広い前庭で待ち構えていた大勢の騎士たちとの交戦が始まった。幸いにもハーキュリーズの裏切り行為によって、既に疲労困憊な者も多い。倒れる死体の数は数えきれない。アイシスとクイヴァは、その中を突っ切った。
一般兵士などものともせず、立ちふさがった何十という騎士たちには無駄な体力の消耗を抑えながら猛攻を掻い潜り、閉ざされた皇宮の分厚い二枚扉を二人で思い切り蹴り破って侵入した。
「ここからは手分けだ、後は頑張って!」
「はい、必ず生きて合流しましょう!」
それぞれ背負った目的のために無事を祈って駆け出す。
待ち構えていた騎士たちの多くはブリギッドで占められた。彼らは貴族出身で、別名が『お飾り騎士団』とも密かに揶揄されるほど戦闘は不得意だ。身分もそれなりなので、自分たちは最も護られた皇宮で待機。侵入者が来ても、帝都の防衛線で戦い、前庭で疲労困憊になるであろう敵だけを討つといった楽な仕事。ただし、相手がよほどの傑物でなければの話だが。
「数に物を言わせるだけの烏合の衆……。逃げるなら逃げなさい、わざわざ貴方たちの相手をしている暇はないのです」
アイシスがにじり寄るだけで、彼らは武器を構えはするものの臆病にも腰が引けていて、戦う気は半ば失せている。いくらか返り血を浴び、自身はほぼ無傷という百戦錬磨の元アリアンロッド騎士団の団長を務める実力者を前に、彼らは死にたくないと小声で零しながら震える事しかできなかった。
そうして彼らを退け、不遜にも背中から襲い掛かって不意を討とうとした何人かが犠牲にして差を見せつけたら、謁見室へ急ぐ。
「おおっと、そこまでだ。待ちな、元団長さん」
「……アリアンロッド騎士団。最終防衛線というわけですか」
皇帝が逃げるための時間稼ぎにしか過ぎないが、彼らはアイシスを討ち取れば褒賞が出ると聞いて、やる気に満ち溢れている。
「規律、規律と口うるさい団長様の居場所はもう此処にはない。たったひとりで俺たちを相手に何が出来るのか、教えてもらえますかねえ?」
武闘派のアリアンロッド騎士団。どの騎士たちよりも荒くれ揃いではあったが、アイシスという箍が外れた今、彼らはごろつきとそう変わらない。金の為なら汚れ仕事だってするし、ブリギッド騎士団に喧嘩を売られれば、あっさり買って揉め事を起こすなど落魄れてしまっている。
彼女の愛した騎士の姿など、どこにもなかった。
「そうですか。では貴方たちと対等に接する必要はありませんね。────退け、私の道を塞ぐというのなら、命の保証はしない」
ぎらつく瞳に腹を立てたアリアンロッドの騎士たちが吠える。
「生意気な奴だ! いくら強かろうが人間には限界ってもんがあるんだよ、それを分からせてやるぜ、元団長様よォ!」
一気に片をつけようと詰めてくる騎士たちを前に、アイシスは剣を構えず深呼吸をする。わずかな期間でアーシャから教わった事を思い返す。
『良いか、変に構えなくていい。突っ込んでくる馬鹿がいりゃあ、最小限の動きで仕留めるんじゃ。流れを見極めて、確実に討て。吾が相手では無理じゃと? ハッ。甘えるでないわ、小娘が』
一振り。わずかに身を逸らして、二振り。次から次へ襲い来る騎士たちを仕留めると、後続が二の足を踏む。今のアイシスは団長であった頃以上に強く、アリアンロッドの騎士と言えども、彼女の前に立つには実力不足だ。
「くっ、囲め! 正面から堂々と行くから────」
躊躇っているときが大きな隙。今度はアイシスから踏み込む。一瞬の出来事に混乱を招き、さらに数人を斬り伏せた。
「二度は言わない。私の前から消えてくれ、死にたくないのなら」
命は誰だって惜しい。掠り傷ひとつ負わない剣聖と呼ばれる騎士を相手にして、生きて帰れるとは誰も思わない。だから踏み出せない。じりじり距離を取って警戒するだけに留め、彼女が謁見室へ入るのを見守るしかなかった。
「やはりここまできたか、アイシス・ブリオングロード」
静かな謁見室の玉座には皇帝が座っていて、オーエンが彼の前に立つ。皇帝の剣であり盾として守護者という大きな壁として立ちはだかった。
「逃げておられなかったのですね、皇帝陛下も、公爵閣下も」
「余は逃げぬ。我が子は逃がしても、余が退く事は許されないのだ」
アイシスは感心する。皇帝リーアムは臆病な性格だ。自分の命を脅かす者があれば、これを即刻排除して安心感を得ようとする。だが彼は玉座で待った。もしオーエンが負ければ自らも死ぬと分かっていながら、彼女を前に震えさえしない。
「腐っても皇帝というわけですか、リーアム。その美しい精神がありながら、なぜ人々と手を取り合う事ができないのです」
「問答に意味はない。政治はチェスではないのだ、アイシスよ」
リーアムは強く決意の籠った眼差しを向けた。
「取り繕った人の好い態度を見せて、隙あらば首を獲りあう。それが国家間における政治というものだ。民の思想が様々ならば、国とはさらに複雑だ。だからこそ、余は我が子であろうとも、一度掲げたものを下ろす事は許さぬ。そう、自らが宣戦布告したのだ。我らはひとつの国家であると、あの娘が」
話すうち、オーエンが剣を抜く。アイシスもまた構えて────。
「モリガンは違います。彼女は受け入れる道を行く方。なれば私は、あの方のために剣を掲げましょう。────お覚悟を、皇帝陛下」