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第6話

   ***


「さぁ、上がって」


 頬を擦りながら、神楽君は私を家の中に案内してくれた。


 神楽君の家に入ってまず最初に思ったのは、妙に薬草臭いということだった。薬草というか、ハーブというか、いったいこの家では何が行われているのだろうかと思ってしまうほど強烈なその臭いに、私は思わず鼻をつまむ。


「すごい匂いね」


「そう?」

 と神楽君はなんでもないふうに口を開く。

「うちのばあちゃん、薬草やハーブでポプリや薬を作るのが趣味なんだよ。あ、いや、仕事って言った方がいいか。一応、僕の学費もばあちゃんが稼いでくれてるんだし」


「え、そうなの?」


 私は目を丸くして驚いた。普通、学費を払うのは父親か母親だと思っていた。


「うん。うち、父親も母親も居ないんだよ。僕が小さい頃に死んじゃったらしくてさ。それからずっとばあちゃんと二人で暮らしてんだ」


「そう、だったんだ……」


 まぁ、世の中には色んな家があるよね。


 そう思っていると、

「あら、夢矢。そちらの可愛いお嬢さんは?」


 部屋の奥から、白髪の可愛らしい顔をした老婆が現れた。どうやらこの人が神楽君のおばあちゃんらしい。


「あ、あの、那由多茜と言います」


「あかねちゃんね。えっと――夢矢とはもしかして」


「うん、つい今から付き合い始めた」


 神楽君がそう答えて、私は思わず赤面してしまう。付き合い始めて数分後に家族に紹介されるのもきっと珍しいに違いない。何だか気まずいなぁ。


 おばあちゃんは「まぁまぁ」とこれまた可愛らしく言って、

「そうねぇ、夢矢ももうそんな年頃だものねぇ」


「はははは、ちょっと強引な告白を受けたけど」


 そう軽く笑う神楽君と、さっきまで廊下で慌てふためいていた神楽君がどうしても重ならず、私はちょっと首を傾げる。


 もしかして、さっきの私、遊ばれてたの? 実は慌てていたのは演技で、この軽く笑う余裕溢れる神楽君が本当の姿? う~ん、解らないわ。やっぱり狸なんじゃないかしら。もちろん、化かす方の狸じゃない方の意味で。


「ささ、座って」


 おばあちゃんと神楽君はダイニングまで私を案内すると、そう言って椅子を勧めた。


 私は遠慮なくその椅子に座り、すぐ隣の席に神楽君が腰をおろす。


 おばあちゃんはキッチンに向かうと慣れた手つきでお茶を入れ、私と神楽君、そしておばあちゃん自身の前にティーカップを置いた。そのお茶の匂いから、これがハーブティーである事がわかった。


「これも、おばあさんが?」

 私が問うと、神楽君は自慢気に笑いながら、

「そうだよ。うちのばあちゃん自慢のハーブティーさ」


「へぇ」

 と私は早速口をつけてみた。何だか不思議な香りの、だけど心が温まるおいしいお茶だった。


 一口飲むたびに、こう……

「五臓六腑に染み渡る感じ?」


「ぶふっ!」


 私の言葉に、神楽君とおばあちゃんが同時に噴き出す。


「な、なに? 私、変なこと言った?」


 私は本当に慌てた。何か間違った事を言っちゃっただろうか。


 神楽君もおばあちゃんも、咽ながら笑い、

「だ、だって、五臓六腑に染み渡るって、いったいいつの時代の人だよ。親父臭いなぁ」


「えぇ、そうかなぁ。うちのお父さん、お酒飲みながらいつも言ってるけど」


「お酒とお茶を一緒にしちゃだめよぉ」

 おばあちゃんも腹を抱えながらそう笑った。


 私は何だか、納得いかなかった。


 思ったことを正直に口にしただけなんだけどなぁ。


「あかねちゃんって面白い子ねぇ」

 おばあちゃんがくすくす笑いながら言って、神楽君に顔を向ける。


「でもねぇ、夢矢?」


 でも、何なんだろう。まさか、私たちの交際を認めないって言うの?


 しかし、それ以上おばあちゃんは何も言わなかった。


 ただ神楽君を一瞬物凄い形相で睨んだだけで、またさっきと同じ可愛らしい笑顔に戻る。


 それは本当に一瞬の事で、もしかしたら私の見間違いだったのかもしれない。


 それから私とおばあちゃんは他愛もない話を楽しみ、ふと気がついて私は時計に目をやる。時計の針はとっくに午後六時を過ぎており、私は『あぁ、そろそろ帰らなくちゃ』と足下に置いていた鞄に手を伸ばした。


 うちには門限があって、六時半までには帰らないといけないのだ。


「それじゃぁ、そろそろ帰りますね」

 私は言って、席を立った。


 するとおばあちゃんも「そうね」と言って席を立ち、

「あかねちゃん、これを持って帰りなさい」

 私に、小さなポプリを渡してくれた。


「え、いいんですか?」


「えぇ、是非持っていって頂戴。夢矢が迷惑をかけたお詫びにね」


「あ、いえ、迷惑だなんて」


 迷惑をかけたのはこっちの方だ。あとをつけたり、突然キスしちゃったり、後ろから抱きついたり。普段の私だったら到底考えられない事ばかりをやってしまったのだ。悪いのは私のほうであって、神楽君じゃない。恋って、なんて人を馬鹿にしてしまうんだろう。


「いいから」

 とおばあちゃんは微笑んだ。


「そうですか? それじゃぁ、ありがとうございます」


 私はお礼を言って、神楽君の家をあとにした。


 エレベーターを降りて、昨日神楽君が消えたあの道まで出る。


 そこでふと、私はマンションに振り返り、神楽君の家の部屋がある七階の突き当たりに眼をやった。


「――えっ?」


 私は目を疑った。


 そこにはやはり部屋などなく、ただ厚さ五十センチほどの壁があるだけだった。

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