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なんてことがあった、その帰り道。
私は真帆さんにそそのかされて、例のお化け屋敷?の前に立っていた。
右手には真帆さんから渡された小さな紙袋を握り締め、背の高い正面の門を見上げる。
『――その時が来たら、開けてみてください』
その時とは、いったいどういう時なのだろう。
一応そう訊ねてはみたけれど、真帆さんは「ふふん」と微笑んだだけだった。
あの笑みは絶対に何か企んでいるに違いない、とは思ったものの、私だって歌声の正体が何なのか知りたい欲求がある。その欲求を私は優先させることにしたのだ。
私は首から下げた懐中時計に手をやると、チェーンの繋がるダイヤルスイッチを五分間に設定してから、かちりとそのスイッチを押した。
途端に辺りが静寂に包まれる。
真帆さんから借りた、一時的に人払いしてくれる魔法の時計だ。
私は辺りを見回し、確かに誰の姿もないのを確認してから背の高い古びた門をもう一度見上げた。
もし本当に幽霊なんてものが居て私を呪い殺したりなんかしたら、きっと明日の新聞やニュースでは『怪奇! 廃墟で美少女の死体発見!』とかなんとか報道されてしまうのだろう。
なかなか絵になるんじゃないかな、うん。
――いや、ないか。そもそも廃墟で死んだらいったい誰が私を見つけてくれるというのか。
せいぜい行方不明として捜索願なんてのが出されるだけだろう。
真帆さんが探しにきてくれるなんて思えないしなぁ。
そんなことを思いながら、私は小さく呪文を口にする。
まだまだ魔法使い見習いである私に使える数少ない魔法の一つ、風の精霊|(私はその精霊をまだ目にしたことがない)にお願いして、ちょっとばかりジャンプ力を上げてもらうのだ。
ふわりと身体が軽くなった感じがして、私はじっと門の上を見つめて高さを測る。
それからぐっと足に力を入れて、思いっきり地を蹴った。
けれど門を越えようとしたその瞬間、
「――うわわっ!」
門の上端につま先を引っ掛けてしまい、バランスを崩してそのまま門の向こう側の地面を転がる。
「いったたたた……」
その途端、耳元で微かに笑い声が聞こえたような気がして体の重さが戻るのを感じた。
まさか幽霊か! なんて思ったけれど、たぶん風の精霊か何かだろう、小さなつむじ風がどこかへ飛んでいくのが見えて、真帆さんほどではないけれど、思わず「ちっ」と舌打ちをしてしまう。
おばあちゃんから『風の精霊は自由で気まぐれで人をからかうことがあるから気をつけてね』って聞いてはいたけれど、まさか本当にからかわれるなんて。
見習いだからって馬鹿にしちゃって、嫌なやつ!
……まぁ、気を取り直して、屋敷に向かおう。一応、門は飛び越えられたんだし。
門から屋敷の玄関までは十メートルくらい、手前は東屋のある小さな庭と、かつては駐車場だったのだろう跡が見えた。
私は玄関前に立ち、そっとドアノブに手を伸ばす。
がちゃん、がちゃん。
――うん、まぁ、そうだよね。開いてるわけがない。
「さぁて、どこから入ろうかなぁ」
私は独り言を口にしながら、屋敷の周りをてくてく歩く。
荒れ果てた敷地内は草がぼうぼうで歩き辛く、ツタが壁を這っている箇所もあった。
こうやって近場で見ると、より迫力がある。いかにもお化け屋敷って感じだ。
やがて屋敷の裏手に差し掛かった時、勝手口と思しき小さな扉が見えた。
まぁ、開いているわけないよね。
そう思いながらドアのノブに手を掛け回してみれば、
――かちゃり
あ、開いちゃった……?
