№6 ナミーへ、顔面崩壊
そして、一家はダンジョンの目前までやって来た。
石造りの堅牢な門の向こう側は真っ暗闇で、どうやら地下へと続いているようだ。これほどの建造物が一夜の内に出現したというのも驚きだった。
巨大建造物を前にして、イゾノ家はただ感心したように石のゲートを見上げる。みんな、由緒ある教会を見物しに来たような顔をしていた。
「ほほう……ここがダンジョンか」
ナミーへが嘆息しながらつぶやく。
「あらあら、大きいわねえ」
「ぱぱよりおおきいですー」
「もっと小さいかと思ってたわ」
「姉さんのこころの狭さで計っちゃいけないよ」
「あんたはまた一言多い!」
「へへへ、ごめんごめん」
「どうしてこんなものが出来ちゃったのかしら?」
「それは最深部まで潜ればわかるだろう!」
「それもお宝同様のお楽しみってわけだね」
「ここから先は危険地帯ですよ、みなさん、くれぐれも気を引き締めて……」
「どれ! ひとつワシが一歩目を……!」
マッスォが言ったそばからナミーへが不用意にダンジョンに足を踏み入れた。
その途端、門に設置されていた罠が発動する。頭の上から煮えたぎる油をかぶったナミーへは、顔を押さえてその場で転げ回った。
「ひああああああああああああ!!」
「びゃああああああ!! お父さん!?」
その姿は放送コードに引っかかるひどい有様だったので、その場にモザイクがかかる。
一本だけ残った頭頂部の髪も消滅してしまった。でろでろになった顔の皮膚の痛みに、ナミーへは悲鳴を上げる。
「お父さん!」
すぐさまフィーネがお玉を振るい、治癒魔法を施した。ナミーへのからだが光に包まれ、時間を逆再生したように皮膚が元通りになっていく。
ようやくひとここちついたナミーへは、門の前で大の字になって息を荒らげていた。
「……早速死ぬかと思った……」
「もう、お父さんたら! 勇み足が過ぎるんですよ!」
フィーネに叱られて、ナミーへはしゅんとしてうなずいた。
「……面目ない」
「ともかく、すぐに治癒できるような怪我でよかったわ」
サザウェがぽんぽんとナミーへの肩を叩いて励ます。
「手荒い歓迎だったねえ」
「手荒すぎるわよ。お父さんたら痛かったでしょう」
「よくみえなかったですー」
モザイクのおかげでダラウォにトラウマを刻むことはなかったのが不幸中のさいわいだった。教育的配慮に感謝だ。
しかし、いきなり出鼻をくじかれた。まさかこんなにしょっぱなからダンジョンの洗礼を受けるとは思わなかった。暗中模索五里霧中の中を進むのは想像以上に骨が折れそうだ。
やはり、イゾノ家は素人でしかない。いくら日頃から鍛錬しているとはいえ、ダンジョンに関しては完全な無知だ。まったくの未知の領域に踏み込むにはなにもかもが不足していた。
「……や、やっぱりやめておいた方が……」
こわごわとマッスォが提案したが、それは即座に却下された。
「何言ってるの! こんなことで負けるもんですか!」
すかさずサザウェが負けん気を発揮する。カッツェもそれに続いて、
「そうだよ兄さん、罠なら僕が解除するから」
「けど中にはモンスターも出るんだろう? こんなところでつまずいてる僕たちじゃとても……」
「ダマがいるですー」
ダラウォがそう言うと、巨大な白虎が、にゃーん、と鳴いた。マッスォは戸惑いの表情を見せる。
たしかに、ダマはダラウォの強大な魔力で召喚された最強クラスの召喚獣だ。地獄の業火を吐き、その牙と爪はあらゆるものを引きちぎる。こんなダマと渡り合える相手はそうそういないだろう。それほどにこころ強い味方だった。
しかし、ダンジョンの中のモンスターがどんなに強力かはまだわからない。もしかしたら、ダマでさえ手に負えない相手が出てくるかもしれない。その時はマッスォたちも戦わなければならないのだが、果たしてダマでも無理な相手に対処できるか……
