№2 マッスォ、煩悶する
かちかち、食器とカトラリーが触れ合う音が古びた館の食堂に響く。
イゾノ家は家族全員で円卓を囲んで夕食をとることを家族に義務付けていた。例に漏れずマッスォもまた、この晩餐のために円卓の一席に座っている。
晩餐、とはいえメニューはスープとパンと葡萄酒のみ。平民でももう少しいいものを食べている。実に質素な食事だった。
それもそのはず、イゾノ家は貴族とはいえ、今は没落した家柄だ。家計も回せず落ちぶれて、使用人のひとりもいないこの古びた館に住んでいる。そのおかげで、食事を作っているのもサザウェと義母だ。
にゃーん、と猫らしく鳴いているのは、巨大な白虎。イゾノ家の召喚獣、ダマだ。食堂の半分をその巨躯で埋めている。牙も爪も鋭い凶悪な召喚獣のくせに、なぜか猫っぽくすることが多い。
「まったく、最近の若い貴族ときたら、やれ色だの恋だのと、けしからん! もっと剣術や狩猟に励むべきだ! 貴族たるもの、国王陛下のために尽くさねばな! そうは思わんかね、マッスォくん!」
「そ、そうですね……」
大演説をぶっているのは、この家の当主であるナミーヘだ。東洋風のガウンにメガネと禿げた頭。その頭に1本だけ残った毛と同じく、昔の栄華を忘れられないでいる没落貴族だ。
実質この家の決定権はこのナミーヘにある。当主なのだから当たり前なのだが、マッスォに家督を譲る気があるのかどうかはよくわからない。
……いや、没落したとはいえ貴族だ、平民出身の自分なんかに当主の座を譲るはずがない。なにせ自分は『お客さん』『よそ者』なのだから。
「なんだこの葡萄酒は! まるで水じゃないか! もっといいのがあっただろう、持ってきてくれ!」
しかめっ面をするナミーヘに、義母のフィーネがスープを飲みながらきっぱりと告げる。
「そんなもの、とっくに売りに出しましたよ」
「なんだと!?」
「うちにはお金がありませんから」
澄まし顔で食事をしているのは、ナミーヘの妻でありこの家の影の主であるフィーネだ。いつもエプロンをつけてお玉を持って歩いている。普段はおだやかな老婦人なのだが、ここぞというときはびしっと言うようなひとだった。
ナミーヘはその事実に直面すると、禿げ上がった額に手を当てて、
「由緒正しきイゾノ家がそこまで困窮するとは、なんと嘆かわしい!」
「でもこれが現実ですからね。お父さんもいつまでも裕福な貴族のままだと思わないでください」
「ぐぬぬ……!」
ぎゃふんとも言えずうめくナミーヘは、言葉といっしょに水のような葡萄酒を一気に飲み干した。
「父さんもいつまでも偉ぶっていられないねー」
「カッツェ!」
サザウェに怒鳴られているのは、マッスォの義弟でありサザウェの年の離れた弟、つまりナミーヘの息子であるカッツェだ。坊主頭にちょこんと帽子を乗せ、くりくりした瞳をいたずらっぽくきらめかせている。
「へへへ、こいつは口が滑った」
「カッツェ兄さんは時々お父さんより偉そうね」
なぜか上から目線で笑っているのは、同じくサザウェの年の離れた妹であるワカーメである。学校でも優等生で通っているらしいが、なぜかいつもぱんつを見せつけるような丈のスカートをはいている。
「ぱぱよりえらいですー」
きゃっきゃとはしゃぐ3歳児は、マッスォと唯一血の繋がった息子であるダラウォだ。坊ちゃん刈りの快活な幼児だが、たまにKYな発言をして場を凍らせる魔の3歳児だった。膨大な魔力の持ち主で、召喚獣のダマもダラウォがよんだものである。
いつものようにわいわいと賑わしい円卓の隅で、改めてイゾノ家のメンバーを見ると、濃いなぁ……と思う平凡人間のマッスォだった。
そんなマッスォに、唐突に水が向けられる。
「大丈夫よ! マッスォさんがなんとかしてくれるわ!」
サザウェの発言に、マッスォは思わずスープを吹き出しそうになった。
「さ、サザウェ……!」
助けを求めるように視線を向けるが、この鬼嫁がそんな甘ったれを許してくれるはずもなく。
「そうだよ、なんたってうちの稼ぎ頭だからね!」
「カッツェくん……!」
「よし、ならばマッスォくんに任せるしかないな! ひとつよろしく頼むぞ、マッスォくん!」
「私たちも全力でサポートしますから」
ナミーヘもフィーネもすっかりそのつもりでいる。もはやまわりに味方はいなかった。
おろおろとイゾノ家の面々を見渡してから、マッスォはその笑顔の裏からひしひしとプレッシャーを感じていた。スープの味がしない。葡萄酒でも酔えない。
胃がきりきりと痛んで血の気が引いていく。
この窮状を、自分がなんとかしなければならない。なんとかして稼いで、この家に財をもたらさなければならないのだ。
しかし、今の仕事だけではとてもじゃないが赤字の家計を何とかすることはできない。なにか一発当てでもしない限り、このピンチは覆せないのだ。
しかし平凡なマッスォになにか特別な才能などあるはずもなく、当たる一発など見当もつかない。
いっそ臓器でも売ろうか……けど、自分なんかの内臓にそれほどの値段がつくとは思えないし、そんなものは一時しのぎだ。根本的な解決にはならない。
なにか突破口がなければ、マッスォにはどうしようもなかった。一発当てるにしろ、臓器を売るにしろ、思い切りが必要だ。
だが、マッスォにはどうしても踏ん切りがつかなかった。
イゾノ家は、家族ではなく他人だ。
他ならぬマッスォ自身がそう思っている以上、『家族のためにがんばる』という発想はどうしてもわいてこなかった。家長だ大黒柱だと言われてもぴんとこない。
たしかに、イゾノ家は愛すべきひとびとだ。しかし、その輪の中に入っていけるかと問われれば、答えは否だ。自分はあくまでも入婿で、サザウェの夫という以外になんの肩書きもない。
他人のためにいのちを張ることは、マッスォでなくとも難しいことだった。
やっぱり、自分は家庭を持つべきではなかったのだ。こんな息苦しい思いをしてまでいっしょにいなければならないなんて、まるで拷問だ。この結婚は失敗だった。
しかし、一度婚姻関係を結んで息子まで作ってしまったからには、責任を果たさなければならない。今のマッスォはこの責任感だけを原動力にしていた。
なんとかして自分が稼がなければ。
でなければ一家離散もありうる。
しかし、『これだ!』という解決策が見つからない。つくづく自分の普通すぎる頭が憎らしくなった。
悩むマッスォをよそに、イゾノ家の晩餐は賑やかに過ぎていく。
「やあ、やはりマッスォくんは頼りになるな!」
「私たちも応援しなきゃいけませんねえ」
「姉さんにはもったいない旦那さんだね!」
「カッツェ!」
「そうね、よくやってると思うわ」
「ぱぱがんばれですー」
にゃーん、とダマが鳴いている。ひとの気も知らないで呑気なものだ。
稼がなきゃ……稼がなきゃ……
ひとり煩悶するマッスォをしりめに、イゾノ家の団欒はしばらく続くのだった。