何を言っているんだ、と目を丸くした。アイシスは決してふざけて言ったわけではなく、かなり本気だ。一緒に行けるのは楽しそうだとニコニコする。
「お前、もしかして馬鹿なのか?」
「馬鹿とはなんですか。至極まともな意見かと存じます」
「裏切った男を傍に連れる事の意味がわかってるのか」
「政治的な思想の違いがあればそうなって当然でしょう」
ここまで実直な奴も珍しい、とオーエンは自然に笑みがこぼれる。
「……そうだな。お前がそこまで言うなら悪くない。だが片腕じゃ、お前の役には立てないかもしれない。むしろ助けられる事が増えると思うが」
「あなた一人助けられないでどうするんですか。私は大丈夫です」
これまで騎士として鍛えてきた。戦う以外でも、いくらでも役に立てる事はあるはずだと言うアイシスの根気に降参する。もうどうにでもなれ、と。
「わかった、行くよ。お前と一緒に」
「本当ですか! 嬉しいです、ひとりよりは楽しいですから!」
「……だがひとつ条件がある」
「条件? いいですとも、なんでも仰ってみてください」
きっとあこがれだったのかも知れない。堅苦しい世界でずっと息苦しい生き方を選んできた。そうしなければ、いつだって首を落とされてもおかしくない。誰かの目を気にして、いつも警戒心を抱いていなければならなかった人生。
そんなものとは縁を切る良い機会。アイシスと親睦を深めるためにも。
「敬語は禁止。そうでなければお前とは行けない」
「……敬語、ですか。性分もあるのですが」
「だがクイヴァは呼び捨てにしているじゃないか」
「あ。それは……なんでなんでしょう?」
「もう俺は帝国の騎士ではなくなる。お前もそうだろ、だったら対等だ」
「対等……。つまり、こうですか。私たちは友達だと」
それでいいか、とオーエンが頷いて気恥ずかしそうに頭を掻く。それで敬語をやめてくれるなら安い話なのかもしれない。アイシスもまんざらではなかった。
「友達。そうですか、友達……嬉しいな」
「そんなに嬉しいものかね? 俺には分からないよ」
「公爵は友達がひとりもいないからです」
「お前さらっと失礼な事言いやがったな……。まあいい」
こほん、と咳をしてから、手を差し出す。
「じゃあ、俺とお前はもう対等の関係だ。公爵と騎士団長ではない。ただのオーエン・マクリールとアイシス・ブリオングロードだ。悪くないだろ?」
握り返してアイシスは頷き、満面の笑みを浮かべた。
「ああ、そうだな! これからよろしく頼むよ、オーエン!」
「っ……あぁ、よろしく頼むよ」
こんなにも愛らしい表情をするのか、と意外だった。いつも何かを警戒する猟犬のような娘から飛び出した笑顔が魅力的に映ってしまった。
「と、とりあえず俺はまだ療養が必要だから、お前も少し休むか、体でも動かして来たらどうだ? 後で食事を摂るつもりだし、また夜にでも」
「わかったよ。では後で会おう、オーエン」
部屋を出ていく女騎士を見送り、ふう、とひと息つく。
「アイツ、あんなに可愛かったかな。……手紙でも書いておくか」
療養はさほど必要ない。体中の痛みは残っているが、動けないほど彼の体は弱くない。窓辺の机に向かって、引き出しから紙とペンを取り出す。
「(ここまで随分と長く感じた。だが幸いにも俺は置いていない。今後に出る支障はせいぜい、片腕があるかないかの違いだ。すぐに慣れるだろう。むしろ、あれに襲われて片腕で済んだ事は奇跡と言ってもいい)」
本当は皇帝など助けるつもりなどなかったのに、咄嗟に体が動いてしまった。なんの気まぐれか、それともただ本来の姿を取り戻した皇帝に対する敬意だったのか。そのいずれかであったとしても結論は変わらない。とにかく片腕は失ったが、ウィスカ帝国は望んだ以上に嬉しくなるような舵の切り方をしてくれた。
だったら、今後は構わないだろう。散々謀略に塗れ、多くの命を奪ってきた身であっても、そうしなければ生きていけなかった。だがこれからは。
「失礼します、公爵閣下。お食事の用意が出来ました」
メイドが尋ねてくると彼は振り返りもせずにわかったと返事をする。
「少し待ってくれたまえ、知り合いに手紙を書いているんだ。後で持って行ってもらわないといけない大切なものでね」
「……? わかりました、扉の前でお待ちしています」
もう何にも縛られないのであれば問題はない。久方ぶりに手紙を書くのは愉快な気分だ。いつもは誰かに代筆させて、自分は他に多くの仕事があったから。
「(さて、他に何か書く事はあったかな?)」
友人を連れて会いに行く旨だけを書けば十分だ。恋文でもあるまいし、と手紙を折りたたんで封筒に入れる。
「ま、今のリーアムならわざわざ追及もしないか。今後の帝国にとっても良い鄭安になる。俺の代わりになれるのは、あのジジイしかいない」
宛名を書いたら、後で出そう、とひとまず席を立った。
「アイシスには怒られるかな。いや、そうでない事を祈ろうか」
手紙の宛名には────『フェルトン・レイノルズ殿へ』と書かれていた。