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№12 フグータ家、夫婦の時間

 しばらくして、ワカーメのおかげで貧血状態もかなり良くなってきた。あとはなにか食べれば回復するだろう。


 やっと起き上がったマッスォは、水汲み場で水を飲むことにした。めいめい円卓でくつろいでいるイゾノ家から少し離れたところで顔を洗い、からからの喉に水を流し込む。


 少し生き返ったような気がした。いや、まさに死の淵からフィーネのちからで生き返ったようなものなのだが。


 ひとここちついていると、背中をちょんちょんと叩く手があった。振り返ると、いたずらめいた笑みを浮かべるカッツェがいる。


「どうしたんだい、カッツェくん?」


「いや、兄さん少し疲れてるみたいだからさ。ここらは結界が張られてて安全だから、ちょっと外の空気を吸ってきたらどうかなって。頭も冷えるよ」


 カッツェの提案を却下する理由はない。たしかに、少し頭を冷やす必要がある。


「ありがとう、そうするよ」


「ごゆっくりー」


 そう言って、カッツェはマッスォを部屋の外へと送り出した。


 小部屋の外にモンスターはいない。欲を言えば風が吹いていれば良かったのだが、地下空間にそれを期待するだけ無駄だろう。


 ふぅ、とため息をついていると、すぐ近くから声が聞こえてきた。


「あなた?」


「さ、サザウェ!?」


 急に呼びかけられてびっくりしてしまった。そこには、壁にもたれかかる妻の姿があった。


 サザウェも驚いていたが、合点が行ったらしく、しかめっ面をしている。


「カッツェのやつ、また悪巧みして……!」


 なるほど、カッツェが気を利かせてサザウェとふたりきりにしてくれたのだ。こういう気遣いができるところは、幼い義弟ながら聡いと思う。


 サザウェも悪い気はしていないらしく、すぐにいつもの笑顔に戻った。マッスォはサザウェの隣の壁にもたれかかりながら、


「こうしてふたりきりになるのも久しぶりだね」


「そうね、ここのところ忙しかったから」


 そこで会話が途絶えて、しばし沈黙が訪れる。気まずさを感じていると、今度はサザウェが口を開いた。


「からだは大丈夫?」


「うん、なんとか。お母さんとワカーメちゃんががんばってくれたからね」


 なんてことない、と付け加えて、マッスォは腕を持ち上げた。


「もう、本当に無茶しないでね」


「わかってる、もうこんなことはないようにするよ」


 イゾノ家に迷惑をかけるのはこりごりだ。しゅんとしたマッスォの肩に手を置いて、サザウェはいたわるような声音で語りかける。


「あなたひとりでがんばろうとするからよ。もっと私たちを頼ってくれていいのよ」


「そうはいかないよ。家長の僕ががんばらなくてどうするんだ」


 サザウェが差し伸べた手を振り払うように、マッスォは告げた。意固地になりすぎているのは自分でもわかるが、今さら引くに引けない。


 マッスォの肩から手を離したサザウェは悲しそうな顔をして、


「あなたは変に遠慮しすぎなのよ。家族なんだから、もっと頼って」 


 家族。


 ……違う、イゾノ家と自分、このふたつのくくりでしかない。自分はどこまでも異物なのだ。それを忘れてはいけない。


「……けど、僕は入婿だから……」


 控えめに拒絶の意を表したマッスォは、ぼそぼそと続けた。


「みんなに気を遣わせてることはわかってる。けど、逆にそうしてもらわなければいっしょにはいられない。こんなの不健全だろう? だから、本当の家族になんかなれっこないよ……」 


「そんなことないわ!」


 サザウェがとっさにその言葉を否定する。教え諭すような口調で、


「血の繋がりがなくたって、あなたは家族よ! みんなそう思ってるからあなたを迎え入れようとしてるのよ! あなたにはそんな気持ちないの?」


 サザウェの言う通りだ。意固地になっているのは自分の方だ。かたくなに家族の輪に入ることを拒絶し、孤独に浸っていい気になっているだけだった。そうすれば立場がないことにも言い訳が立つから。


