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第34話「血を継ぐ者」




 アーシャ・ハサンの特訓は、それはもう筆舌に尽くし難い厳しさだった。特にアイシスは、木の棒とはいえ幾度となく思いっきりに打たれた。全身を痣だらけにして、流血もあった。


 普通の人間ならば諦めておかしくない。厳しいのひと言では済まないだろうとクイヴァが口を挟んだりもしたが、アイシスは決して諦めなかった。何度も立ち上がってはぼろぼろになり、心配されても大丈夫の一点張りで特訓を続けた。


 たった三日なのだ、アーシャほどの強者から手解きを受けられるのは。短期間で強くなるためには、休憩する数分さえ惜しんだりもした。


「……もう一度お願いします、ハサン殿!」


「アーシャで良いと言うたじゃろ。いい加減覚えんか」


 こつん、と棒で頭を叩かれる。


「痛いっ! 思ったより痛いです、ハサ……アーシャ!」


「次に間違うたら、気絶するほど叩き込んでやるわいのう」


 からから笑っているが冗談ではない。本気でそうするつもりだ。


「二人共、もう外はすっかり夜だ。そろそろ休憩した方が良いんじゃないのかい? それに首長殿も明日には帰国するんだから────あいたっ!?」


 クイヴァまで木の棒で頭を叩かれた。


「てめえらは何度呼び方を指導すれば覚えるんじゃ、馬鹿なのか? 吾は吾の連れ立ったナミルの民以外で敬称を付けるのは許しておらぬと言うたろ」


「ご、ごめんなさい……。それよりさっきの話なんだけど……」


 呆れながら、棒を床に転がした。アイシスとクイヴァがホッと胸をなでおろす。また叩かれるんじゃないか、とヒヤヒヤした気持ちから解放された。


「そうじゃの。どうせここから伸びたとて僅かばかりの差。焦らず傷を癒すが良い。吾は先んじて我が臣下と共に帝都へ攻め入る準備を済ませよう」


「本当に帝国を相手に戦う日が来るのですね」


 既にコノールを襲撃されたモリガンが、黙って指をくわえて見ているわけにはいかない。犠牲を覚悟して帝国の皇帝リーアムの失脚を狙わなければ、どこからも腑抜けだと言われて見放されてしまう。彼女が目指す新たな騎士の国を建てるためには、反撃に打って出る必要がある。


 そのための遠征は、既に数日後へ迫っていた。


「うむ、吾の特訓に耐え抜いたてめえらには話しておいてやろうか。誰も入って来ぬように扉に鍵を掛けよ。ここからは女子三人の内緒話じゃ」


「……女子ですか?」

「……女子だって?」


 訝った視線がアーシャに集中する。何しろ彼女は見目こそ十代後半ほどだが、実年齢は五十歳。それなりに経験を積んできた歳なのだ。


 彼女が黙っておもむろに棒を拾いあげると、アイシスとクイヴァはまた叩かれると思って大慌てする。


「じょ、女子ですね! 間違いない、女子です!」

「まったくだ! 皆うら若き乙女だよ、本当に!」


 その様が可笑しかったのか、くすっとして棒を床に突き立てて腕に抱えるように持った。いつ叩いてやろうか、と内心で楽しみにしていた。


「フッ、まあ良いわいのう。吾は少々、他人と歳の取り方が違うゆえ、紛れもなく乙女であるぞ。ところで内緒話じゃがのう」


 瞬きをしただろうか。否、アイシスもクイヴァも目を離していない。だが、いつの間にかアーシャは稽古場に置かれた椅子に座って足を組んでいる。


「吾は四大騎士の血を引く者。人ならざる領域に片足突っ込んどる。我が祖先は『勇槍』と呼ばれた。ゆえに吾こそは正統なる後継者。知る者など誰もおらぬがの。血は覚醒して初めて、新たな領域へ辿り着く」


 座ったまま、手に持った木の棒でアイシスを指す。


「だからこそ吾は分かる。てめえもまた、英雄の血が流れておる。でなくては、その若さで吾の特訓に耐えられる者なぞおらんでのう」


「英雄の血……。ですが、クイヴァも同様に特訓を受けて────」


 残念そうにクイヴァがアイシスの肩を掴んだ。


「私は手を抜いてもらっていたよ。見たまえ、怪我のひとつもない」


「あ……じゃあ、私だけが本気で特訓を……?」


 信じられなかった。常軌を逸した動きを見せられれば、アーシャが英雄の血を引いていると言っても理解できる。だが自分はどうだ。手も足も出ず、一方的に殴りつけられるだけで、強くなったとは思えない。なのに英雄の血を引いていると言われても、ピンと来なかった。


「言うたろ。血は覚醒してこそじゃ。条件は生憎と吾にも分からぬ。よってこうして三日間もキツ~い特訓をしてやったんじゃが、上手くは行かなんだのう」


 自分のときは何がきっかけだったのか、アーシャも覚えていない。ただ、砂漠のど真ん中で倒れていて、気付いたら周囲には死体が転がっていた。極限状態の戦いの中で目覚めたのかもしれない。そんな推察だった。


「もっと死ぬ寸前まで追いやるべきだったのやもしれぬが、誤って殺してしもうたらと思うと手が出なくての。ま、それはいいとして────」


 こほん、と咳払いをして真剣な眼差しを向けた。


「既に剣聖以外の騎士は覚醒を済ませ、各地で名を馳せておる。アルインの『鉄拳』。そしてハーキュリーズの『賢者』。前者は襲ってくる事はないじゃろう。しかし後者は違う。もし出会ったら、なによりもまず逃げよ。分かったな」

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