小部屋に帰ると、早速カッツェがにやにやしながら声をかけてきた。
「へへへ、キスでもしてた?」
「カッツェ! あんたはまた!」
「お邪魔しましたー」
サザウェに怒鳴られると、カッツェはすたこらさっさと逃げていく。
「マッスォ兄さん、まだ血気が足りてないわ。あんまり無理しないでね」
「ああ、わかってるよ、ワカーメちゃん」
たしかに、貧血特有のふらふらした感じが抜けない。
フィーネも魔力を大分使ったはずだ。こんな中途半端な状態では先へ進めない。
「むむ……腹も減ってきた、ここらでひとつ晩餐といこうじゃないか!」
「ここで夜を明かすのが得策ですねえ」
血気を補充し、魔力を回復するには食事睡眠が一番だ。ここらでなにか食べて、ゆっくり眠ればある程度は回復するだろう。
そんなこんなで、イゾノ家は小部屋で野営することとなった。
さいわいにも小部屋には煮炊きができるかまどがあって、円卓をどければ全員で雑魚寝ができそうだ。
かまどにはいつものようにフィーネとサザウェが立ち、ワカーメが手伝いをしている。カッツェはダラウォの相手をしており、必然的マッスォはナミーヘと円卓を共にすることとなった。
「いや、順調だな! この分だと十日と待たずにダンジョンを攻略できるぞ!」
ナミーヘはどこまでも楽観的だった。マッスォとしては今すぐにでも引き返したいのだが、ここでそれを言うわけにはいかなかった。
「マッスォくんも良くやってくれている! しかし、モンスターにやられそうになったときはひやひやしたぞ!」
「……すいません、お父さん……」
「なに、謝ることはない! 果敢に立ち向かった結果じゃないか! 誇りこそすれ恥じることはない!」
「……は、はあ……」
ナミーヘはどこまでも善良な人間だった。自分に厳しく、他人にやさしい。マッスォのこともなんとかして受け入れようとしてくれている。良き父だ。
しかし、他人の心情をおもんぱかることが苦手なようだった。良かれと思ってやったことが裏目に出るかもしれない、という想像力がないのだ。結果として善意を押し付ける形になっていることに気づきもしない。
マッスォが考えすぎているだけなのかもしれないが、ナミーヘはあまり物事を深く考えるということをしなかった。
そんな性格のふたりが相入れることはなく、マッスォはただ一方的に話を聞くことしかできなかった。相槌を重ねてへらへらする。そうすることが一番波風を立てずに済む。
「ここらで一杯やりたいところだな! 晩酌せんと一日が終わったという実感がわかん! 特にこんな地下だとな!」
「いけませんよ、お父さん。すぐに悪酔いするんですから」
ちょうど料理が出来上がったようで、フィーネが大皿を持って円卓にやってきた。しっかりと釘をさして、ナミーヘが肩をすくめる。
「父さんたら、お酒なんか隠し持ってきたの?」
「隠し持ってきたとは人聞きの悪い! 男の冒険には酒が付き物だ!」
「ロマンだねえ」
「早く食べましょうよ!」
「おなかすいたですー」
小皿が配られ、いつも通り質素な食卓の完成だ。腹を空かせたイゾノ家の面々はスプーンを取り、
「では、いただこうか!」
『いただきまーす!』
一斉にパンとスープに食いついた。
マッスォもスープにスプーンをつけるが、どうも食欲がわかない。胃がきりきりして、食べ物を受け付けてくれない。
それでも、栄養をつけて血気を補充するためにむりやり食べた。食が進まない様子を、サザウェが心配そうに見ている。
やがて晩餐が終わり、満腹になった一行は後片付けをしてから眠ることになった。
「……床が固いな……」
毛布にくるまりながら、ナミーヘが不服そうにつぶやく。
「それはそうですよ、ベッドじゃないんですから」
「しかし、これは……」