 自分を守る殻にこもって、ひとりぼっちごっこをしているに過ぎない。


 子供じみた意地の張り方に、我ながら嫌気がさした。イゾノ家のみんなは一生懸命に歩み寄ってくれているのに、自分ばかりがその手を拒んでいる。


 家族になりたいという気持ちはある。


 が、今さらなれるとも思わない。


 一度異物であることを認識してしまえば、それは片時も頭から離れてくれない。抑うつ状態ならなおさら、思考の歪みを正すことなどできなかった。


 そこへあの善意の気遣いだ、ひねくれた受け取り方をしてしまって、もうこころを開くことなどできなくなっていた。


 染み付いた思考のクセに振り回されて、ただ空回りしている。


 それがマッスォという男だ。


「あなたは家族の一員よ。みんなそう思ってるわ。だから、あなたにも歩み寄ってほしいの。こころを開いて、みんなを受け入れて」


 サザウェはそう願ったが、それは到底叶わないことだった。固く閉ざされたこころを開くことなど、今さらできない。こころの扉はすっかり錆び付いてしまっていて、もう外側からも内側からも開けられない状態になっていた。


 それを一番自覚しているのはマッスォ自身だ。だからこそ、一度こころに決めてしまったことは撤回できない。引くに引けない、そんな意地を張ってしまっている。


 こんなの、まるで思春期の若造じゃないか。


 情けなくなって、マッスォは胸中で自分のことを嘲笑った。


 こんな大きな子供が家庭を持つことなど、ハナから無理だったのだ。きっと上手くやれると思い上がっていた結婚当初の自分をぶん殴ってやりたい。


 しかし、子供まで作ってしまった以上、責任は取らなければならない。その責任感ゆえに、マッスォは宙ぶらりんのままイゾノ家に所属しているのだ。


 正直、苦しい。逃げ出したい。


 今や責任感だけがマッスォを繋ぎ止めるいのち綱であり、マッスォを縛り付ける鎖となっていた。


「……ごめん、サザウェ……」


 言外に拒絶の意を示して、マッスォは肩を落とした。


 そんなマッスォに、サザウェは悲しげな顔をして、


「いいのよ、あなた。謝らないで」


「……でも……」


「いつかきっと、なんとかなるわよ。その時が来るまで、私は待つわ。みんなも待ってる」


 そんなことを言われると、なおさら殻の内側に引きこもりたくなる。差し伸べられた手は、どこまで行ってもマッスォを追い詰めるばかりだ。


 間違っているのはイゾノ家のみんなか、自分か。


 ……わかってる、自分に決まっている。


 不健全なのは他ならぬ自分自身なのだ。臆病で、ひねくれていて、子供じみている。なんとも情けないことに。


 しかも、その点を修正できないでいる。カッツェくらいの子供だって、悪いと思ったら改めるのに、自分と来たら。


 思考は堂々巡りして、一向に答えにはたどり着けない。そもそも、答えなどあるのだろうか。先の見えないマラソンをしているような気分だ。


「……さあ、あなた。そろそろ戻らないとみんなが心配するわ。からだもまだ万全じゃないんだから」


「……うん……」


 サザウェに促されるまま、マッスォは壁から背中を離した。また胃がきりきりするような時間が始まると思うと、今からこころがどんよりしてくる。


 居場所がないと思っているのはマッスォだけだ。みんなはここが居場所だとスペースを開けてくれている。


 マッスォはかたくなにそれを拒絶していた。


 引っ込みがつかなくなって、拒絶する以外の選択肢がなくなっているのだ。


 こんな状況にしたのも自分。


 すべては自分が悪い。


 そのことをこころに刻みつけるように自覚して、マッスォはサザウェとともにみんなが待つ小部屋へと戻って行くのだった。

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