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第8話

   7


 わいわいがやがやと、人が話すたくさんの声が聞こえていた。


 その声にゆっくりと瞼を開くと、すぐ目の前にぼんやりと真帆ねぇの顔が見えて、僕はほっと安堵する。


「……真帆ねぇ」


「気が付きましたか?」

 真帆ねぇは僕の顔を覗き込むように言って、優しく微笑んだ。


 どうやら僕は、真帆ねぇに膝枕をしてもらって仰向けに寝転んでいるらしい。


 傍らにはセロが座っていて、僕の指先をぺロペロ舐めてくれている。


 相変わらず夜空にはまん丸い月が浮かんでいて、辺りを明るく照らしていた。


 いったい、何があったんだっけ……

 僕はもう一度目をつぶり、記憶をたどる。


 たしか、夜中に家を出ていった真帆ねぇを追いかけて、お寺さんまで来て、そこでたくさんの人影を見つけて、そのあとを追って、ここまで来て――


 そこで僕ははっと目を開き、上半身を起こすと、辺りを見回した。


「――っ!」

 そして大きく息を飲む。


 そこには確かに、間違いなく、たくさんの化け物たちが、わらわらしていた。


 起き上がった僕に顔を向けてくる奴もいれば、全く気にするふうもなく大笑いしながらおしゃべりしている奴、中にはお酒を飲んでふらふらしている姿もあった。


「ま、真帆ねぇ」

「はい?」

 首を傾げる真帆ねぇの腕を握りながら、僕は体を寄せつつ、

「な、なに、ここ? なに、この人たち!」

「この人たちですか?」

 真帆ねぇは「うぅん」とちょっと唸ってから、

「まぁ、いわゆる妖怪さんと呼ばれている方々ですね」


「よう、かい……?」


 何を言っているんだろう、真帆ねぇは。

 妖怪なんて、いるわけがないじゃないか。

 あんなものは昔の人が作り出した幻で、何かの見間違いによるものだって、本で読んだ記憶がある。

 きっと大人たちが妖怪のコスプレをして、お祭り騒ぎしているだけなんでしょ?


 だけど、彼らの姿は、どこからどう見ても、人とは思えなくて。


「……だって、でも、そんな」

 口をパクパクさせていると、のしのしと足音が聞こえてきた。

 僕は真帆ねぇの腕をぎゅっと抱き寄せ、そちらの方に顔を向ける。

 そこには、金剛さんの姿があった。


 さっき僕に近づいてきた大男じゃなくて、僕の知っている金剛さんだ。


 金剛さんは僕の前で腰を下ろすと、

「……」

 無言でぎょろりと僕を見つめる。

 それから視線をあっちへこっちへやりながら、

「さっきは、すまなかった。怖がらせるつもりはなかった」

 言って、ゆっくりと頭を下げた。


「え、あ、あぁ」

 僕はなんて答えたら良いのかわからなくて、声にならない声を漏らす。


「仕方ありませんよ。金剛さんは生まれつきそういう顔なんですから。ぷぷっ!」

 いつものように噴き出し笑いをする真帆ねぇに、僕は少しだけ落ち着きを取り戻し、

「金剛さんも……人じゃないの?」

「あぁ、人じゃない」

 金剛さんは頷き立ち上がると、むくむくとその姿を変えていった。


 今、目の前にいるのは、よく大きなお寺の門に立っているような、金剛力士像そのものだった。


 明りに照らされた姿は茶色くて、肌の木目まではっきり見える。

 ぎょろりとした大きな目玉で僕を見下ろし、口をへの字に曲げていた。

 その怖い視線から顔をそらすように下を向くと、金剛さんの両足の甲には、大きな穴が開いていた。


「こ、金剛さんも、ようかい、なの?」

「違う。俺は妖怪じゃない。俺は――」


「話すと長いので要約するとですね、金剛さんはその昔、何かの拍子に命を得てしまった金剛力士像さんです。私のお婆ちゃん曰く、創った人の想いと、月の魔力が合わさって、そういうことが起きたんだろうって。確証はないんですけどね」