私はドアを開けたまま、その奥を覗き込む。
薄暗いその部屋は台所らしく、奇麗に片付いているうえに食器棚はそのままだし、薄汚れた冷蔵庫もあるし、ガスコンロも設置されたままで今だに誰かが住んでいるんじゃないかって思うくらい生活感が漂っている。
けれどテーブルや床の上に見えるうっすらと積もった埃が、間違いなく長らく誰も住んでいないのであろう事実を物語っていた。
私は恐る恐る中に入り、ちょっと悩んでから靴を脱いで上がる。
「お、おじゃましまぁす……」
小さく言ってから台所を抜け、その先の居間と思しき部屋へと向かう。
廃墟と言えばもっとぼろぼろで汚いイメージだったけれど、このお屋敷はまるでつい最近まで誰かが住んでいたような印象だ。
思ったよりも黴臭くないし、窓辺の両端にはくくられたカーテンがそのままになっている。
なんだかやたらと厚みのあるテレビと、それに向かい合うように置かれた二人掛けのソファ。
夕日に照らされた屋敷の中は、外の蒸し暑さとは対照的に何故かひんやりしていて涼しい気がした。
……いや、気がするんじゃない。事実ひんやりしているのだ。
なんで? どうして?
思わず周囲を見回せば、確かにエアコンが取り付けられているが、それが動いているわけでもない。
――いや、動いていたらどちらにしても一大事なんだけれど。
廃墟だと思ってたら実は人が住んでました、だとしたら私は住居不法侵入だし、逆に廃墟なのにエアコンが動いていたら、それはそれでホラーだ。
その時だった。
「――ひっ!」
どこからともなけあの歌声が聞こえてきて、私は思わず小さく悲鳴を上げてしまった。
なに? どこ? どこから聞こえてくるの?
――こ、こわい!
私は身体を縮こまらせながら、その歌声の出所を必死で探る。
それは居間の先の扉、暗い廊下の方から聞こえているらしい。
ど、どど、どうしよう! こ、怖い! 怖いけど気になる!
震える足を叱咤しながら、私はゆっくりゆっくりと、廊下の奥を覗き見た。
その歌声はどこの言葉かまるで解らず、けれどとても綺麗で清らかだった。
怖い、と思うのと同時に、何故か心安らぐような気さえする。
「だ、だだ、大丈夫! 絶対、精霊とか魔法的な何かに違いないわ!」
だって、あの真帆さんが含みのある笑みを浮かべていたのだ。
大丈夫、きっと、たぶん……
そう自分に言い聞かせながら、私はその暗い廊下を歌声のする方へじりじり歩いた。
途中、右手側に二階へ上がる階段が見えて、どうやらその歌声は二階から聞こえてきているらしかった。
なるべく足音を立てないように、ゆっくりと、ゆっくりと、階段を上がる。
二階に上がると左右に伸びる薄暗い廊下。僅かな明かりはその両端の大きな窓から差し込む夕日によるものだった。
部屋は左右に二つずつ、計四室。
そのうち右側一番奥の扉が開けっ放しになっていて、歌声はその部屋から聞こえている。
ちょっと荒くなっていた息を整えてから、私はその部屋へと足を向けた。
キシキシと小さく鳴る廊下の板。
バクバクと耳まで聞こえそうな心臓の音。
そしてあの歌声。
それらが交じり合う中、私はゆっくりと、その部屋の中を覗き込んだ。
「……これは」
そこは見たこともないような奇妙な雑貨ばかりが収められた――というか乱雑に置かれた物置のような部屋だった。
いや、全部が全部見たことがないような代物ばかりじゃない。いつぞや真帆さんに見せてもらった魔法の扇や大きな望遠鏡、瓶に入った人型の大根みたいな植物標本なんかもちらほら置かれているじゃないか。
「――なに、ここ」
もしかして、全部魔法の道具なんじゃ……
そう思った時だった。不意に目の前に大きな真丸い目が飛び込んできて――
「ぎゃぁあぁぁぁぁっっ!」
「きゃあああぁぁあっっ!」
二つの叫び声が、重なった。