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第41話「鉄拳」

 瞬きはしていない。だが、ふわりと羽根が風に吹かれたように軽やかに、加速的に間合いは詰められた。アイシスが反応できたのは、彼が動き出して大柄で鋭いナイフを振り抜く瞬間。視覚に頼らず、ただ研ぎ澄まされてきた戦闘経験が異常とも言える反応をみせたが、ナイフを受けたときに理解する。────この男は、手を抜いていて、この強さなのだと。


「っ、あぁっ……!?」


 振ったのはナイフなのか。疑問に感じてしまうほどの威力。受け止めたが、剣は耐えても体は強い衝撃に耐えられず押され、体は小さく浮く。想像を超えた重みに吹っ飛んで床を転がった。


「っう……く……うぅっ……!」


 立ち上がろうにも全身に力が入りきらない。賢者カラノス。四大騎士、英雄たちの末裔。覚醒とはこれか、とようやく理解する。ただ勝てないといった話ではない。そもそもから存在が人間を遥かに超越しているのだ。


 であれば当然、小さなスズメがワシに挑んで勝てるはずもない。


「おいおい、冗談キツいぜ~。同じニオイを感じたから遊べると思ったのに、大した事ないねえ。これならアーシャともう少し楽しんでおくべきだった」


 残念がって、カラノスはわざとらしく肩を竦めながら言う。


「何でアーシャがお前を守ったんだろう、って疑問に思ってたが、なるほどね。こりゃあ期待を裏切られた。あんたに釣られて損しちまったよ」


「あ……う……アーシャは、どうしたのですか……!」


 ふらふらと立ちあがる姿にカラノスが目を丸くして手を叩く。


「驚いた、まだ立てるんだな。アーシャなら大丈夫、片腕を斬り落としてやっただけだから死にはしないよ。ただ腕が鈍ってたのは残念だ」


「貴様、よくも……!」


 肩で息をする。一撃でこのザマでは到底勝てない。それは分かっていても、ここで立たねば騎士ではないはずだと必死に闘士に縋る。まだ倒れるな、まだ死ぬな。仲間が生き残る最後まで立っていろ、と我が身に吠えた。


「ハッ……。気が強いのは師匠譲りか、あんな戦闘狂に習ったのが間違いだったな。そこで倒れてりゃあ、あんたは助けても良かったんだがね」


 再びナイフを握りしめる。今度は確実に仕留めてあげよう。せめて苦しまずに殺してあげよう。絶望に打ちひしがれる様を最期に映してあげよう。ああ、だから戦いは興奮するんだ。カラノスがぶるっと震えて、一歩踏み出す。


「さあ死のう! 俺のために美しく死のう!」


 振るったナイフが────。


「甘えのう……。そう簡単に殺させるかい、この吾がよォ」


 防がれた。じりじりと押してはいるが切り裂けない鋼鉄の槍を前に。


「アーシャ! なんだ、片腕もないくせに強がっちゃって!」


 片腕は肘から先がない。紐できつく縛りあげているが、ぽたぽたと血は垂れ続けて、とても危険な状態だ。それでも彼女は全力で城まで追い縋り、彼の後ろにある瓦礫へ目を向けた。


「(公爵は……なるほどのう。皇帝は腰も抜けて立てぬときたか)」


 状況は悪い。もしカラノスが僅かでも不利な展開になれば、それを覆すために皇帝へ刃を向けてしまう。それだけは許してはならない。手を組んだ以上、モリガンへの盟約を果たさねばナミルの民がすたる。


「アイシス、吾が少しでも時間を稼ぐ! 皇帝を連れて逃げよ!」


「し、しかしそれではあなたが……!」


「構わぬ! たとえ死すとも本望。それがナミルの大英雄じゃ!」

 二人に近づかないよう、離れて迂回するように皇帝の傍へ向かう。胸が詰まりそうな想いだった。目の前にいるのは、帝国からの独立を目指すモリガンの意志のためにわざわざ死を選ぼうとする、他国の英雄。いずれは戦う事になるだろうと誓った相手が、他国の人間のために命を捨てようとするのは心苦しかった。


「なあ、やめようぜアーシャ。まだお前を殺したくない」


「抜かせ、変態。吾が死体になってくれた方が助かるんじゃろ?」


「……なんだ、俺が死体とヤる趣味だって知ってんのか」


「おうとも。てめえはいつだって嫌な臭いがプンプンしとるからのう!」


「ちっ、だったら、せめてもう怪我せずに死んでもらうしかねえよな。首から上がないと興奮できねえんだ。ただの死体じゃ燃えなくてよ!」


 現実離れした激しい打ち合いは、思わず目を引かれる。逃げるべきはずのアイシスも、皇帝も、二人の戦いに釘付けになった。


 だが、徐々に優劣が現れる。片腕を先に落とされているアーシャは、動きが段々と鈍くなり、カラノスの動きについていくので精一杯だ。


「どうしたどうした、随分としんどそうだな?」


「やかましい! 吾に軽々しい口を叩くんじゃないわいのう!」


「ハッ、弱い奴が偉そうにするなよ。あんたの町じゃ強い奴が正義だ」


 ついに捉えられた。アーシャの抵抗も虚しく、腹部に入った強い蹴りに怯み、その隙に槍は取りあげられて遠くに投げ捨てられてしまった。


「決着は付いたな。さ、弱者は強者に喰われるもんだ。それがナミル流って奴だろ? 別に死体じゃなくたって、あんたは抱いてみたいと思ってた。────命令には従うべきだぜ、じゃねえと他の連中が肉の塊になっちまう」


 膝を突き、もはや戦う事も厳しい状態のアーシャは、ぺっ、と血のツバを吐いてカラノスを強く睨む。こんな下衆が、どうしてここまで強いのかと憎む。


「わかったわいのう。従ってやるしか────」


「その必要はねーぜ、ナミルの姉御! オレが来てやったからな!」


 驚くべきは、その速度。突風のように現れ、降り注ぐ火山の岩の如き重い一撃。咄嗟に反応できても、その破壊力ある鉄の拳に耐えられず、顔に向けられたのをカラノスが腕で防いだところで骨は簡単に砕け、衝撃が貫通する。


 投石器で投げられてもそうはならないだろうと思うような吹っ飛び方で壁をぶち抜き、城の遥か遠くへ吹っ飛んだカラノスは、町を囲む城壁にぶつかった。眺めていた全身甲冑姿のすらりとした背の高い騎士が額の上に手を添えながら笑う。


「ヘッヘッへッ……こりゃ随分飛んでっちまったな?」


 驚く彼らに振り向き、沈黙をものともせず騎士はアイシスに親指を立てた。


「よう。ちょっくら恩返しにきてやったぜ、レディ!」

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