№3 マッスォ、うつになる
どうしよう、と考えていてもどうしようもない、としか答えが出てこない。
どこかに救いの手はないだろうか。
そんな折、ふとカッツェと目が合った。カッツェはにやりと笑うと、
「ねえ兄さん、ダンジョンって知ってる?」
「……ダンジョン……?」
この都に住んでいて知らないものはいない。モンスターがはびこり、その代わり金銀財宝が眠っているという謎の建造物。一年ほど前に唐突に都に出現したという、今でも真相が解明されていない場所だ。
当然マッスォも知っていたため、おずおずとうなずき返す。
「そりゃあ知ってるよ。最近じゃみんなその話で持ちきりだからね。モンスターがうじゃうじゃいるこわいところだそうじゃないか。そのダンジョンがどうしたんだい?」
困惑するマッスォをさらに混乱させるように、カッツェがいたずらめいて笑う。
「その奥にはお宝が山ほど眠ってるらしいね? それさえあればうちの傾いた家計も……」
「ま、まさか……!?」
そのまさかだった。
カッツェがもたらした情報に、ナミーヘが即座に食いつく。
「ふむ、カッツェの言うことももっともだ! 今のワシらにできることはそれしかない! ここはひとつ、家族総出でそのダンジョンとやらに挑もうじゃないか!」
「お、お父さん!?」
良くない方向に話が転がっている。マッスォの冷や汗を知らず、ナミーヘは、どん、と胸を叩いて、
「なに、ワシらもただの素人ではない! 日々武芸や魔法の鍛錬はしている! そう難しく考える必要はないだろう!」
そこを難しく考えてほしいんです!
大声でそう主張したかったが、今は蚊の鳴くような声すら出そうにない。
そうしている間にも、いやな流れはどんどん出来上がっていった。イゾノ家全員が目の前にぶら下げられた希望に瞳を輝かせている。
そして、ナミーへはトドメの一言を放った。
「よし! イゾノ家の命運を賭けて、みんなでダンジョン攻略だ! いいね、マッスォくん!」
「は、はい!」
勢いでうなずいてしまったが、もう手遅れだ。イゾノ家のメンバーはみんなやる気満々である。
「よーし、やるわよー!」
「まずは装備を整えないとねえ、女学校時代を思い出すわ」
「僕、お宝がどんなものか見てみたい!」
「ぼくもですー」
またダマがにゃーんと鳴いた。どうやらこのままダンジョン攻略に向けて話が進むらしい。
ど、どうしよう……!?
不安で胸が潰れそうになっているマッスォをよそに、イゾノ家の面々は早速明日から装備を整えるために市場へ出向く話をし始めた。
やはりここでもマッスォの意見は封殺されている。入婿ゆえに強く言えないマッスォが悪いのだが、とてつもなく疎外感を感じる瞬間だ。
僕の意見なんて、どうせ言ったところで聞きやしないんだ。
そんなあきらめがマッスォのこころの底にあった。『お客さん』『よそ者』の口にする言葉にちからなどない。
やっぱり、自分だけは家族ではないのだ。
がっくりとうなだれてことの成り行きに身を任せることしかできないマッスォを、サザウェはどこかかなしげに見つめるのだった。
「ねえ、あなた」
晩餐が終わって就寝の時間になり、ダラウォを寝かしつけたサザウェがマッスォに語りかけた。
「なんだい?」
「無理しなくていいのよ?」
マッスォは最初、理解できなかった。まさかそんな言葉がサザウェの口から出てくるとは思わなかったからだ。
やっと理解が追いついて、マッスォはむりやりに笑顔を取り繕って返した。
「そんな、無理なんてしてないよ」
「ウソ」
夜着姿で髪にカーラーを巻いているサザウェが、マッスォの鼻をつついて断言する。
「あなたは遠慮しすぎなのよ。今日だってお父さんの意見に乗り気じゃなかったでしょう。言いたいことがあったら言って」
