そんなときだった。
「にいさん!」
今まで沈黙していたカッツェが声を上げる。
「僕があいつの動きを止めるから、その隙に仕留めて!」
「そ、そんなことどうやって……!?」
「いいから、任せて!」
そう言うと、カッツェは投石器に長いロープをくくりつけてミノタウロスの足元へと放った。ロープは上手くミノタウロスの足に絡みつき、カッツェは、ぐ、とその手応えを確かめるように縄を引く。
そして、ミノタウロスの攻撃範囲外の外周をぐるぐると駆け回り出した。素早い動きはミノタウロスの目にも止まらない。
円を描くように走っているうちに、ミノタウロスの足に絡みついたロープが何重にもなっていく。それは非力なカッツェでも可能な、ミノタウロスの動きを止める最善策だった。
とうとうミノタウロスの足はロープでがちがちに固められ、動きが止まった。そして、その頭と棍棒の重さでミノタウロスはバランスを崩し、どすん!とひっくり返ってしまう。
「今だ! にいさん!」
今しかない。
考えるよりも先に、マッスォはミノタウロスの眼球に向けて剣の切っ先を向けていた。
「えいやっ!」
どす!と脳みそごと眼球を貫くと、ミノタウロスはしばらく暴れていたが、程なくして痙攣しながら息絶える。
完全に絶息したミノタウロスを前に、マッスォは息を荒らげて額の汗を拭った。
……勝った……?
いまだに信じられないまま、眼球から抜いた自分の剣を見下ろす。体液の付着した剣は、たしかにミノタウロスを仕留めたのだ。
「へへへ、重心の高いでくのぼうなんてこんなもんさ!」
照れくさそうに人差し指で鼻の下をこするカッツェ。その機転がなければこの勝利はなかっただろう。つくづく非凡な才能を持つ子供だ。
「……ああ、ありがとう、カッツェくん……」
「やったわね、あなた!」
マッスォがカッツェの頭の回転に脱帽しているところへ、満面の笑みを浮かべたサザウェがよろよろと歩み寄ってくる。ナミーヘも合流し、
「うむ! さすがはマッスォくんだ!」
「ぱぱすごいですー」
「にいさんもやるときはやるねー」
たちまちイゾノ家はマッスォを持ち上げた。今にも胴上げしそうな気配だ。完全にマッスォの手柄になっている。
だが、本当にすごいのは、あんな策を講じてミノタウロスの足を止めたカッツェだ。カッツェの機転がなければ、イゾノ家はあのまま全滅していただろう。
褒められるべきはカッツェなのに、ただトドメを刺しただけの自分が褒められている。分不相応な評価は、逆にマッスォのこころにささくれを生んだ。
そうじゃない。ヒーローは自分ではない。称えられるべきは自分じゃない。
なのに、イゾノ家のひとびとはマッスォを賞賛する。居心地が悪くて、はだかで偉そうにしている王様の話が思い浮かんだ。
そうじゃないんだ、と叫びたかった。そんな風に褒めないでくれ。これじゃまるで、自分がカッツェの手柄を横取りしたみたいじゃないか。
「さーて、第三階層のお宝はどうかなー?」
当のカッツェはまったく気にした風もなく、しめしめと宝箱の解錠に着手しようとしている。カッツェも褒められたくてやったことではない。それはわかっているが、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。
「ネコババは許しませんからね!」
「わかってるよ姉さん……ほら、開いた!」
宝箱を開くと、そこにはぎっしりと黄金と宝石の輝きが詰まっていた。第二階層とは比べ物にならない豪華さだ。
「ひゃっほー! 金貨まで入ってる!」
お宝を両手に歓声を上げるカッツェ。他のメンバーもその輝きに目を光らせた。
「ほう、これはすごいぞ!」
「きらきらですー」
たしかに、そのお宝は見たこともないようなものだった。
