ナミルの民からの『戦闘訓練』という前例のない贈り物。普通の国ならば『馬鹿にしている』と憤慨しようものだが、これに目の色を変えたのがアイシスとクイヴァだ。彼女たちは常々、騎士としてもっと実力をつけたいと思っていたところでもあり、先の戦闘ではラロス騎士団の援護がなければ厳しい状況に置かれていた事を苦しく感じていたのも事実。それに同意したのがモリガンだった。
「ありがたく受け取らせてもらおう、首長殿。余たちが、この城塞都市という有利な地を活かし切れず侵入と制圧を許したのも、ひとえに実力不足であった。これが贈り物だと言うのであれば、またとない機会である」
「ぬはははは! そりゃあええのう、気に入ったわい!」
彼女はちらとネストルへも視線を流す。
「それで、てめえはどうするんじゃ。しばらく手伝うのかえ」
「いや、儂はいったん公国へ戻る。戦の準備もせねばなるまいて」
「……なるほどのう。まあ、近いと言えば近いか」
一度は既に帝国から仕掛けている。このまま黙っていては、次にまた攻めてこないとも限らない。安穏とした空気に浸るのも悪くないが、建国への支援を表明した以上は戦力を整えておく必要があった。
「モリガンよ、会議も終えたし、儂はいったん待たせている連中と船に乗って帰る事にしよう。改めて公国側でも武具の調達を急ぐとする」
「ありがとう、公王殿。何か必要なものはないか?」
彼は首を横に振って、爽やかな笑顔で答えた。
「ない。アイシスやクイヴァの顔も見れたから、儂は満足だ。若者の行く未来は明るい。いずれまた戦乱の嵐が来る頃、お前たちとまた会うとしよう」
いくら鍛えたとて、もう自身の年齢を考えればネストルは限界を感じていた。後は衰えていくのみだ、と。であれば出来る事から進めていく。アイシスたちを鍛えるのはアーシャに任せておけば間違いない。
彼が稽古場を出ていった後、すぐに稽古は始まった。剣捌きの得意なラシドはアイシスと、徒手のハシムはクイヴァを選んだ。どちらもナミルの民ではアーシャ・ハサンの側近として仕えるだけの腕利きで、自信に満ちているアイシスでさえ簡単にはいかない。むしろ互角に近かった。
「つ、強いですね、ラシド卿……!」
「ナミルの民としての自負はあります」
穏やかな口ぶりで涼しい表情だが、ラシドも内心驚いていた。アーシャほどではないにしろ、彼女はあまりに強かった。やや筋肉のある細身にしては、打ち込んできたときの威力も大きく、速度も追いつくのがやっとだ。攻めるというより防戦一方。受け流しながら隙を窺っても、それらしい部分が見つからない。
「(アーシャ様はやはりお強いのだ。この者は普通の人間が正面きって敵う相手ではない……。これが剣聖の強さとは、貴重な経験だ)」
見ていて退屈したのか、アーシャが椅子から立ち上がって槍を手に取った。つかつか歩いて、ラシドを軽く押す。
「やはりてめえは甘いのう、ラシド。筋は良いが様子を見すぎじゃ。吾を見ておれ。この娘がいかに隙だらけかというのを教えてやろう」
「むっ……。先ほどのようにはいきませんよ、首長殿!」
動きは分かった。油断さえしなければついて行ける。それこそが慢心だとでも言わんばかりに、やはり剣は届かない。あまつさえアーシャは、どう来るかが分かっているかのように目を瞑って躱す。明らかな実力差。戦闘民族と呼ばれる民の首長が、いかに驚異的な能力を持っているかを理解させられる。
「ほうれ、どうした。随分と甘やかされたらしいの、剣聖。背負った称号が随分重たいようではないか。それとも吾を舐めておるのか?」
石突が顎を打ち、アイシスは一瞬だけ意識が飛びかけた。すかさず腹に入った蹴りを受けて軽く吹っ飛び、床に転がる。素早く体勢を立て直そうとしたが、気付けば槍の穂先が顔の横に置かれていた。
「はんっ、
アイシスは俯いて、ぱしっと槍を手で払って立ちあがった。
「分かっています。……すみません、頭を冷やしてきます」
二度。二度だ。今までにない敗北感。勝てると思っていたかと問われれば、そうではない。だが善戦はできると自信があった。心が折れた。
早足に稽古場から逃げ去り、城の外まで誰の視線を気にする事なく走って、それから冷たい空気を思いきり吸い込んだ。腹の底から叫びたい気持ちは抑え込み、曇り空を見あげて彼女は胸が苦しくなった。
自分の見てきた世界の狭さに、敗者としての実感が湧く。
「(……未熟だ、あまりにも。これほど勝てないと分かる相手は初めてだ。今のままでは私はきっと、この先で命を落とすだろう)」
握った拳が震えた。これまで自分を支えてきた自信が、音を立てて崩れていくのを感じながら。
「なんじゃ、剣聖とはやはり名ばかりじゃのう。この程度で折れていては騎士など務まらぬぞ」
肩を叩かれて顔をあげると、ぐぐっと体を伸ばしてリラックスしているアーシャの姿を見た。絶対的強者が、わざわざ敗者の後を追いかけて来て何のつもりだろう、と思った。また冷たく切り裂くような言葉を言いに来たのか、と。
だが、彼女はフッと穏やかな視線を流して────。
「そうやって睨む元気があるうちは良かろう。して、少し話をしようではないか。てめえがなぜ、吾に勝てんのかもな」