 真帆ねぇにそう説明されたって、すぐに納得できるはずもない。

 僕は自分のほっぺたを強くひねる。


 ……痛い。


「ちなみに他の方々に関しては私もよく知りません」

 真帆ねぇは辺りを見回しながら、

「昔から妖怪やあやかしなんて呼ばれていますけど、彼らが自らをそう呼んでいるわけでもないですし」


「じ、じゃぁ、あいつらはいったい何なの?」


 僕の質問に、真帆ねぇは「さぁ?」と首を傾げてにっこり微笑み、

「彼らが何だって、別に良いんじゃないです? 彼らは彼らです。私が私であるように、翔くんが翔くんであるように、彼らは彼らでしかないんです。それでいいじゃないですか。見た目とか種族とか、そんなの深く気にするようなことじゃありません」


 真帆ねぇの言っていることが、僕にはいまいち理解できなかった。

 それってつまり、どういうこと? 真帆ねぇはいったい、何が言いたいの?

 そもそも、金剛さんたちと知り合いである真帆ねぇって、いったい何者なの?


 色々な疑問が頭の中を行ったり来たりして、全然考えがまとまらない。


 頭を抱える僕をよそに、金剛さんはそっと真帆ねぇに顔を寄せ、

「そんなことよりミコよ、そろそろ時間だ」


「そうですね。始めましょうか」

 真帆ねぇはそっと僕の手を離すと、ゆっくりと立ち上がった。


「――えっ」

 その真帆ねぇの姿に、僕は思わず声を漏らす。

 そしてそれと同時に、金剛さんが真帆ねぇを「ミコ」と呼んだ意味を理解した。


 たぶん、僕が気を失っているうちに着替えたのだろう。

 真帆ねぇは神社なんかでよく見かけるような、巫女さんの衣装に身を包んでいたのである。


 頭の上には冠みたいなものをつけていて、唇には赤い口紅をさしていた。


 ミコって、巫女のことだったのか……


 真帆ねぇがゆっくりと池の方に歩み寄ると、周囲からは「待ってました!」「やっぱ綺麗だねぇ!」「今年もよろしくね!」と声が上がる。


 真帆ねぇは、いったいどうやってそうしているのか、池の真ん中まで水面の上を歩いていくと、どこに持っていたのか両手に沢山の鈴がついた道具を構え、見たこともない踊りを踊りだした。


