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第40話「生き残ってから」

 もう戻れない。戻らない。過去は全て置いていく。今の自分は剣聖として、帝国の剣ではなくモリガンという新たな仲間のために戦うのみ。心に誓ったのだ。かつては栄光と共に輝かしい帝国の未来を誓い、今度はもっと穏やかな暮らしをしてみたいとがって、それも潰えた。やはり自分に性に合うのは戦場だ。だが、剣を振るうのは帝国のためなどではなく────。


「冗談が上手くなったな、ブリオングロード。いつも訓練では俺が負けていたが、今日はどちらが勝つだろうな!?」


 稽古ではクイヴァやフェルトンに続いて多く手合わせをしてきた男。互いに手の内は読めていても、どちらが抜きんでた才能を持つかと言われれば、天秤はアイシスに傾く。だが決してオーエンも手を抜いてきたわけではない。時間があれば常に訓練に身を費やしてきたのだ。強くなったアイシスでも簡単には勝てない。


「(悔しいが、強い……。私とクイヴァの抜けた穴を一人で埋めるだけの実力はある。これまで一度だって本気で戦う姿を見なかったが、こうまで強いとは。────だが、それでも私の方が確実に強くなっている)」


 オーエンの背後に霞む、いずれは戦うであろう敵であり味方の姿。どこまでも小馬鹿にしてきて、かといってなおざりに扱ったりはしない。ひとりの騎士として、戦士として、たとえ敵に回る相手であっても共に肩を並べるのであれば仲間だと、徹底的に鍛えてくれた。だからアイシスは心からの信頼を向けられた。絶対的な強者の指導にも耐えられた。たかが公爵に負けてなどいられない。


「────そこまでだ、二人共。もうよい」


 突然、ぴしゃりと皇帝の制止があって、二人は剣を交えたまま固まった。驚いたのはアイシスもそうだが、公爵はそれ以上に意外だと振り返った。


「なにをおっしゃるのです、陛下……。ここまで戦っておいて、いまさら武器を下ろして投降するなどとは言わんでしょう?」


「オーエン、もうよいと言ったのだ。そなたで勝てる相手ではない」


 誰もが自分たちの信念に誓って戦っている。リーアムも分かっている。自分が恐れている事の何がいかに愚かであるか。それを踏まえたうえで、これまで生きる事に執着してきた。だが、目の前で、自分か、あるいは自分の娘の道を守るために戦う二人の騎士を見ているうちに思い出したのだ。ウィスカ帝国が繁栄し続けてきた中で、自身が若き頃に何を成そうとしていたのかを。


「……余は死ぬのが恐ろしい。今にして思えば権力に取りつかれていた。否、今もそうである。余は死ぬのが恐ろしい。今を手放すのが恐ろしい。誰しもがそうであろう。オーエン、そなたもそのはずではないか」


「はっ? お待ちください、何を話されているのか見当も────」


 言葉を遮るようにオーエンが首を横に振った。


「余は暗君か、あるいは暴君であろう。そなたらの目にはそう映ろう。そして、それは間違いではない。だが決して、どこまでも愚かなだけではない。余の耳はまだ獣のように使い物にはなる。それでもリスクを背負って、余の騎士として死ぬのでは、そなたにとっては不名誉に他ならないはずだ」


 マクリール公爵はモリガンと手を組んでいたが、それは帝国を欲したがためではない。第三皇子という弱き者を矢面に立たせ、帝国を存続していく事にあった。どちらが勝っても、自分は始末される。逃げ道など最初からない、と観念して玉座でそのときを待っていたにすぎない。


「余の首を獲れさえすれば良いのであれば、アイシス・ブリオングロード。そなたが持っていくがよい。公爵の処遇は、寛大な我が娘が決めよう」


「……皇帝陛下。私はあなたの首が欲しくて来たのではありません」


 望むのはあくまでモリガンの望む通りの道を拓く事。彼女の願いは『皇帝の確保』であり、殺害ではない。むしろ逆だ。


『出来る事なら父には、穏やかに暮らしてもらいたい。余が小さかった頃はもっと優しかった。死んだ事にでもすれば、あの人も納得しよう』


 兄弟は若い。牙を剥く事など考えれば、到底看過のしようがない。野放しにするにしても常に監視を置くのが絶対条件として、一方、父であるリーアムは好き勝手できるほどの歳でもあるまいと笑い飛ばしていた。


「フ……。あの娘は我が子の中でも、最も聡明だ。だからこそ恐ろしかった。この手で葬ってしまおうとした。だが結局は、あれに負けてしまったな!」


 からから笑う姿が親子ともそっくりだな、とアイシスも頬が緩む。剣を降ろして、もう戦う意志がないのであればわざわざ牙を剥く必要もあるまいと鞘に納めた。オーエンも同じく、戦う理由がなくなったなら、と剣を仕舞い────。


「じゃあ俺たちはもう仲間ってわけだ。苦心したよ、お前たちを裏切っておいて、俺まで殺されるんじゃないかとヒヤヒヤしてたんだが」


「フ、今のあなたならいつでも殺せます」


 オーエンがムッとするのを横目にアイシスは自信ありげな笑みを浮かべる。


「では皇帝陛下、私たちと共に来て頂きたいので、こちらへ────」


 直後、横で眺めていたオーエンが突然、天井を見上げた。妙な振動。ひび割れ。何かが突き破って落ちて来ようとしているのを察して、彼は咄嗟に動く。


「陛下、危ない!」


 衝動的に前へ出て、それからリーアムを突き飛ばす。突如として崩れた天上の影が、オーエンに降った。後悔も、別れの言葉も、交わす間もなく潰れた。残酷に、凄惨に。アイシスも絶句してしまうような光景。


「あ~あ~、何をぬるく語らう暇があるんだか。そういうのは生き残ってからやるんだよ、生き残ってから。あ、悪い。もう死んじまったな?」


 ずれた眼鏡を人差し指でくいっと持ちあげてから、歪に微笑む男。咽そうな血の臭いを纏いながら、彼はアイシスを冷たく見た。


「じゃあ、ちょっと遊ぼうか。主演女優が来るまでな」

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