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第7話

   6


 真帆ねぇが戻ってきたのは、僕が家に帰って三十分くらい経ってからだった。


 その間、僕は居ても立っても居られなくて、玄関と居間を何度も何度も行ったり来たりしていた。


 おばあちゃんとお母さんに「どうしたの?」「なにをそんなにイライラしてるの?」と心配されたけれど、

「別に、なんでもないよ」

 とだけ返事して、あとは何を言われても全部聞こえないふりをした。


 ようやく真帆ねぇが帰ってきて、僕は開口一番、

「金剛さんと、何を話してたの?」

 と思わず訊ねた。


 真帆ねぇは一瞬目を見張り、けれどすぐに口元を緩めると、

「そんなに心配しなくても大丈夫ですよ。金剛さんは悪い人じゃありませんから」

 とおばあちゃんと同じことを口にした。


「でも、だって、あんな怖い顔の人だし……」

「だめですよ、翔くん。人を見た目で判断したら」

「でも、でも……」

 真帆ねぇはふっと笑みを浮かべると、僕の頭をぽんぽん叩きながら、

「安心してください。ただお仕事の話をしていただけです」

「……仕事?」

「えぇ、そうです。だから大丈夫。翔くんが心配するようなことはなにもありませんから」


 それから僕の足元にいたセロに顔を向けると、真帆ねぇはこくりと頷いた。

 セロもそれに答えて小さく鳴く。


 僕一人置いてけぼりにされているような気がして、何だか心がもやもやした。





 夕方までまただらだらと居間で時間を過ごして、お父さんが帰ってくるとみんなで晩御飯を食べた。

 僕はちらちらと真帆ねぇに目を向けたけれど、真帆ねぇに何か変わった様子は全くなかった。


 真帆ねぇはおねぇちゃんときゃっきゃっ言いながら食器洗いを手伝い、お風呂に入り、

「昨日は遅くまで起きてて迷惑かけたので、今日は早めに寝ますね」

 と言って、おねぇちゃんと二人、二階へ上がっていった。


 僕もあとを追うように二階へ上がり、自分の部屋に戻る。


 昨日あれだけ声の聞こえてきたおねぇちゃんの部屋からは、物音ひとつしなかった。


 お父さんとお母さん、おばあちゃんがテレビを見ている音に混じって、わずかなセミの鳴き声が、窓の外から漏れて聞こえる。


 暗い部屋の中、僕はぼんやりと天井を見上げながら、大きくため息を吐いた。

 真帆ねぇと金剛さんが何を話していたのかが気になって眠れない。

 考えれば考えるほどに胸が苦しくなって、何度も何度も寝返りを打った。


 真帆ねぇはお仕事の話だなんて言っていたけれど、どういうこと?

 真帆ねぇのお仕事って、町のおまじない屋さんじゃなかったの?

 どうしてこんな田舎に来て、どうしてあんな怖い顔のおじさんとお仕事の話になるの?

 わからない、わからない、わからない……!


 やがてテレビの音もセミの鳴き声も聞こえなくなって、辺りはしんと静まり返った。


 いったい、どれくらいの時間、僕はこうして眠れず悩み続けていたのだろう。

 ふと枕元の時計に目を向ければ、深夜1時をとっくに過ぎていた。

 いつもならもう、夢の中だ。

 何とかして眠らないと、僕も朝のおねぇちゃんや真帆ねぇみたいに起きられなくなっちゃう。

 そう思いながら両目をぎゅっと瞑り、タオルケットをかけ直した、まさにその時。


 きぃ、とドアを開く、小さな音が聞こえてきた。


 たぶん、隣のおねぇちゃんの部屋からだ。

 こんな夜遅くに、いったいどうしたんだろう。


 僕はベッドから起き上がると、抜き足差し足でドアに近寄り、耳を押し当てた。


 かさかさと廊下を擦り歩くような音が聞こえ、やがて階下に消えていく。


 おねぇちゃんだろうか、真帆ねぇだろうか。


 僕は何だか気になって、恐る恐るドアを開けると、その足音を追って階段を下りた。


 かちゃり、と玄関扉の閉まる音。


 少し待ってから、僕も靴を履いて外に出る。


 真帆ねぇのサンダルが無かったから、たぶん、出ていったのは真帆ねぇで間違いない。

 だけど、こんな夜遅くに、いったいどこへ行くつもりなんだろう。


 家の前の道路に出てみれば、お寺さんの方へ向かって歩く真帆ねぇの後ろ姿が見えて、僕はこっそりそのあとをつけていく。


 真帆ねぇのすぐ足元にはセロの姿もあって、尻尾を揺らしながら一緒に歩いていた。


 こんな時間に散歩だろうか。

 でも、いくら田舎で人が少ないとは言え、こんな時間に出歩くのは危険だと思う。

 お父さんが言っていたけれど、この辺りは夜になると、よく熊や猪が出てきて、田んぼや畑を荒らしていくという。

 たまに昼間に現れて人を襲うって話もあるし、正直僕は気が気じゃなかった。


 真帆ねぇに声をかけて注意して、「一緒に帰ろう」と言わなくちゃ。


 そう思って、僕は歩くスピードを速める。

 けれど、あまり距離が縮まらないうちに、真帆ねぇとセロはお寺さんの石段を上がり始めた。


 僕が追い付けないくらい早歩きなところを見ると、もしかしたらただの散歩なんかじゃなくて、何か大切な用事があって、こんな夜遅くにお寺さんまで来たのかもしれない。


 でも、だとしたら、いったいどんな用事だろう。


 そこでふと頭に浮かんだのは、金剛さんの顔だった。 


 もしかして、お昼の話と何か関係があるんじゃないだろうか。

 お仕事の話なんて言っていたけれど、こんな夜遅くにするお仕事って、いったい何?