 その途端、まるでスポットライトか何かのように、池全体がばっと白く輝いた。


 水面を跳ねるように、滑るように、月灯りの中を華麗に舞う真帆ねえのその姿に、僕だけじゃなくて、その場にいた全員が見惚れていた。


 ゲコゲコゲコ、ゲコゲコゲコ。

 どこからともなく聞こえてくるのはカエルの鳴き声。


 その鳴き声に合わせるように、

 ポン、ポコポン。ポン、ポコポン。

 池の傍らで、二足歩行の大きな狸が、その大きなお腹を太鼓のように叩いていた。


 ピーヒョロロー、ピーヒョロロー。

 猿のような顔をした何かが口笛を吹き、それらの音が合わさって、聴いたことのない音楽が辺りを包み込む。


 真帆ねぇはその音楽に合わせて飛んだり跳ねたり、華麗にステップを踏んでいる。


 ふと僕の隣に目を向ければ、金剛さんが胡座を掻いて盃を片手に、昼間の干物を口に咥えながら真帆ねぇの踊りを眺めていた。


 金剛さんは僕の視線に気づいたのか、こちらに顔を向けると、

「――お前もどうだ」

 と盃を向けてくる。


 僕は両手を振りながら、

「お、お酒はだめだよ。僕、まだ子供だし……」


 すると金剛さんは珍しく「はっはっは」と大きく笑い、

「これは酒ではない。虹だ」


「虹?」

「ほれ、見てみろ」


 言われて盃の中を見てみれば、確かに虹色に輝く液体が揺れていた。


「どうだ? 虹など、そうそう飲めるものではないぞ」

「う、うん……」


 僕は盃を受け取ると、試しに舐めるように、恐る恐るその虹を口に含んだ。


 甘くて、酸っぱくて、でもちょっと苦くて、何となく塩辛さもあって。

 果物のような味と、野菜みたいな味と、雨上がりの香りと、花の香りと。

 決して不味くはなく、どこか懐かしい感じもする、とても不思議な味だった。


「どうだ、美味かろう」

 僕は素直に美味しいとは答えられなくて、首を傾げながら盃を金剛さんに返した。


 金剛さんは、そんな僕の様子に苦笑しながら、

「まだ、子供には解らんか」

 とその虹を一気に飲み干した。


 そんなやり取りをしていると、突然周囲からの歓声が大きくなった。


 真帆ねぇの方に顔を戻せば、真帆ねぇの身体が淡く金色に輝いていた。


 その姿をじっと見ていると、短かった髪が徐々に徐々に伸びていき、やがて流れるような長い黒髪へと姿を変えた。


 その黒髪が身をひるがえすたびに風になびいて、僕はやっぱり、真帆ねぇは長い髪の方が好きだな、とそう思った。


 やがてシャン、シャン、と鈴を二回ほど鳴らして、真帆ねぇは踊るのをやめた。


 その途端、周囲からたくさんの歓声と拍手が沸き上がる。


 真帆ねぇはへらへらしながら、再び水面を歩いてこちらまで戻ってくると、

「どうでしたか?」

 と僕に訊ねた。


「すっごく、綺麗だった!」

 僕は飛び跳ねるように言ってから、

「けど、その髪――」


 真帆ねぇは「あぁ」と口にして、長い髪の先を指でくるくる巻きながら、

「月の魔力を全身に浴びましたからね。力と一緒に髪も伸びちゃいました」

 それから腰を屈めて僕の顔を覗き込む。

「翔くんは、短い髪の方がよかったですか?」


「えっ」

 と僕は一瞬答えにためらい、だけどすぐに首を横に振って、

「ううん。僕は、髪の長い真帆ねぇの方が好きだよ」


 真帆ねぇはそれを聞いてにっこりと微笑むと、

「そう、それはよかったです」

 僕の頭を、ぽんぽん撫でた。


 それからしばらくの間、宴会が繰り広げられていたけれど、やがてセミの鳴く声が聞こえ始めて、誰ともなく声を上げた。


「さて、セミが鳴き始めたことだし、そろそろお開きとしますか」


 お互いに「ではまた来年」と言って別れの挨拶を交わすと、妖怪たちはそれぞれ藪の中に姿を消していった。


 いったい彼らは、どこから来て、どこへ行ったのだろう。

 もしかして普段もどこかに潜んでいたりするのだろうか。


「――さて、私たちも帰りましょうか」

 普段着に着替えた真帆ねぇに言われて、僕は昇り始めた太陽に目を向けながら、

「早く帰らないと、勝手に家を抜けだしたのがばれてお母さんたちに怒られちゃうかも……」

 と不安に駆られる。


「確かに」

 と真帆ねぇはちょっと考えてから金剛さんに顔を向けると、

「金剛さん。お寺のホウキ、お借りしてもいいですか?」


「構わんが、あとでちゃんと返せよ」

 頷く金剛さんを見ながら、僕はホウキなんてどうするつもりなんだろう、と首を傾げたのだった。





「――さぁ、乗ってください」

 宙に浮いたホウキに腰掛けるように、真帆ねぇは僕に言った。


 その肩の上には、セロもしがみついてこちらを見ている。


「……え、なにこれ。どういうこと?」


 ひとまず荒れ寺まで戻ったところで、真帆ねぇは小屋の隅に立てかけられたホウキを手に取ると、何か小さく呟いた。

 その途端、ホウキがひとりでにふわりと宙に浮かびあがったのだ。


 僕はホウキと真帆ねぇを交互に見ながら、すごく戸惑う。


「ホウキに乗ってひとっ飛びしたほうが、早く家に帰れるでしょう?」

「ど、どういうこと? 真帆ねぇ、巫女なんでしょ?」


 これじゃぁ、巫女っていうより、まるで……


「いいえ」

 と真帆ねぇは僕に右手を差し出しながら、

「――私、実は魔女なんです」



 にっこりと微笑み、そう言った。

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