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「アイシスはまだか?」
皇宮の玄関で、馬車の前で待っているオーエンが腰に手を当てながら大きなため息を吐く。出発の時間から一時間も遅れているのだから無理もない。
「まあそう言わないでやりたまえよ、マクリールくん。私のマ・シェリを君に預けるんだから、もっと寛大な心でいてもらわないと」
「あのな……。預けるも何も、この腕で何ができるって話だよ」
肘から先の無くなった腕でクイヴァの腕を叩く。
「まだ残ってるだろ、片方。それで頑張りたまえ」
「中々惨い事を言うじゃないか、クイヴァ」
オーエンの後任は、アルトカムで正式に騎士団が設立されるまでの間、クイヴァが着任する。引継ぎなどの細かい仕事を終えてから、彼女は晴れてアルトカムの正式な騎士として移籍する事になった。
「当たり前だろ、爵位返上までして帝都を出るんだから。君はもう何者でもない、ただのオーエン・マクリールだ。私より彼女と距離が近いのは気に入らないが、あちらからの提案ならあえて何も言わないよ」
「それはどうも。いずれ手土産でも持って訪ねよう」
くだらない話で時間を潰しているうちに、アイシスが急いで上着を片手にやってきた。ひどく慌てていて顔色も良くない。
「す、すす、すまないっ! 落ち着いて過ごせる時間が久しぶりだったから稽古場で遅くまで訓練していたら寝坊してしまって……!」
「ハハハ、騎士はやめたんじゃなかったのか?」
オーエンに笑われて、恥ずかしそうにアイシスはふいっと視線を逸らす。
「だってまだ、これしか生き方を知らないから……」
「なら、これから見つける旅って事か。面白そうだな」
「うん。すごく楽しみにしてるんだ」
「では行くとしよう。俺たちの新しい旅に」
エスコートするようにアイシスの手を取って、二人で御者台に乗った。幌馬車なのでオーエンは荷台に乗るはずだったが、最後くらいはしっかり皆の姿を目に映して別れたいという願いだった。
「お別れですね、クイヴァ。あなたに会えなくなるのは少し寂しいです」
「彼のようには接してくれないんだね、マ・シェリ」
「騎士には敬意を払います。これは譲れませんよ」
握手を交わす。大切な友人との別れは惜しいものだ。
「もし、オーエンが君に何かするようであれば、いつでも手紙をくれたまえ。また会えるのを楽しみにしているよ。……またね」
「はい! いつかまた会いましょう!」
見送りにはリーアムたちもやってきた。戦争の英雄。ウィスカ帝国と戦い、ウィスカ帝国を護った剣聖。かつては騎士で、今はどこにでもいる庶民。アイシス・ブリオングロードは、多くの人に愛されながら馬車を走らせた。
「不思議な気分だよ、アイシス。俺がまさか、お前と一緒に旅をする事になるなんて。……もう一度聞くが本当に良かったんだよな?」
「構わないよ。私は。もしかして、フェルトン卿の事を気にしてるのか」
図星だったのか、気まずそうに頬を指で掻いて視線を逸らす。
「俺が殺したようなものだ。お前にとっては出来の良い部下でもあり、親友でもあっただろう。俺は仇も同然だと思ったんだ」
実際、最悪の別れ方だった。最初はアイシスの命を狙い、それを庇ったフェルトンを皇帝に罪人として差し出した。普通なら到底許せるはずでない行為だが、アイシスはくすっと笑って空をみあげた。
「彼なら言う気がするんだ。『そういう時代だから』と。助けられるなら助けるし、助けられないなら助けない。それはたぶん、自分もそうだと思う。今の時代を嫌いながら、でも、否定はしない。仕方ない。彼ならそう考える」
短い付き合いだ。たった二十年と少しを生きたばかりの小娘にとって、フェルトンは歳に差がありすぎて話が合わない事もあった。だが、信頼できた。どこまでも芯の通った男である、と。
「……負けたよ。俺も友人としてフェルトンには負けてられんな」
「ハハ、皆違って皆良いと言うだろう。私は勝ち負けとか考えてないよ」
「だとしてもだよ。これは男としてのプライドって奴かも」
なんとも下らない感情だ。かつては彼ならば上司であっても構わないとさえ思った男が、今はいくらか憎らしい。それが隣にいる女のせいかどうかと自分に呆れながらも、悪くはない気分だった。
「ところでナミルまでは遠いぞ。最初にどこへ行くかは決まったのか」
「うん。途中に村がいくつかあるから、立ち寄るつもりだ」
「いいね。それじゃあ、途中のブルワークという村には寄ってくれ」
「知ってる村なのか?」
あまり帝都の外に出る印象のないオーエンが立ち寄りたいと言うので珍しく思った。ブルワークは極めて小さな村で、彼が「知り合いがいるんだ」と話した事が意外だった。
「なに、お前に会わせてやりたい人がそこにいるんだ。何日か前に手紙を送ったんだが、ぜひ会いたいと返事をもらってね」
「……? わかった、じゃあ最初はブルワークに行こう」
オーエンがひとり笑っているので不思議に思いながら、次の行き先は決まった。ブルワークで待つであろう、誰とも分からない友人の下へ────。