◆
皇帝リーアムを中心に渦巻いた戦争は、娘のシネイド────現・モリガン率いる連合軍の勝利によって終わった。
モリガンの声明は『帝国へ今後、害を成すつもりはない』、『フィッツシモンズ領を新たな騎士の国アルトカムとして独立する事』、『ウィスカ帝国を通じて各国との良好な関係を築いていきたい』というもので、リーアムはこれに全面的な同意をするのに加えて、自らの失政を認めて退位。後継者には第三皇子が選ばれ──第一、第二皇子は逃げたので民の信頼を得られないと考えて──再出発を誓った。
それから三日が過ぎ、他国まで巻き込んだとはいえ根本的には親族の争いというのもあって、モリガン率いる連合軍は全員が滞在を許された。今は敵も味方もなく、むしろ死傷者を出したにも関わらずハーキュリーズとの戦闘では助ける者も多かったのもあって、今は健闘を称え合うほどでいがみ合う空気はなかった。
「おう、アイシス。昨夜はよく眠れたか?」
気さくに話しかけてきたのはアルインの公王、ネストルだ。堅苦しい雰囲気は取っ払い、互いに戦場を共にした友人である、と距離が縮まった。
「おはようございます、ネストル公王陛下。ぐっすり眠れました」
「そうか、そいつは良かった」
「忙しそうですが、何かあったのですか?」
「いんやあ、帰るところだ。儂らもいつまでも国を空けてられん」
戦も終わり、役目が済んだら後は帰るだけだ。愛する妻をいつまでも国に置いたままでは寂しかろうと冗談を言って笑い飛ばす。
「残念です。もう少し話をしたかったのですが」
「またいつでも訪れよ。お前ならいつでも歓迎するぞ」
「ふふ、ありがとうございます。また会いましょう」
固い握手を交わす。短い間とはいえ、ネストルとも強い絆を持てた。彼の豪胆ぶりには前向きな気持ちになれる。名残惜しさはありつつも、彼が再びアルイン公国に戻る事は喜ばしい事でもあった。
「(……さて、クイヴァを呼びにいかないと)」
昨晩は騒がしかった。連日開かれる宴ですっかり疲れ、町も穏やかな暮らしを取り戻し始めて──北門周辺のみアーシャのせいで遅れは出ているが──新たな皇帝の戴冠式の準備も着々と進んでいる。
そんな中、クイヴァがとうとう三日目にして顔を出さなかった。よほどの疲れが出ているのだろうと思って彼女の部屋へ労いも兼ねて訪ねるよう、モリガンに言われて向かっている途中だ。
「クイヴァ、いますか?」
扉を数度叩く。返事はない。もう一度叩こうとして────。
「ンだよ、朝から。二日酔いで頭痛いってのに」
出てきたのはエイレネだ。バスローブ一枚を羽織っているだけで、それ以外に身に着けているものはない。ぎょっとして慌ててアイシスが扉を閉めた。
「すっ、すすす、すみません! お部屋を間違ってしまって!」
何を閉めてんだとばかりにエイレネが無理やり押さえられた扉を開く。
「いや間違ってねえよ。ここはクイヴァの部屋だ」
「あれ? アイシス、朝から何かあったのかい?」
目の下に隅をつくった酷い顔のクイヴァが顔をのぞかせた。
「……な、あの、何かあったんですか」
「いやあ。寝かせてもらえなかったんだよ、この子の話聞いてたら」
夜が明けるまで話し続けられる、エイレネの旅の物語。あらゆる世界と戦場を駆け抜けてきた英雄の話は面白いとは思ったが、喜んでいるうちにそれがエイレネの快感に変わったのか、今に至った。
「大変でしたね……」
「とても。悪くはなかったけど」
「だろ~? クイヴァもオレと一緒に行かねえか?」
「遠慮させてもらうよ。私はそこまで頑丈じゃない」
これからフィッツシモンズ改め、アルトカムへ帰ってたくさんの仕事が待っている。勝利の余韻をいつまでも引きずっているわけにはいかない。エイレネは残念がったが、これは譲れないと彼女は旅の誘いを断った。
「そういえば、モリガンが会いたがっていたので呼びに来たんです。エイレネも一緒にいかがですか。あなたはアルインの傭兵とは聞きましたが」
「オレはめんどくせーから遠慮すっかなあ。公王陛下と久々に帰るとするよ。アルインには結構長い事帰ってねえからな」
あれ、とアイシスが小さく首を傾げた。
「それなら、さきほど公王陛下がそろそろ帰らなくてはならないと出発の支度を済ませていたようですが……」
「はっ!? なんなんだよ、あのおっさん! ひと言くらい声かけろっての、急がないと一緒の船に乗り遅れちまう!」
慌てて甲冑に着替えて走っていく姿をクスクスと笑って、クイヴァが「じゃあ私たちもモリガンのところへ行こうか」と着替えるのを少し待っているように言って部屋に戻り、五分と経たないうちに準備を済ませた。
「待たせてしまったね、マ・シェリ。退屈だったろう」
「いえ。モリガンが首を長くして待ってますよ」
「ハハハ、そうだね。んん~っ、やっとひと区切りって感じだ」
「私もそう思います。これからアルトカムに期待です」
「そういえば君もアルトカムで暮らすのかい?」
元々帝国騎士団をやめようとしていたのだ。アルトカムは騎士たちが人々のために在る国として創られるモリガンの理想郷とも言える。その意志に剣を掲げ、共に戦ったアイシスならば一緒に来るだろうか。そう思って尋ねたが、クイヴァの言葉に彼女は気まずそうに笑って答えた。
「私はやめておきます。先にやりたい事がありますから」