがその手伝いをして、カッツェがダラウォのことを見ている。必然、マッスォはナミーヘとふたりで円卓に座ることとなった。
気まずい思いをしていると、傷が回復したせいか、ナミーヘは上機嫌で語りかけてきた。
「いやあ、案外ワシらだけでもなんとかなるものだな! ダマには負けておれんぞ!」
意気揚々とこぶしを握るナミーヘに、マッスォは言いにくそうに口を開いた。
「……そのことなんですけど、お父さん……」
「うん? どうしたマッスォくん、そんな下痢をしているような顔をして!」
そんな顔をしているのか、と思いながらも、マッスォは続けた。
「これからどうしましょうか? 装備もだいぶガタが来てますし、ヒロポンの残りも少ない。お母さんとダラちゃんの魔力も無限というわけではありません。みんなかなり疲れてます」
「……うむ……」
やった。考え込んでくれた。これさいわいとマッスォは言い募った。
「今回みたいにダマも魔法も使えない場面だって出てくるはずです。第四階層に入って、敵も罠もきっと手強くなる。このまま進めば、全滅の可能性だってあります。ダンジョンマスターになんてとてもたどり着けません」
「……むむむ……」
「今ならまだ引き返せます。ここまでの財宝と、装備を売って借金は返せます。やり直せるんです。このまま進むよりずっと現実的です」
進むか、戻るか。今ここで決めてしまいたかった。もちろんマッスォは引き返したい。引き返せるうちに帰りたかった。
ナミーヘはしばらく腕を組んでうなってから、
「……進もう! ワシらならできる!」
「……お父さん……!」
「そうよあなた! 私たちならきっとできるわ!」
ちょうど出来上がった料理を持ってきたサザウェが加勢する。どん!と大皿を置いて、腰に手を当てるサザウェ。
「そんな弱気になってちゃダメよ! ミノタウロスだって私たちだけで倒せたじゃない! 自信持って!」
「こ、これは自信とかの問題ではなくて……!」
「じゃあどういう問題よ!?」
サザウェの勢いに押されて、マッスォは怯んでしまう。その隙に、他のメンバーも円卓に加わってきた。
「大丈夫だよ、なんとかなるって。兄さんは考えすぎなんだよ」
「私も進んだ方がいいと思う!」
「そうですね。私の魔力のことなら心配しないでください。食べて眠ればある程度は回復しますから」
「ぼくもがんばるですー」
ダラウォの声に、ダマがにゃーんと鳴いた。
……みんなは進む気満々らしい。引き返したがっているのはマッスォだけだ。
なぜこうも楽天的になれるのか? その根拠のない自信はどこから来てるんだ?
ペシミストのマッスォからすれば、とても信じられない話だった。
誰も状況を把握していない。今ならまだ間に合うというのに、破滅へ向かってまっしぐらだ。沈没船からかたくなに降りようとしないイゾノ家の考えがまったく理解できなかった。
まるでチキンレースだ。崖っぷちまで疾走して、どこで止まるか。イゾノ家は今まさに崖から転落しそうになっている。このままでは全員海の藻屑だ。
止めなければならないというのに、マッスォはそれ以上なにも言えなかった。言ったところで聞いてくれる一家ではない。入婿の発言権などたかが知れている。
破滅する、と決めたなら、もうマッスォはそれに付き合うことしかできないのだ。もろとも崖下に転落して一家心中完了。結末は見えている。
粛々と死神の断頭台にそっ首を差し出す。マッスォの責任の果たし方はそれしかない。
わかっていたはずなのに、もどかしいのはなぜだ。
「……そ、そういうことなら……」
弱々しくそう告げると、イゾノ家メンバーは食卓を囲んで決起集会のような雰囲気になった。
「よし! ワシらならできる! きっとダンジョンマスターを倒してこのダンジョンを攻略するぞ!」
「そうよ! 我が家の家計のためにも、お宝をたくさん持ち帰らなきゃ!」
「僕のお小遣いアップのためにもさんせーい!」
「まったく、あんたはちゃっかりしてるんだから!」
「カッツェ兄さんの言う通りよ! 家での私たちの待遇改善のためにも、がんばる!」
「ぼくもみんないっしょがいいですー」
「そうですね、ダラちゃん。イゾノ家はみんないっしょに進みましょう。そうすれば、きっとなんとかなりますよ」
「今までだってそうしてきたわ! だから、今度もなんとかなるわ!」
「その通り! 進まん限り現状は良くならん! 邁進あるのみだ! たとえどんな困難が待っていたとしても、歩みを止めてはならん! それがイゾノ家だ!」
「わあ、父さんかっこいー!」
「カッツェ! 茶化すな! これは真面目な話だ!」
「へへへ、失礼しました!」
「ともかく、進みましょう! 話はそれからよ!」
「ぼくもいっしょにいくですー」
「ダラちゃんも立派なイゾノ家の男だな! それでこそ我が孫だ!」
「はいはい、まずはみんなでご飯を食べましょうね。しっかりと食べて眠ってちからをつけて、明日からまたがんばりましょう」
「さすが母さん! 僕もうおなかぺこぺこだよー」
「それじゃあ、いただくとしようか!」
そんなこんなで、イゾノ家の面々は手を合わせてからパンとスープを食し始めた。
マッスォもパンに手をつけるが、少しも胃に入る気がしない。きりきりと痛む腹を押さえながら、マッスォは無理やりパンを口に詰め込んだ。
どうせこの先でくたばる。
しかし、それまで進むために食わねばならない。
死ぬために食うだなんて滑稽なことをしている自分が、ひどく惨めに思えた。
イゾノ家のみんなとは、考え方からして違う。
ただやみくもに進めば道が拓けるとは、マッスォは到底思えなかった。前進こそが美徳? バカげている。軍隊じゃあるまいし、そんな脳筋な考え方でやっていけるはずがない。
いっそのこと、イゾノ家のみんなをバカにして見下してしまえばどれだけラクになるだろうか。自分はお前たちとは違ってかしこいんだと、そんな態度で接することができればどんなに簡単だろう。
しかしマッスォは、どうしても最後の一歩をふみきれなかった。
イゾノ家のメンバーはみんな善きひとびとだ。だれも悪くない。そんな一家に対するリスペクトだけは、どんなに振り切ろうとしても消えてくれなかった。
だからこそ、マッスォは破滅の運命を共にすることを選んでいるのである。
「今日のスープ、少ししょっぱくない?」
「戦いで汗をかいたでしょう、塩分補給のために味付けを変えてるんですよ」
「さすが母さん! 私にも今度レシピを教えてね!」
「ふふふ、もちろんですよ。イゾノ家伝統のレシピですからね」
「お財布にもやさしいレシピよ!」
「なんにせよ、母さんのスープは今日もうまいな! これで酒があればなおのこと……」
「お父さん」
「わかっとるわい!」
「父さんたら、すぐに飲みたがるんだから。そんなんだから母さんが苦労するんだよ」
「こら、カッツェ!」
「カッツェの言うことも一理あるわよ、父さんはもう少し自制して母さんを安心させてあげて!」
「ワシは充分自制しとる!」
「だといいんですけどねえ」
「母さん!?」
ははははは、とお決まりのやり取りにイゾノ家の面々が笑う。
そんな中で、マッスォだけは味のしないパンを苦しみながら胃に押し込めるのだった。