しかし……
「うーん、これで金貨30枚くらいかしら?」
「これまでのものと合わせてもまだ足りませんねえ」
現実主義の女性陣は眉根を寄せている。そう、これだけあってもまだ足りない。金貨100枚の借金というのはそれくらい重いものだった。
借金を返すだけならば、もう少し進めばなんとかなるかもしれない。しかし、目的は家計を立て直すほどの財を持ち帰ることだ。ただ借りたものを返すだけになってしまったら元も子もない。
「まあいいじゃないか! この調子で進めばもっとすごい財宝があるぞ!」
「ダンジョンマスターまでたどり着けばなんとかなるかも……!」
イゾノ家の面々は息巻いているが、マッスォはすぐにでも帰りたかった。これ以上は危険だ。第三階層でさえダマと魔法が封じられてかろうじての勝利だったのに、この先どうやっていくのか。
ダンジョンマスターまでたどり着く前に、きっと全滅してしまう。マッスォだけはその最悪の予想におびえていた。
止めなければと思うが、それで止まってくれるイゾノ家ではない。所詮、マッスォの発言権などその程度のものだ。
「はいはいみんな、財宝もいいですけど、早く結界の外に出て回復しますよ」
フィーネがそう言うと、そういえば、といった調子でサザウェとナミーヘは痛みを思い出したようだった。痛みをごまかしていた脳内麻薬が、緊張とともに切れたのだ。
ナミーヘをマッスォが、サザウェをカッツェが背負い、小部屋から続く下り階段へと向かう。
長い階段を降りきったら、そこはもう第四階層だった。
ここから先の道行きはさらに過酷になるだろう。最悪、途中で全滅してしまうかもしれない。生半可な気持ちで挑んでいい場所ではないのだ。
だというのに、イゾノ家の面々と来たら、
「うう、休憩部屋はまだか?」
「もうすぐですよ、お父さん」
「意外と軟弱者なんだね、父さん」
「カッツェ!」
「そうよ! 私たちはけが人なんですからね!」
「へへへ、これでも心配してるんだよー?」
「早く回復しないと! 私も手伝うわ!」
「あっ、おかえりですーダマー」
結界の範囲外に出たおかげか、ダラウォのそばに光の柱が立ち上り、いつも通りの巨大な白虎の姿が現れた。ダマは何事もなかったかのように、にゃーん、と呑気に鳴いてダラウォに擦り寄った。
フィーネも試しに呪文を唱えてお玉を振ってみる。今度は光の玉が現れ、行く先を明るく照らした。
「もう魔法は使えるようですね。これで治癒魔法を施すことができますよ」
もう魔法は使える。ダマも戻ってきた。これで今まで通りに快進撃……とは、いかないだろう。
モンスターも強力になっているはずだし、罠だってもっと巧妙かつ凶悪になっているに違いない。
いつまでもイゾノ家の天下というわけにはいかないのだ。
必ずどこかでつまずくことがある。そして、それはそう遠い未来のことではない。
そのときに、果たしてマッスォは声高に撤退を叫ぶことができるだろうか?
……できる気がしない。
イゾノ家のことだ、転んでも何度でも立ち上がり、挑み続けることだろう。そういうひとたちだ。
挑み続けられるうちはいい。しかし、全滅してしまったらもう終わりだ。全員がこのダンジョンの隅でしかばねとなって折り重なることになるだろう。
自分たちの亡骸が何百年もの時間を経て風化していく姿を想像して、マッスォは思わず身震いした。
「なにしてるのあなた! 早く小部屋を探さなきゃ!」
サザウェがマッスォの手をぎゅっと引き寄せる。少し頬が赤いのは戦闘後の興奮のせいだろうか。
ともかく、まずは休まなければならない。ここまでの道のりがキツすぎた。引くにしろ進むにしろ、話はそれからだ。
サザウェに腕を引かれて、マッスォは休憩のための小部屋を探して辺りに視線を向けるのだった。