言えるわけがないだろう。
遠慮してしすぎることのない入婿という立場で、外様の分際で、なにを言えというのだ。発言権などないに等しい身分なのに。
だというのに、サザウェは今ひとつ入婿という立場をわかってくれない。唯一の味方であるはずのサザウェがこうなのだから、この家に味方などいなかった。
元々の竹を割ったような性格にも由来しているのだろうけど、サザウェはこういった機微にはめっぽう疎い。言葉を額面通りに受け取る正直者なのだ、良くも悪くも。
「……無理はしてないよ」
あきらめのにじんだ声音で笑うと、マッスォはひとりで布団に潜り込んだ。
「なにも無理はしてない。僕はこれでいいんだ」
「あなた……」
「もう寝よう、明日は朝から市場だ」
話はこれで終わりだ。枕元のランプを消して、マッスォはベッドに沈んだ。
サザウェはしばらくの間なにか言いたげにしていたが、寝息が聞こえてくるとあきらめたようにベッドに入った。
……数分経っていびきが聞こえてきたころ、マッスォは暗闇の中で目を開く。最近ではすっかり狸寝入りが得意になってしまった。情けないことだ。
結婚してからというもの、マトモに眠れたことがない。夢とうつつの間をさまよっているうちに夜が明けてしまう。慢性的なストレスによる抑うつ状態だった。
一時はこっそり薬に頼っていたが、それすら効かなくなってしまい、もう本格的に頭の病院にかかるしかなくなってきた。しかし貴族の入婿が抑うつ状態で通院なんて、とてもじゃないが世間が許すことではないだろう。
天井の梁を見つめながら、いつも思う。
ああ、首をくくるにはちょうどいい高さだと。
マッスォはそこまで追い詰められていた。
こんな結婚生活、想定していなかった。無理にでも同居を断っておけばよかったが、今更遅い。
家庭を持つということは、もっと素晴らしいことだと思っていた。もっと勇気や気力が湧いてくるようなものだと思っていた。が、それは幻想に過ぎなかった。
無力感。疎外感。徒労感。
今のマッスォは結婚の敗戦処理をしているだけだ。責任を取らなければならないという思いだけで動いている。
イゾノ家の面々は、決して悪いひとたちではない。いやがらせをされたこともなく、むしろ入婿の自分にも良くしてくれている。常識外れなところもあるが、善良な人間たちだ。
しかし、善良ゆえにイゾノ家のひとたちはマッスォを追い詰める。やさしくあろう、あたたかく迎え入れようと気を遣うたびに、逆にマッスォを孤独へと追いやるのだ。
家族の間でそんな気遣いをすること自体が不健全なのに。イゾノ家のひとびとはそれに気づかぬまま、マッスォを追い詰めていた。
誰も悪くない。なのに、好意を素直に受け取れないせいで、こんなにもひとりぼっちを感じている。全部自分が悪いのだ。小心者のくせにひねくれていて、ひとを信じることができない臆病者。
心底自分で自分がいやになる。
やり場のない思いを自分に向けてしまい、マッスォはすっかりこころをやられていた。
ここには自分の居場所はない。自分に家庭を持つ資格はなかった。責任を果たしたら、なにもかも終わりにしよう。
疲れた。
マッスォが思うのはそればかりだった。
明けない夜はないというが、その夜を越せないから苦しんでいるのだ。散り行く花にあと一年待てばまた春がやってくるから散るな、と言っているようなものだ。
世の中には希望ばかり押し付けてくる言葉が多すぎる。
それはイゾノ家の面々の好意といっしょで、良かれと思って出てきたものだろう。だが、だからこそマッスォを苦しめる。
世の中うまくいかないものだ。
しかし、誰かを責めることはできない。
やり場のない思いを抱えながら、マッスォは今日もうつらうつらと夢と現実の間をただようのだった。