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第37話「開戦の一番槍」

 帝都は既に騒然とした状況だ。既に各門は閉ざされ、南門周辺に位置する貧民街へ帝都の住民は避難を済ませている。各門と城へ繋がる大通りにはハーキュリーズの精鋭が配置され、帝国軍との連携も取れる状態にある。


 すべてが十全に管理された中での、ナミルの民総勢五百名の突撃。その先頭を早馬で仲間を置き去りに駆け抜けるのがアーシャ・ハサン。ナミル最大の戦力であり、最強の戦士。『勇槍』の名を世に刻む者。


 北門に着いたオーエンが、即座に兵士へ指示を送った。


「射程圏内に入ったら弓を放て! 後続の兵ではなく、あの先頭を走る女の戦力を少しでも削ぐんだ! 騎士たちは門周辺で待機、敵を通すなよ!」


 鍛え抜かれた五百の兵も、帝国の訓練を重ねた兵士たちに加えてハーキュリーズの精鋭がいれば、いくら腕利き揃いでも突破は易くない。否、そうさせない。たとえモリガン・フィッツシモンズ率いる連合軍が駆け付けたとて、オーエンは『賢者』という切り札を握っている。問題はない────はずだった。


「弓兵隊、構え────ッ!?」


 激しく駆ける馬の背でバランスを保って立ちあがったアーシャの姿が、帝国兵たちの度肝を抜いた。片手に槍を持ち、ぐるりと回して構え────。


「帝国の弓兵如き、何するものぞ! 吾がどこの誰であるかを思い知らせてやろう!────我が一番槍の輝きを見よ!」


 逆手に持って構えた槍を全力で投げた。風を巻き込み、城壁に直撃すると、大型の投石器をも超える破壊力で閉じられた鉄の門を固定する城壁ごと吹き飛ばす。待機していた弓兵の大勢が、崩落に巻き込まれた。


 とても信じられない現実離れした光景。飛んだ鉄扉や瓦礫が、今か今かと待っていた大通りの兵士たちを蹴散らすのは、まるで地獄だ。


「……ばかな。これがひとりの人間に出来る事なのか……?」


 現実を侵食する悪夢。人生で体験するはずのない出来事。たった一本の鉄槍で、たったひとりの人間が、ただの一度で分厚い帝都の門を砕き、あまつさえ大勢の兵士を一瞬で葬った。それだけで皆が戦意を失い、恐怖する。


 オーエンも理解ができない。いくらかみ砕いた考え方をしても、追いつかない。四大騎士の称号こそは、強き者に与えられる名誉でしかないと思っていた。だが、目の前にあるのはなんだろうかと考える。結論は容易い。あれは四大騎士のひとりを体現する怪物なのだ、と。


「くははははっ!! 突撃、突撃ィ! 吾の前にひれ伏すがいい、雑兵共! 死にたくなければ伏せていろ、死にたい奴から武器を取れ!」


 アーシャ・ハサンを先頭にナミルの軍勢が雪崩れ込む。その場にいて剣を取って前進したのは、帝国騎士団の面々のみ。兵士たちはあっという間に臆してしまい、戦意を捨てて降伏を選んだ。


 呆然と立ち尽くすオーエンの前に、アーシャが立った。


「なんぞ、呆気に取られるとは。てめえはそれでも将か?」


「この現実離れした光景を前に、無理があるだろう」


「であれば、その握りしめた剣を捨てよ。無意味に争う理由もあるまい」


 そうだ。捨ててしまえばいい。振るえば助からない。たった五百の軍勢相手に劣勢。そして、まだ遅れて到着するであろうモリガンの連合軍がある。とても守り切れるわけもないのだから────。


「……いや。それでも俺は騎士として帝国にいる。ここで退くつもりはない。愚かだと罵られようとも、ここが俺の生まれ故郷であり墓場だ」


「カッカッカ! そりゃあええわいのう!」


 大笑いする彼女の背後から斬りかかる騎士がいる。オーエンが、その姿にマカオンだと理解するまで時間はかからない。


「閣下、お逃げください! この者は私が────!」


 時間を稼ぐとでも言いたかったのだろう。だが、そんな事が極めて普通の人間である彼に出来るはずもない。アーシャは振り向きもせずに、一歩下がって躱し、マカオンの背後を取ると脇腹を蹴った。


