そして一時間後。
「うぇーい! DJナミーヘのお出ましだー! バイブス上げろー!」
「お、お父さん……」
すっかり酔っ払って意味不明なことを言って騒ぎ始めたナミーヘを、マッスォは必死に静止した。
こうなることはわかっていた。ナミーヘの酒癖の悪さはこういうところだ。怒鳴られたり泣かれたり愚痴られたり説教されたりするよりはマシだが、これはこれで落ち着かせるのに苦労する。
「アガってないぞー! あったまってきたろー!」
「は、はい! ですから、少し静かにしましょうね!」
「テンアゲー!」
騒ぎ散らかして、他のみんなが目を覚ますかとはらはらしたが、さいわいみんな疲れて眠り続けている。
逆に言うと、孤立無援ということだ。マッスォひとりでこの酔っぱらいの相手をしなければならない。
どうしたものか。
マッスォが思案しているうちに、ナミーヘは今度は妙になまめかしい腰つきでベリーダンスを踊り始めた。くねくねとからだを揺らしながら、
「おーいえー! あーはん!」
挑発的にマッスォを見つめるものだからたまらない。これが美女だったら少しはこころ揺れる、と言うとサザウェに怒られるだろうか。
しかし、相手は一本残して頭髪全滅のオッサンだ。まさか妙な気など起こるはずもなく、逆に胸焼けしそうだった。
「お、お父さん、少し落ち着いてください!」
「いえーす! はっはーん!」
ナミーヘはどこまでもマッスォの言うことを聞かなかった。ベリーダンスの合間に酒を飲みつつ、
「よーし! マッスォくんも踊れー!」
「ああもう……!」
収拾がつかなくなってきた。いっそ放っておいた方がいいのかもしれないが、なにをするかわからない状態のナミーヘを放置するのも気が引ける。
ここでもマッスォは貧乏クジを引いていた。
「お父さん! 踊るのもいいですけど、せっかく男同士なんですから静かに語り合うとかの方がですね……」
必死に酔っぱらいを説得しようとするが、そもそも酔っている人間を普通の理論でなだめることなど土台無理な話だ。
ナミーヘは裾のゆるい着衣から下履きで覆われた脚を変にあでやかに伸ばし、
「あんたも好きねー♡ ちょっとだけよー♡」
たしかに髪型は似ているけれども。義父にそんなことをされても惹かれもしないし笑えもしない。せいぜいが苦笑いだ。
変なおじさんのダンスを踊りながら、ナミーヘは順調に酔っ払っていた。もう誰もナミーヘを止めることはできない。コレを制御しているフィーネのすごさがよくわかった。
途方に暮れているマッスォの前で、ぴたり、とナミーヘの動きが止まる。まるでネジじかけの人形のように完全停止した。嫌な予感がする。
ナミーヘは真っ青な顔で口元を押さえ、
「……きもちわるい……」
「お、お父さん!」
マッスォは急いでナミーヘを水場へと連れていった。タッチの差でたどり着けた水場で、ナミーヘの口からアルコールくさい吐瀉物が噴出する。
「おrrrrrrrrrrr」
背中をさすりながら、マッスォはやっぱりこうなるのか……と、嘔吐したもののにおいにもらいゲロをしそうになりながら肩を落とした。
「お父さん、飲み過ぎですよ……」
あれだけぱかぱかと杯を開けていたのだ、当然こうなる。
さっきまでの上機嫌はどこへやら、青い顔をして時折吐きながら、ナミーヘは弱々しい声で言った。
「……すまんな、マッスォくん……おrrrrrrrrrr」
まあ、これだけ吐いていればやがて酔いも抜けるだろう。ひとしきり吐かせていると、ようやく通常のナミーヘに戻ってきたようだ。
少し落ち着いて、コップに汲んだ水を飲ませると、ナミーヘはほっと一息ついて、
「いやあ、見苦しいところを見せてしまったな……」
「気にしないでください」
引きつった笑みでなんとかそんな言葉が出てくる。たしかに見苦しかった。それははっきりと言える。
コップの水を一気に飲み干して、ナミーヘはなんとかいつもの表情を取り戻した。