「いいじゃない、家族そろって同じ場所で寝るなんてなかなかないことなんだから!」
「それはそうだが……どうも落ち着かん……」
「父さんはワガママだなあ。ふぁあ、僕はもう眠くなってきたよ」
「カッツェ、ワガママとはなんだ!」
「はいはい、おやすみー」
そう言うと、カッツェは早々に眠りについてしまった。他の子供たちも、疲れからかすやすやと寝息を立て始め、起きているのは大人だけになった。
「どうも眠れる気がせんな……」
「お父さんたら、いつまで文句言ってるんですか。眠らないと疲れが取れないでしょう」
だが、マッスォもナミーヘと同意見だった。こんな見も知らないモンスターのはびこるダンジョンの固い床で、安眠などできるはずもなく。もともとの不眠症もあって、疲れてはいたが眠れるかどうかあやしいところだった。
「そうだ! 持ってきた酒でも飲もう! そうすればきっとよく眠れる!」
「お父さん!」
すかさずフィーネが止めようとするが、ナミーヘはすでにアルコールの入った瓶を取り出している。
「いいじゃないか、寝酒だ。母さんたちは先に寝ていていい。マッスォくん、いいだろう、男同士水入らずで楽しもうじゃないか!」
ナミーヘの酒癖の悪さは知っていた。いつもなら介抱するのはフィーネの役目だったが、魔力を使って疲れているだろう、早めに眠ってほしかった。
そもそも、ナミーヘからの直々のご指名だ、拒否することはできない。
「は、はい!」
反射的に返事をしてから、面倒くさいことになったな……と密かにどんよりと肩を落とす。
「もう、知りませんからね!」
「じゃあ、私たちは先に寝てるわね。くれぐれも深酒はしないこと。それじゃあ、おやすみ」
それだけ言い残して、フィーネとサザウェはさっさと毛布に潜り込んでしまった。
やがて寝息が聞こえてきて、マッスォはナミーヘとふたりきりになる。
……気まずい。
たまにいっしょに飲んだりはするが、大抵はサザウェとフィーネもいっしょだ。こうしてふたりで飲むことなどあまりないことだった。
「さあさあ、一杯やろうじゃないか。ほれ、マッスォくん」
「ああ、すいませんお父さん」
ナミーヘがアルコールを注いだコップを寄越してきて、マッスォはあわてて酒瓶を取るとナミーヘに酌をした。
互いの杯が満ちると、ナミーヘはコップを掲げて、
「それでは、我ら一家の明るい未来に、乾杯!」
「……乾杯」
がちん、と器をぶつけ、アルコールを喉に流し込む。コンディションが悪いせいで胃が焼け付くように熱かった。これはロクに酔えそうにない。
対してナミーヘは機嫌良さそうに酒を飲むと、満足げにため息をつき、
「やはり男の冒険には酒がなくてはな! マッスォくんもどんとんやってくれ!」
「は、はい……」
とはいえ、注がれなければそれ以上は飲まない。万全ではないからだにアルコール過多は危ない。
そんなマッスォをしりめに、ナミーヘはどんどん手酌で酒をついでは飲んだ。
「ああ、すいません、気が利かなくて……」
「ははは! なに、気を回さんでいい、水くさいぞマッスォくん! さあ、飲め飲め!」
「は、はい、いただきます……」
せっかく減ってきた杯は、たちまちアルコールでいっぱいになった。その酒をちびちび飲み、マッスォはため息をつく。
なぜこんな状況になったのだろう。
とんだとばっちりだ。
酒はたしなむ程度のマッスォにとって、酒の席というのはどうも居心地が悪かった。ましてや義父とサシだ。粗相のないようにするので精一杯だった。
「いやあ、たまにはこういうのもいいな!」
ひとの気も知らず、ナミーヘはひとりご満悦だ。次々とコップに酒を注いでは飲んでいる。
マッスォはひとり酔えない酒を少しづつ飲みながら、早く終われと念じ続けるのだった。