とにかく情報が足りなさすぎた。こんなに知らないことだらけの危険な場所を探索するなんて、蛮勇を通り越して無謀だ。
イゾノ家のみんなはそれをわかっていない。マッスォの杞憂なのかもしれないが、全滅するかもしれないリスクを考えれば案じて案じ過ぎることはないだろう。
「考え直しましょう、とにかく他の冒険者からダンジョンについて聞くとか、出直して……」
「十日しかないのよ、そんなことしてるヒマはないわ!」
またもサザウェがマッスォを封殺する。それはそうなのだが、やみくもに突っ込んでそのまま全員で死ぬよりはいくらか現実的だと思う。現にナミーへは初手の罠にかかって大怪我を負っているわけなのだし。
しかし、マッスォがそれ以上何か言うより先にナミーへが、どん!と胸を叩いて言い放った。
「心配いらん! 傷は母さんが回復してくれる! 回復薬のヒロポンもたんまりあることだし、我が家には前進以外の選択肢はない!」
「そうですね、大抵の怪我なら私が治せますし、まずは少しでも進んでみたらどうかしら?」
ナミーへとフィーネにそう言われてしまったら、マッスォにはもう何も言えない。さらに、立て続けに他のメンバーが口を開く。
「大丈夫だって! 見たところだけど、この罠だってすごく単純だし、僕も罠の解除するからさ!」
「母さんほどじゃないけど、私も魔法使えるわ!」
「ダマがいればだいじょうぶですー」
ダラウォを背に乗せたダマが、にゃーん、と鳴く。
進まなければ始まらないのはわかっている。しかし、先行きが不透明すぎる。最悪の事態を想定しなければならないというのに、この一家は楽観的すぎる。ただ進むことしか考えていない。
マッスォは胸の内にいらだちを感じながらも、決してそれを口にすることはなかった。
自分はあくまで外様なのだ。入婿の意見などなにひとつ受け入れられないことくらいわかっていたはずだろう。一家が進むと決めたら、黙ってそれに従うことしかできない。
たとえそれが破滅への隘路だとしてもだ。
いっしょに破滅することしか、マッスォにはできない。それがマッスォなりの結婚への責任の取り方だ。
仕方がない。仕方がないんだ。
マッスォは胸中でそう繰り返した。
「さあ、こんなところで立ち止まってないで、先へ進むわよ!」
「そうだ! どんどん行くぞ! こんなことでへこたれておれん!」
「お父さん、勇み足もほどほどにしてちょうだいね」
「まったく、年寄りの冷や水なんだから」
「カッツェ!」
「けどそうよ父さん、あんまり無理してもらっちゃ困るわよ」
「私たちもいるんだから、みんなでがんばりましょうよ」
「ぼくもダマもいるですー」
「む、そうだな! みんないっしょにダンジョン攻略だ! さあ、改めて行くぞ!」
『おー!』
一斉にこぶしを掲げときの声を上げて、今度こそダンジョンへの最初の一歩を踏み出す一家。
納得できないまま、マッスォもそれに続いた。
ここから先はいよいよ魔境だ。なにが起こってもおかしくない、誰が死ぬかもわからない、そんな死地に踏み入ってしまった。
もう後戻りはできない。
この一家とともに心中するしかないのだ。
こんなことなら、やっぱり早々に首をくくっていた方が良かったのかもしれない……
痛い思いや苦しい思いはしたくない。しかし、この一家心中に付き合うことがマッスォの義務なのだ。入婿とはそういうものだ。
「あなた、なにしてるの! 早くして!」
「……わかった、今行くよ……」
なにもかもを放り出してしまいたい気持ちにフタをして、仕方ない仕方ないと胸中で繰り返しながら、マッスォはダンジョンの内部へと進んでいくのだった。