 僕も真帆ねぇたちを追って、階段を駆け上がる。


 真っ暗なはずの境内は、けれど明るい月の光に照らされて、どこか幻想的だった。


 僕は辺りを見回して真帆ねぇたちの姿を探したけれど、どこへ行ってしまったのか、影一つ見当たらない。


 何とも言えない不安を感じ始めたところで、

「そろそろか」

「そろそろだなぁ」

「もういいんじゃないか?」

「セミも鳴きやんだことだし」

「始めるか」

「始めよう始めよう」

 と、どこからともなく囁くような声が聞こえてきた。


 いったい、どこから……?


 耳を澄ますと、本堂の後ろの方からガサガサと何か物音がする。


 恐る恐る本堂を回り込むと、その後ろの藪が激しく揺れ動いているのが見えた。


 背の高い人影、低い人影、細い人影、太い人影――

 ぼんやりと見えるのは、火の灯されたロウソクだろうか。


 それらが薄暗がりの中を、森の奥へ奥へと進んでいく。


 その人影の中に、ちらりと真帆ねぇらしき後ろ姿が見えて、僕は目を見張った。


 なに? どういうこと? その人たちは誰? 真帆ねぇ、いったいどこへ行くの?


 僕は焦り、その集団のあとを追うようにして、藪の中に飛び込んだ。


 道は上がったり下ったりを繰り返しながら、時折太い木の根を跨ぐように続いていた。


 どこへ向かっているのか全く分からず、ただ前方からは、たくさんの人たちの声がわいわい聞こえてくる。


 もしかして、この辺りに住んでいる大人たちが、みんな集まってきているんじゃないか、と思うくらいの人数だ。


 でも、どうしてこんな夜遅くに、森の中を歩いているんだろう。


 やがて、ただ石を積んだだけのような階段が見えてきて、彼らは跳ねるように、その階段を駆け上がっていった。


 その先から、「わぁ!」とか「きゃぁ!」とか「素晴らしい!」とか、歓声が聞こえてくる。


 この階段の先に、いったい何があるんだろう。


 僕は恐る恐る、滑り落ちないように気を付けながら、階段を上った。


 やがて目の前に見えてきたのは、ぽっかりとした広い空間。

 夜空から降り注ぐ月の光に照らされたそこには、奇麗な池が広がっていた。


 その池を取り囲むように、ロウソクを手にした人たちがずらりと並んでいる。


 夜空に浮かぶまん丸い月を水面に映したその池は、ぼんやりと白く淡く光り輝いていた。


「すごい……!」


 思わずそう口にしたとき、近くにいた人影がばっとこちらを振り向いた。


 その姿を目にした途端、僕は「ひっ」と小さな悲鳴を上げる。


 その人の顔には、大きな目玉が一つしかなかったのだ。


 でも、それだけじゃなかった。


 一つ目の後ろには頭に皿を乗っけた河童、その隣には二本足で立つまん丸い狸、さらにその向こう側には犬みたいな猫みたいな顔をした大きな口の化け物、毛むくじゃらの茶色い猿みたいなやつ、頭のてっぺんに角の生えた男に、巨大なネズミみたいな何か――


 なんだ、なんなんだよ、こいつら!

 妖怪? 幽霊? 化物?

 こわい、恐い、怖い!


 その時だった。


「え? 翔くん?」


 真帆ねぇの声がして咄嗟に顔を向けると、少し先の方に真帆ねぇの姿が見えた。


 真帆ねぇは目を丸くして、驚いたような表情で僕を見つめる。


「ま、真帆ねぇ……!」

 僕は思わず泣きだしそうになりながらその名を呼んで、

「ひっ――!」

 真帆ねぇのすぐ横に、ひときわ大きな人影が立っていることに気が付いた。


 まん丸い大きな眼。

 への字に曲がった大きな口。

 頭の上でお団子のように結んだ、変な髪型。

 そして、まるで木の幹のように太い腕や脚。


 ぱっと見はあの金剛さんみたいで、だけどその大きさは僕の知る金剛さんよりも全然大きくて――


 その金剛さんみたいな大男はぎょろりと僕を睨んできたかと思うと、のしのしとこちらに向かって近づいてきた。


「く、来るな、来るなぁ……!」

 僕はあまりの恐怖に後退り、大声を上げた。


 それでもどんどん近づいてくる大男に、僕は逃げ出そうと後ろを振り返って、

「――あっ!」

 バランスを崩して足を踏み外し、階段の下にふらりと落ちる。



 その途端、僕の意識は、ふっと途切れた。

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