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第3話

   3


 真帆ねぇと並んで田舎の道を歩く。


 僕たちは今、午前中に行ったお寺さんに、もう一度向かっているところだった。


 僕は深く帽子を被り、虫かごを肩から下げ、虫取り網を手にたらたらと汗を流していた。

 午後の日差しはとにかく暑くて、日陰を歩いていても大差ない。


 真帆ねぇはというと、この暑さの中を鼻歌なんか歌いながら、汗ひとつかかず涼しげだ。

 おまけに何が楽しいのか、小さくスキップしながら歩いている。


「暑くないの?」

 僕が訊ねると、真帆ねぇはニヤリと笑んで、

「暑いですよ。でも、心頭滅却すれば火もまた涼しっていうでしょう?」

 そう答えて、僕の先を歩き出した。


 そのあまりにも軽い足取りに、僕はたまらず、

「ち、ちょっと待って!」

 その背中に声をかけた。


 真帆ねぇは立ち止まり、こちらを振り向くとふふんっと鼻で笑い、

「仕方ないですねぇ」

 と言って、僕の右腕を手にとった。


 柔らかくてひんやりとしたその感触に、僕はどきりとして真帆ねぇの顔を見上げた。


「気持ちいいでしょ? 私、冷え性なんです」

「そ、そうなんだ……」


 気のせいか、ただ腕を掴まれているだけなのに、涼しく感じる。

 けどそれとは反対に、僕の体の中は、すごく熱かった。


 真帆ねぇは改めて僕の右手を握ると、

「じゃぁ、行きましょうか!」

 楽しそうに、僕の手を引っ張った。







 石段を登り、境内に入ると、セミの鳴き声がより大きくなったような気がした。

 その代わり、日差しが木々に遮られたせいか、少しだけ涼しく感じる。


 真帆ねぇは僕の手を離すと、口元に手を当てて周囲を見回し、

「確か昔、あっちの方によくカブトムシとかが止まっていたような……」

 そう呟きながら、ひとりですたすたと歩きだす。


 僕は慌ててそのあとを追って、二人一列になって藪の間を突き進んだ。


 こんなところにサンダルで入って、真帆ねぇは歩きにくくないんだろうか。

 草とか枝とか、なんかそんなもので怪我でもしたらどうするんだろう。

 真帆ねぇは気にならないんだろうか?

 そんなことを思いながら、僕は黙って真帆ねぇについていく。


 やがて何メートルか進んだところで、真帆ねぇは幹の太い木の前で立ち止まった。


「あぁ、ここです、ここです。昔、翔くんのお父さんたちと虫取りに来た時に、ここにたくさんのカブトムシとかクワガタとか、色々いたんですけど――」

 と真帆ねぇは木の周りを回りながらひとしきり虫の姿を探して、

「いませんねぇ。やっぱり、朝一じゃないといないのかな?」

 よくわかりませんけど、と僕の方に顔を向けた。


「午前中もそこらへん探してみたけど、どこにもカブトムシなんていなかったよ」

「そうなんですか?」

 真帆ねぇはう~んと小さく唸ると、

「あ、そうだ!」

 両手を叩いて、ジーンズの尻ポケットから何かを取り出した。


 紙のようなものに包まれた、小さなな丸い物体。

 何だろうと思っていると、真帆ねぇはその紙をぺりぺり剥いでいった。

 その中から、茶色くて丸い、飴みたいなものが出てくる。


「なに、それ?」

 と僕が訊ねると、

「飴です」

 と真帆ねぇは見ての通りです、と返事した。


「飴なんてどうするの?」

「舐めます」


 うん、だって飴だもんね?

 思わず突っ込みたくなったけど、僕はやめておいた。


 真帆ねぇはその宣言通り、口にその茶色い飴を放り込んだ。


 しばらくカラコロと飴玉を舐めていたけれど、真帆ねぇはおもむろに口に人差し指を突っ込むと、その指に着いた唾を木の幹にさっと塗り付けた。


「えぇっ!」

 僕はそんな真帆ねぇの行動に、思わず眉間に皺を寄せる。

「何してんの、真帆ねぇ!」

 そんな汚いことして、なんのつもりだよ、と言いかけたところで、ブーンと翅の音が耳に入った。


 僕のすぐ脇を黒っぽい物体が抜けていき、思わず「うわっ!」と叫んで真帆ねぇの腰にしがみつく。


「ほらほら! カブトムシが来ましたよ!」

 両手をぱちぱち叩く真帆ねぇの言う通り、見れば木の幹に大きなカブトムシが止まり、先ほど真帆ねぇがつけた唾を舐めている。


 え、本当に? すごい!


 しがみついていた真帆ねぇの腰から手を離し、僕はカブトムシを見つめる。


「なんで? 何なの、その飴?」


 真帆ねぇは腰に手を当てて胸を張りながら、

「この飴はですね、とある虫好きの魔法使いが、カブトムシやクワガタムシとか、そういうのだけを引き寄せる餌を作ろうとしたときの失敗作です。あんまりにもカチカチに固まりすぎて使いづらいからって、私にくれたんですよ。どうせ人が食べられるものだけで作ってるから、食べても害はないだろうって。なかなか美味しいですよ。翔くんも要りますか?」

 言ってポケットからもう一つ飴玉を取り出して、僕にくれた。


 僕はその飴玉を受け取り、真帆ねぇと同じように紙をぺりぺり剥いで出てきた飴玉を口に放り込む。


 うん、甘い。何だから昔ながらの駄菓子みたいな味だ。

 いつだったか食べた黒砂糖の飴みたいに素朴な味がする。

 ちょっと固すぎる気もするけど、でも、それだけだ。

 なんてことのない飴の味だ。


 ……

 ………

 …………?


 その飴を口の中でコロコロさせながら、僕は首を傾げる。


 今、真帆ねぇちゃん、なんて言ってたっけ?

 何か、ものすごく変なことを言っていたような気がするんだけど……?


「ねぇ、真帆ねぇちゃん」

 僕が声を掛けると、真帆ねぇちゃんは首を傾げながら、

「はい?」


「今、真帆ねぇちゃん、この飴を作った人が――」

「あ! ほらほら! また何か飛んできましたよ!」


 真帆ねぇが突然上空を指さして、僕はつられてそちらに顔を向ける。


「あれ、クワガタムシじゃないですか? あ、あっちはヘラクレスオオカブトムシ! すごい! なんでこんなところにいるんですかね。どこかから逃げてきたのかな? さぁ、翔くん、片っ端からとっ捕まえてやりましょう!」


 真帆ねぇは嬉々として木の幹に駆け寄ると、寄ってきた虫たちを捕まえていく。


「え、あ、うん」


 僕は何だか納得できないまま、渡されるカブトムシやクワガタムシを、次々虫かごの中へ収めていくのだった。

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