「しかし、こうしていると実の息子と飲んでいるようだな。カッツェはまだ子供だから飲めんし、マッスォくんがいてくれてよかった」
そんな何気ない言葉が、ぐさり、と胸に刺さる。
そういう気の使われ方が逆につらい。
ナミーヘは決してウソやお世辞でそんなことを言っているのではない。それはわかる。
しかしその言葉は、裏を返せば『マッスォは本当の息子ではない』と言っているようなものだ。自分はイゾノ家と血の繋がった家族ではない、『お客さん』『よそ者』なのだ。
その現実を突きつけられたような気がして、マッスォはひどく落胆した。部外者だということは理解していたが、こうして実際に言葉にされるとやはり胸に刺さるものがある。
せっかくナミーヘが言ってくれたことなのに、こんなひねくれた受け取り方しかできない自分が心底イヤだ。
本当はわかっているのだ、ただ自分が意固地になった子供であるということくらいは。しかし、もう引くに引けない。チンケなプライドが邪魔をする。
そんなもろもろを笑顔の裏側に隠して、マッスォはナミーヘに頭を下げた。
「……ありがとうございます」
「なに、そんなにかしこまらんでいい! なにせワシの大切な息子なんだからな!」
「……はい」
「マッスォくん!」
唐突にナミーヘがマッスォの手を、がしっ!とつかんできた。まだ酔いが残っているのか、熱っぽい口調で、
「ワシからも家族を頼んだぞ! 家長はマッスォくんだ、ぜひともイゾノ家をより良い方向へ導いてくれ!」
今にも感涙しそうな勢いでそう言うと、ちからの限りマッスォの手を握りしめるのだった。
年老いた老人の手だ。しわしわで、今までの苦労からかところどころふしくれ立っている。
そんなナミーヘに頼み込まれて、断れるはずがなかった。
「……はい」
マッスォがうなずくと、ナミーヘは満足げに笑いながら、
「そうかそうか! これで我が家も安泰だな!」
至極うれしそうに言った。
そして、そのままかくんとうなだれると寝息を立て始める。その場で寝られるとは思っておらず、マッスォはナミーヘを担いで毛布の上に寝かせた。あとはもう、爆睡だった。いびきを立てて起きる気配はない。
ひとり取り残されたマッスォは、嵐が去ったことに安堵してため息をついた。
結局、酔えなかった。全然楽しくなかった。
どこまでも疎外感ばかりが邪魔をして、腹を割って話すことなど到底無理な話だった。アルコールが入ればあるいは、た思ったのだが、ザルというわけでもないマッスォでも酔いは回らなかった。
ナミーヘは、イゾノ家は、善良なひとびとだ。責めるべき点などどこにもない。
悪いのは、言葉の裏側ばかりを気にする自分だけなのだ。なぜこんなにねじ曲がった性格になってしまったのか、自分でも分からない。世間一般的に見ても、この勘繰りようは異常だろう。
抑うつ状態に陥ったマッスォは、認知に歪みを来たしていた。何事も悪い方へ受けとり、自分を責め、より深い抑うつ状態へはまっていくという負のスパイラルだ。
こればかりは、正式にこころの医者にかからねば改善は難しい。一度歪んでしまった認知はそう簡単には治らない。折ってしまった紙をまっすぐにしても折り目は残り続ける、そんなものだ。
マッスォは青い息をつくと、
「……寝るか」
そうつぶやくと、毛布に潜り込んだ。床は固いが毛布のおかげで寒くはない。たくさんの寝息に囲まれながら、マッスォはひとり天井を見上げてぼうっとしていた。
やはり、眠れない。
疲れているのに眠れないというのは、非常につらい。眠りは一日のリセットだ。しかし、マッスォはどうしてもそのつらい一日を一旦帳消しにすることができなかった。
天井のシミを見つめながら思う。
寝息に加わることさえできないのか、と。
みんなに囲まれているというのに、言い知れない孤独にさいなまれながら、マッスォは眠れぬ夜を過ごすのだった。