翌朝、ナミーヘは見事に復活した。吐いてアルコールを出し切ったおかげで、二日酔いもしていない。
「昨日は楽しかったなあ、マッスォくん!」
「は、はい」
「お父さん、また悪酔いしたでしょう」
「そ、そんなことはないぞ!」
「まったく、父さんは見栄っ張りなんだから」
「カッツェ!」
「へへへ、それだけ元気なら大丈夫だね」
「そうね! 今日も第三階層攻略、行くわよ!」
『おー!』
こぶしを掲げて声を上げるイゾノ家だったが、マッスォは密かにこころに決めていた。
もうしゃしゃり出るようなマネはやめよう。がんばればがんばるほどみんなに迷惑をかけてしまう。自分にはがんばる資格すらないのだ。おとなしくおのれの無力を噛み締めることしかできない。
なにもできないことへの焦燥感だけが募る中、マッスォたちは小部屋を後にして第三階層へと戻って行った。
リビングメイルにマッドゴーレムの大群が押し寄せるが、すべてはダマが吐き出す地獄の業火の前に灰となって散っていった。鉄さえ灰になるものだと初めて知った。
時折じゃれつくように襲いかかり、虫の手足をもぐような残酷なやり方でモンスターをいたぶり殺すダマ。習性とはいえ、モザイクがかかっていなかったら見ていられない。
やはり、ダマ無双だった。今もまた、マッドゴーレムをつちくれに変えて、にゃーん、と呑気に舌なめずりをして顔を洗っている。
「ダマすごいですーぱぱよりすごいですー」
ダラウォは相変わらずKY発言をしてその場を凍らせる。静寂の中、マッスォはいたたまれなくなってからだを縮こめた。
「そんなことはないぞダラちゃん! ダマに比べればみんな役立たずだ!」
「お父さん、フォローすればするほど空気が悪くなることを自覚してください」
「ぐぬぬ……!」
フォローに失敗したナミーヘはうなりながら引っ込んだ。これでは、マッスォが役立たたずだと真っ向から言っているようなものだ。
代わりに母であるサザウェがダラウォを抱き上げ、
「ダラちゃん、そんなこと言っちゃダメよ! パパだってがんばってるんだから!」
「なにをですかー? ぼくもがんばってるですー」
また核心を貫く魔の3歳児の言葉の槍。そうだ、なにもがんばっていない。まだダマを使役しているダラウォの方が役に立っている。
マッスォは完全に要らない子扱いだった。
「そうよマッスォ兄さんだって無能なりに頑張ってると思うわ!」
相変わらずどこから目線なのか、まだ小さいワカーメまで援護に回った。こんな子供にまでフォローされて、心底情けない。
「ひとりで背負い込むことなんてないわ! みんないっしょにがんばりましょうよ!」
「そうですよ、家族でダンジョン攻略するって決めたんですから、なにもマッスォさんひとりで抱え込むことはありませんよ」
「そ、そうだ! 一家一丸となって挑むと決めたじゃないか! なあ、マッスォくん!」
「は、はあ……」
どんな言葉もマッスォのこころを上滑りして、なにひとつ響かなかった。
みんなでがんばるといっても、他のメンバーにはそれぞれ得意分野や役目がある。ちゃんと歯車のひとつとして機能しているのだ。
その中で、マッスォだけが取り立ててなにも役目がない、要らない歯車だった。
当然だ、自分は異物なのだから。この一家の中でできることといえば、小さく撤退を提案することくらい。その提案すらも、そよ風ひとつ起こすことはない。発言権がないのだから当たり前だが。
「……ちょっと待って、罠だ」
順調に進んでいた一家に、カッツェが制止の声をかける。別段変わったところのない通路に見えるが、カッツェにはどこにどんな罠があるかわかるらしい。これはもはや天賦の才だ。
カッツェは壁の継ぎ目や床を慎重に検分して、罠の発動装置を見つける。巧妙に隠されたスイッチを発見して、カッツェはにやりと笑った。
ピッキングツールを使い、罠の構造を解析し、罠本体に繋がる配線を切断していく。なにか間違えば即座に罠が発動する。だがカッツェは手を休めることなく解体を進めていった。幼いながら肝が据わっている。
やがてすべての発動装置を解除して、カッツェは立ち上がった。
「よし、これで進めるよ」
「あんたのいたずらがこんなところで役に立つとはね」
「へへへ、ありがたきお言葉ー」
カッツェは照れくさそうに鼻の下を人差し指でこする。
まだ子供なのに、カッツェはしっかりと自分の役割を果たしている。必要不可欠な存在として、イゾノ家での居場所を持っているのだ。
自分とは違って、抜きん出た才能がある。平凡極まりない自分からすればうらやましい以外のなにものでもない。
「……すごいね、カッツェくん」
ぽつり、とこぼすマッスォに、カッツェはいたずらめいた笑みを浮かべながら、
「にいさんも、僕みたいに罠解除の技くらい持ってればねー」
「カッツェ! 一言多い!」
「へへへ、失敬失敬。ともかく、罠は解除したから進もうよ」
「わかってるわよ! さああなた、行きましょう!」
ぷんすかしながらサザウェがマッスォの手を引いて先をゆく。他のメンバーも後に続いた。
ダマの背中を眺めながら、ぼんやり思う。
自分ってなんなんだろう。
ダマのようにちからがあるわけでもなく、そんなダマを呼び出せる召喚術もなく、罠を解除する技もなく、傷を癒す魔法が使えるわけでもなく、みんなを引っ張ることもなく、ないない尽くしだ。
こんな自分がここにいていいのか。
……いいわけがない。
いなくなってしまえ、と思う一方で、現状を変えることにおじけづく自分もいる。居心地が悪いとはいえ、ここから抜け出すワンアクションを起こす勇気がない。波風を立てたくない、変わりたくない。
そんなナアナアの自分に嫌悪感を抱き、さらに深い抑うつの底へと沈んでいく。マッスォはそんな負の連鎖に陥っていた。
「ダマやっちゃえですー」
ダラウォが声をかけると、呼応するようにダマが炎を吐き、現れたモンスターを一網打尽にしていた。
こんな小さな子供にさえ役割も居場所もあるのに、自分と来たら。この家では、マッスォはただのサザウェの夫という肩書きしかないのだ。
その肩書きをなくしたら、いよいよ立場がなくなる。
マッスォは命綱であり鎖であるサザウェの手をしっかりと握り返した。
「ど、どうしたのあなた?」
「いや、なんでもない……」
苦笑いで首を横に振ると、サザウェはかすかに頬を赤らめて手を強く握った。どうやら要らぬ感情を抱かせてしまったようだ。申し訳ない。
「よーし、ワシもダマの援護をするぞ!」
ナミーヘは昨日の不調もどこへやら、こぼれてきた敵を太刀でつつきまわしている。
「私も!」
そこにサザウェも加わり、それだけで前線は充分に守られている状態になってしまった。
やることのないマッスォはぼうっとして現場を眺めているばかりだ。
なんだ、この無能。
いなくなってしまえばいいのに。
みずからのこころにざくざくと言葉のやいばを走らせながら、しかしマッスォはおのれと向き合うこともせず、ただ漫然と無力の沼に沈んでいくのだった。