 甲冑を着た人間の体が、軽々と、まるでボールでも蹴ったように浮いた。体が歪に折れ曲がり、近くの建物に激突して壁を打ち破って転がった。


「おう、加減を間違えたかのう。────死んでしもうたわ」


 悪魔のような表情。目が合うだけで全身が凍りつきそうだった。


「人間じゃ……ないのか……お前は……?」


「生憎と。闘争においては情も持ち合わせてはおらぬとも」


 古くは百年以上も昔から、ナミルの民がひとたび闘争の中にあれば、戦場は老人から赤子まで容赦なく血に染められた。アーシャは歴代の首長と比べれば些か優しさや敬意を持ち合わせてはいるが、それでもやはり慈悲はかけなかった。


「吾は侵略者である。ウィスカ帝国の現状を憂い、モリガン・フィッツシモンズの名誉のため槍を掲げる戦士である。なればこそ恨みは買おう。いくらでも呪うがいい。ただし、死を覚悟せよ。それが吾らに牙を剥くという事じゃ」


 ひとりのナミルの民がアーシャのもとへやってくる。何か話の途中かと一瞬戸惑った様子を見せたが、振り返った彼女に敬礼を向けた。


「北門よりアイシス・ブリオングロードとクイヴァ・マッカラム、到着いたしました! これより大通りを抜けて城へ進軍を開始します!」


「うむ、既に道は切り拓いた。公爵も吾が足止めをして────」


 大通りに、空から、いくつもの巨大な影が覆う。岩だ。大きな岩が、空を飛んできた。誰もが言葉を失ってただ見あげる。時間がゆっくり流れる。どうなるかを理解するまでの過程があって、理解したときにはもう遅い。


 降り注いだ大岩が敵味方入り乱れる戦場を踏み潰す。


「……来よったな、化け物めが」


 オーエンとアーシャの傍には岩が落ちてこなかった。先ほどまで聞こえていた剣戟と怒号が、今は悲鳴で騒然となっている。


 その場に、ゆらゆらとした奇妙な足取りでやって来る男がいた。


「あらら、全員仕留めたと思ったのに勢いよく投げすぎたかな。俺とした事が随分とまあ、久しぶりの戦場だから気合入れすぎちゃったよ」


 無精ひげに眼鏡を引っ提げた中年の細い男。目はやや虚ろ気味だが、ニヤニヤと気色の悪い笑みを浮かべながら公爵の隣に立った。


「大丈夫かい、公爵閣下。立てる?」


「……お前、どういうつもりだ! 帝国の騎士たちを巻き込んで、ハーキュリーズの賢者ともあろうものが何の理由で────!?」


 立ちあがって胸倉を掴んで叫ぶオーエンをうんざりしながら目を逸らした男が、くすっと鼻で笑って小馬鹿にする。


「そうカッカしなさんな、兄さん。どのみちナミルの民相手じゃあ帝国の騎士風情で勝てるはずもねえよ。バケモンに鍛えられた連中だぞ?」


「だがお前なら、その被害を減らせたはずなのに……ッ!?」


 胸倉を掴む腕を、男が握った。軽くだ。それなのに折れそうだった。


「さっきのは忠告だぜ、二度目はねえ。苛立ってんじゃねえよ、冷静になれや。オタクがやるべき事はネズミとネコみたいに仲良く喧嘩する事か?」


 鋭い殺意の籠った視線にオーエンはゾクリとして手を放す。もしかすると腕を折るだけではすまなかったやもと思いながら舌打ちをしてアーシャを見る。


「なんじゃ、吾は構わんぞ。行きたきゃ行け、小僧」


 どのみち相手が相手だから、公爵は見逃さざるを得ない。そもそもオーエン・マクリールだけは殺してはならないと命令を受けているので、アーシャは最初から彼とまともに戦うつもりなどなかった。


「……ではそうさせてもらおう。任せたぞ、賢者よ」


 オーエンが背を向けて城へ走っていくのに男は手を振った。


「じゃあな、公爵閣下。せいぜい頑張んなよ~……っと。久しぶりに会えて嬉しいぜ、俺のアーシャ!────景気よく遊ぼうじゃないか」

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